リベロの矜持と、繋がれる音
「……すごい」
ぴかりが丘学院アイドル部のレッスンルームに、場違いなほどの快音が響いた。 星空みゆきは、目を丸くしてその光景を眺めていた。なぎさが放った、わざとリズムを乱した「意地悪なパス」。誰もが「ミス」だと思ったその一瞬、二年生の夏木りんが、まるで重力を無視したようなスライディングでその音を拾い上げたのだ。
「甘いよ、なぎさ! 私を抜きたきゃ、もっと地面スレスレの音を刻みなさい!」
りんはニカッと笑い、流れるような動作で立ち上がる。彼女のポジションは「リベロ」。華やかなセンターでも、破壊力のあるエースでもない。けれど、床に落ちる寸前の「音」を拾い、再びユニットの心臓へと繋ぎ止める、チームの守護神だ。
「……さすがね、りんさん」 なぎさが、珍しく素直に感嘆の息を漏らす。 「あんたのリードは精密だけど、遊びがないのよ。もっと無茶しなさい。……後ろは、私が全部拾ってあげるから」
その言葉に、みゆきは猛烈に感動していた。 「りんさん、かっこいい……! 私、あんなに低く滑るの、一回もできたことないです! 師匠! ダンスのカバーのコツ、教えてください!」
「し、師匠!? ……ははっ、いいぜ! あんた、気に入った! アイスおごってやるから付いてきな!」 「ウルトラハッピー!!」
そんな賑やかな二人を、部長の咲が温かい目で見守っていた。 「……りんが戻ってきてくれて、本当によかった。あとは、あいつだけだね」
咲の視線は、部室の片隅に置かれた、少し埃を被った予備のマイクスタンドに向けられた。 九条ひかり。 彼女が戻らなければ、ぴかりが丘のパズルは完成しない。
その日の練習後。みゆきは、りんと一緒に校門へと向かっていた。 「ねえ、りん師匠。ひかり先輩って、どんな人なんですか? 部長もなぎささんも、みんな先輩を待ってるみたいですけど……」
りんの表情が、一瞬だけ曇った。 「……あいつは、優しいんだよ。優しすぎて、全部自分のせいにしちゃうんだ。……一ヶ月前、伊達ヶ原の『鉄壁』に、あいつの歌が全部跳ね返された時……あいつは自分が下手だからじゃなく、自分が歌うことで『チームの心が折れる』のを怖がっちゃったんだよ」
りんは、夕焼けに染まる校庭を見つめた。 「でも、アイドルは一人で歌うもんじゃない。繋いでくれる奴がいて、拾ってくれる奴がいて……初めてステージは完成するんだ。……あいつにそれを、もう一度思い出させなきゃいけない」
その時、校門の影に、長身の少女が立っているのが見えた。 九条ひかりだった。 彼女は、レッスンルームから漏れてくる後輩たちの楽しそうな声に耳を傾けていたが、みゆきたちに気づくと、慌てて視線を逸らして歩き出した。
「あ、ひかり先輩!」 みゆきが叫ぶが、ひかりは足を止めない。 「……ごめんね。私はもう、そこには行けないんだ」
寂しげな背中。 けれど、みゆきは知っていた。ひかりが今も、無意識に指先でリズムを刻んでいることを。 彼女の心はまだ、ステージを捨てきれていないのだ。
「……追いかけなくていいのかよ、師匠」 みゆきがりんを見上げると、りんは静かに首を振った。 「……今はまだ、あいつの中に『恐怖』が勝ってる。……でも、大丈夫だ。私たちが繋ぎ続けていれば、いつか必ず、あいつの歌が必要になる瞬間が来る」
その夜。 アイドル部の顧問は、夜遅くまで電話をかけ続けていた。 かつての宿敵——「猫」と呼ばれるユニット、七ツ橋学園とのパイプを繋ぐために。 烏たちが再び空を舞うために必要なのは、強烈なライバル。
嵐の前の静けさ。 ぴかりが丘の六人が、本当の意味で「一つ」になるための物語は、まだ静かに伏線を張り巡らせていた。




