表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

長編SF小説「僕の彼女は魔女だった!」 ― 魔女とSNSの時代 ―

炎上から始まる、新世界の夜明け。 彼女の"力"は、人類の希望か、それとも破滅か。SNS時代に問う、真実と共存の物語。

第1章「秘密」


夜のコンビニから出てきた僕は、いつものようにバイトを終えていた。田島悠、23歳、フリーター。大学を中退してから早3年、特に目標もなく日々を過ごしている。


「お疲れさま」


聞き慣れた優しい声に顔を上げると、桐谷凛が小さな傘を差し出している。彼女とは半年前にマッチングアプリで出会った。最初は軽い気持ちだったが、今では僕の生活に欠かせない存在になっている。


雨上がりのアスファルトに街灯が反射して、まるで鏡のような路面を作り出している。僕たちはいつものように肩を並べて歩く。何も変わらない、平凡で幸せな日常。


「今日も忙しかった?」 「まあまあかな。深夜だから酔っ払いの相手が大変で」


そんな他愛もない会話を続けていた時だった。


突然、街灯が一斉に消えた。


最初は停電かと思った。でも、遠くのコンビニの電気は点いている。不思議に思って振り返ろうとした次の瞬間──


凛の手のひらに、白い光が浮かんでいた。


小さな光球が、まるで生き物のように彼女の掌の上で踊っている。その優しい光は夜の闇を照らし、濡れたアスファルトをきらめかせた。まるで無数の星が地面に散らばったみたいに。


僕は息を飲んだ。現実なのか、夢なのかわからない。


「……見ちゃったね」


凛は小さく笑った。いつもの人懐っこい笑顔ではなく、どこか寂しげで、覚悟を決めたような表情だった。


「私、魔女なの」



翌日のカフェ。僕は昨夜のことが夢だったのか確信が持てずにいた。凛は普通にカプチーノを飲んでいる。普通の23歳の女性にしか見えない。


「昨日のあれ......」 「現実よ」


凛はカップを置いて、僕を真っ直ぐ見つめた。


「魔法は万能じゃない。使うと体に負担がかかる。昨日も今朝は少し頭痛がしてた」


彼女は静かに説明を続けた。自分の一族は古くから魔法の力を受け継いでいること。歴史の中で迫害を避けるため、ずっと隠れて生きてきたこと。現代でも、その秘密を守ることが何より大切だということ。


「だから、誰にも言わないで。お願い」


僕は慌てて頷いた。「もちろん、誰にも言わない。約束する」


でも、心の奥で小さな声が囁いていた。『これが金になれば......』



それから一週間。僕はずっと悩んでいた。


魔法は本物だった。凛は僕の前で何度か小さな魔法を見せてくれた。ペンを宙に浮かせたり、枯れた花を一瞬だけ蘇らせたり。そのたびに彼女は少し疲れた顔をしたけれど、僕が喜ぶと嬉しそうに微笑んだ。


そんなある日、僕は冗談半分で言った。


「ねえ、これ動画に撮らせてもらえない?」 「え?」 「ちょっとした手品みたいに見えるし。面白そうじゃない?」


凛は困ったような顔をしたが、結局は空中に缶コーヒーを浮かせてくれた。僕はスマホで慎重に撮影し、編集アプリで少し加工を施した。本物だとバレないように。


匿名アカウントから投稿したのは夜中だった。


『友達の手品が上手すぎるwww』


最初の反応は予想通りだった。


「合成乙w」 「トリックで草」

「糸見えてない?」


ところが、数時間後には数万リツイート。想像以上の反響だった。


そして、コメント欄の奥の方に、僕の心臓を止めるような投稿があった。


「これ......本物じゃないか?」 「加工の痕跡が全く見えない」 「古い文献で見た動作と同じ」



僕は興奮していた。


「凛、すごいよ!もう10万回再生いったよ!」 「悠......やめて」


凛の表情は暗かった。でも僕には止められなかった。


「これ、シリーズ化すれば絶対稼げる。僕たちの生活も楽になるよ」 「私は人間として普通に暮らしたいの。魔女として注目されたくない」 「でも現実を見ろよ。僕はフリーターで、君だってアルバイトでしょ?これはチャンスなんだよ」


二人は初めて口論した。凛は涙を浮かべて立ち上がった。


「あなたは何もわかってない」


彼女はそう言い残して、カフェを出ていった。


一方、インターネットの奥深くでは、動画を解析する者たちがいた。高度な画像解析ソフトを使い、フレーム単位で映像を検証している。


「加工の痕跡が見えない」 「物理法則に反する動きだが、CGの可能性は低い」 「古い伝承の魔法の型に酷似している」


画面の隅に、黒いアカウント名が表示された。『Hunter_Division_07』。


一般人には見えない、超能力者狩りを生業とする組織の監視端末だった。



僕が凛に謝って仲直りした翌日、僕は再び動画を投稿した。


今度は「街角での奇跡」と題して、道で転びそうになった子どもを凛が魔法で支えた瞬間を撮影したものだった。咄嗟のことで、凛も気づかなかった。


この映像は決定的だった。再生数は24時間で100万を突破。テレビのワイドショーでも取り上げられ始めた。


「現代の魔法使い?それとも巧妙なフェイク?」


僕は有頂天だった。広告収入だけで今月の家賃が払える。


でも、凛は違った。


「ねえ、最近変な電話がない?」 「変な電話?」 「無言電話とか......誰かに見られてるような気がするの」


その夜、僕たちが夜道を歩いていると、後ろから車のヘッドライトがゆっくりと付いてきた。角を曲がっても、信号で止まっても、一定の距離を保ったまま。


凛はふと振り返り、小声で呟いた。


「......もう遅いかもしれない」



翌朝、僕のアパートのポストに不気味な手紙が入っていた。


『魔女を渡せば、相応の金を払う。今夜0時、××公園へ一人で来い』


バイト先にも無言電話がかかり続けた。店長からは「お前、何か変なことに巻き込まれてないか?」と心配された。


SNSでは「魔女の彼女、住所特定?」「リアル魔女狩りが始まる」といったデマまで飛び交っていた。僕の顔写真まで出回り始めている。


恐怖を覚えた。でも同時に、動画の再生回数は500万を超え、広告収入も跳ね上がっていた。


「凛、ちょっとの間だけ隠れてもらえない?これが落ち着くまで」 「......」 「お金は入るから。僕たちの将来のためにも」


凛は涙を流しながら言った。


「私は人間の世界で生きたかった。普通の女の子として、あなたと平凡な幸せを築きたかった。でも、あなたが......」



深夜、僕が眠りについた頃。


窓の外で、小さな赤い光が点滅していた。カメラの録画ランプだった。


凛が異変に気づき、カーテンを勢いよく開けると、隣家の屋根に黒い影があった。黒いスーツを着た男が、望遠レンズ付きのカメラでこちらを撮影している。


男は無言で僕たちを見つめていた。その冷たい視線には、獲物を狙う狩人の意志があった。


次の瞬間、凛は僕の手を強く握った。


「逃げるよ。今すぐ」



荒い息を吐きながら、二人は夜の街を走った。


背後からは車のエンジン音。足音。そして、僕のスマホの通知が鳴り止まない。


画面を見て、僕の血が凍った。


新しい動画が、勝手にアップロードされていた。凛が魔法を使う決定的な証拠映像。顔もはっきりと写っている。


「魔女は本当にいる」


その字幕が、炎のように拡散していく。いいね、リツイート、コメント。数字が狂ったように跳ね上がる。


凛の瞳には恐怖と決意が混じっていた。


「もう普通の生活には戻れない」


僕は初めて理解した。自分が何をしてしまったのかを。愛する人を、どれほど恐ろしい目に遭わせてしまったのかを。


夜の街角で、二人は立ち止まった。


これから始まるのは、逃亡と戦いの物語。現代の魔女狩りと、SNSが作り出した地獄からの脱出劇。


僕は凛の手を握り返した。今度こそ、彼女を守るために。


ここから、本当の物語が始まる。


第2章「拡散」


朝の光が薄いカーテンの隙間から差し込んできた時、僕はまだ眠れずにいた。スマホの画面を見つめ続けて、もう何時間になるだろう。


数字が止まらない。


再生回数:1,247,892 いいね:89,763 リツイート:156,248 コメント:23,891


一夜にして、僕の人生は変わった。正確には、僕たちの人生が。


隣で眠る凛の寝顔を見る。昨夜の出来事が夢だったらよかったのに。でも、スマホの通知音が現実を突きつける。ピロン、ピロン、ピロン。止まることがない。


「おはよう」


凛が目を覚ました。いつもの優しい笑顔だったが、目の下に薄っすらとクマができている。


「おはよう。よく眠れた?」 「......ちょっと悪い夢を見ちゃった」


彼女は起き上がって窓のカーテンを少しだけ開けた。そして、すぐにまた閉める。


「ねえ、悠。下を見てもらえる?」


僕はベランダの窓から下を覗いた。アパートの前に、見慣れない車が2台停まっている。黒いワゴン車と白いセダン。どちらも人が乗っているようだが、距離があってよく見えない。


「昨日の夜からずっといるの」


凛の声が震えていた。



その日は土曜日で、僕にバイトはなかった。普通なら凛と一緒にゆっくり過ごす休日のはずだった。


でも、外に出ることはできなかった。


午前10時。僕のスマホに知らない番号から電話がかかってきた。


「はい、田島です」 『田島悠さんですね。私、週刊特報の記者をしております金子と申します』 「え?」 『昨夜投稿された動画について、お話を伺いたいのですが』


僕は慌てて電話を切った。心臓がドキドキしている。


その後も電話は鳴り続けた。テレビ局、週刊誌、ネットメディア。どこで僕の電話番号を調べたのかわからないが、次々と取材の申し込みが来る。


「もうだめかもしれない」


凛はソファに座り込んで、膝を抱えていた。


「大丈夫だよ。僕が守るから」


でも、その言葉に説得力がないことは僕自身が一番よく知っていた。



午後2時、インターホンが鳴った。


「田島さん、いらっしゃいますか。配達です」


聞いたことのない声だった。僕は凛に目配せして、静かにドアスコープを覗いた。


配達員の制服を着た男性が立っている。でも、手には何も荷物を持っていない。


「留守みたいですね」


男性はそう言って立ち去った。でも、その足音は階段を降りずに、廊下の奥で止まった。


僕たちは息を殺して待った。15分ほどして、ようやく足音が遠ざかっていく。


「もうここにはいられない」


凛が呟いた。


「でも、どこに行けばいいんだよ」


その時、僕のスマホに新しい通知が来た。YouTubeからのメッセージだった。


『あなたの動画が大きな話題になっています。収益化のご相談をさせていただきたく......』


月間予想収入:¥2,847,000


僕は画面を二度見した。月収300万円近く。今のバイト代の10倍以上だ。


「すごいよ、凛。これだけあれば、僕たち......」


振り返ると、凛は涙を流していた。


「お金の話なんてどうでもいいの。私たちの生活が、平穏な日々が全部壊されちゃったのよ」



夕方になって、外の車はまだそこにいた。それどころか、もう1台増えている。


僕はパソコンで動画のコメント欄を見ていた。最初は「すげー」「やばい」程度だったコメントが、だんだん変質してきている。


『これ本物だろ。政府は隠蔽するつもりか?』 『魔女狩りの時代が来るな』 『住所特定班、頼む』 『こいつら危険だから通報した方がいいんじゃない?』


そして、僕の血を凍らせるコメントがあった。


『○○区○○町のアパートだろ?もう特定された』


正確な住所だった。


「凛、見て」


画面を見せると、凛の顔が真っ青になった。


「もう知られてる......」


その時、アパートの廊下から話し声が聞こえてきた。複数の人間が何かを相談している。


僕たちは耳を澄ませた。


「──2階の奥だな」 「──静かにやれよ」 「──逃がすなよ」


凛が僕の袖を引っ張った。彼女の手が震えている。



僕たちは急いで荷物をまとめた。と言っても、リュックサック一つに必要最小限のものを詰めただけだ。


幸い、このアパートは非常階段がある。2階からなら、なんとか逃げられるかもしれない。


「行くよ」


僕は凛の手を握って、非常階段のドアをそっと開けた。


夕暮れの街が見えた。いつもの見慣れた景色なのに、今日は全く違って見える。


階段を降りて、路地に出る。振り返ると、僕たちの部屋の電気が点いているのが見えた。誰かが中に入ったのだろう。


「急ごう」


でも、どこに行けばいいのかわからない。友達の家?でも、そこにも迷惑をかけるかもしれない。ホテル? でも、身分証明書を見せなければならない。


歩きながら、僕のスマホがまた鳴った。今度は動画サイトの広告収入の通知だった。


『本日の収益:¥89,420』


1日で9万円近く。でも、その金で買えない大切なものを、僕は失ってしまったのかもしれない。



結局、僕たちは24時間営業のファミリーレストランに逃げ込んだ。土曜日の夜だというのに、客はまばらだった。


奥の席に座って、僕はスマホでニュースサイトを見ていた。


『現代の魔女?謎の動画が大炎上』 『科学では説明できない現象の正体は』 『専門家「高度なCG技術の可能性も」』


でも、中には僕たちを危険視する記事もあった。


『オカルトブームの行き過ぎに警戒を』 『模倣犯による事件の可能性』


そして、まとめサイトには最悪の情報が載っていた。


『魔女カップル、住所バレで逃亡か』 『リアルタイム追跡スレ』


匿名掲示板では、僕たちを探そうとする書き込みが続いている。まるでゲームでも楽しむかのように。


「これ、どうすればいいんだろう」


凛は何も食べずに、コーヒーカップを両手で包んでいた。


「とりあえず、しばらく隠れよう。そのうち話題も沈静化するよ」


でも、僕の言葉は空虚に響いた。インターネットは忘れない。一度拡散された情報は、永久に残り続ける。



夜が更けていく。


ファミレスの客も次第に減って、僕たちだけが取り残されたような気分になった。


凛がトイレに立った時、僕はこっそり動画サイトを確認した。再生回数は200万を超えている。コメントも5万件に到達した。


その中に、ゾッとするコメントを見つけた。


『現在ファミレス○○店にいる模様。目撃情報求む』


店名まで正確だった。


僕は慌てて周囲を見回した。他の客たちは普通に食事をしているが、その中の誰かが僕たちを撮影してSNSに投稿したのかもしれない。


凛が戻ってきた時、僕は彼女の手を引いた。


「帰ろう。今すぐ」


「どこに?」


僕にも答えはなかった。



夜の街を歩きながら、僕は考えていた。


これは僕が始めたことだ。軽い気持ちで投稿した動画が、こんな事態を招くなんて思いもしなかった。


凛は何も責めないが、僕は自分を許せなかった。


「ねえ、悠」


凛が立ち止まった。街灯の下で、彼女の顔がはっきりと見える。


「私、もう疲れた」


「凛......」


「でも、一つだけ言いたいことがある」


彼女は僕を真っ直ぐ見つめた。


「あなたを恨んだりしないから。あなたは悪い人じゃない。ただ......」


涙が頬を伝った。


「ただ、想像力が足りなかっただけ」


その言葉が、僕の胸に深く刺さった。



結局その夜、僕たちはネットカフェで過ごすことにした。個室ブースなら、とりあえず人目につかない。


でも、安心できなかった。


僕は定期的にネットで自分たちの情報をチェックしていた。検索すると、関連記事がどんどん増えている。


『魔女動画の真相に迫る』 『専門家が分析「これは本物かもしれない」』 『魔法は実在するのか? 科学的検証』


そして、最も恐ろしい記事を見つけた。


『「魔女狩り愛好会」が活動開始?過激な書き込みに警戒』


記事によると、匿名掲示板で「現代の魔女は危険な存在」として、僕たちを「駆除」すべきだという書き込みが増えているという。


中には具体的な計画を立てているものもあった。


『明日、例の場所で待ち伏せしよう』 『証拠を押さえてから、しかるべき機関に通報』 『自分たちで解決するしかない』


僕は震え上がった。


隣で、凛が小さな声で泣いているのが聞こえた。



翌朝、僕は目を覚ました。


ネットカフェの薄暗いブースで、首が痛い。凛はまだ眠っている。疲れ切った顔をしていた。


スマホを確認すると、夜中にも通知がたくさん来ていた。動画の再生回数は300万を超えている。


でも、同時に恐ろしいニュースも入ってきた。


『「魔女動画」投稿者の身元特定?ネット上で個人情報が拡散』


記事を読むと、僕の本名、年齢、勤務先、そして凛の情報まで詳細に書かれていた。写真まで掲載されている。


これはもう、隠れることができないレベルだった。


凛が目を覚ました。


「おはよう」 「おはよう......ねえ、悠」 「なに?」 「もう普通の生活には戻れないね」


僕は何も答えられなかった。


窓の外では、いつもの朝が始まっている。通勤する人々、学校に向かう学生たち。普通の日常を送る人たち。


僕たちも、つい数日前まではその一部だった。


でも今は、見知らぬ人たちから狙われる逃亡者になってしまった。


スマホがまた鳴る。新しいメッセージが届いている。


差出人は「Hunter_Division_07」。


『逃げ続けるつもりか? 君たちに提案がある。』


メッセージを開くかどうか、僕は迷った。


でも、選択肢はもうほとんど残されていないことは分かっていた。


この物語は、まだ始まったばかりだった。


第3章「狩人」


『逃げ続けるつもりか?君たちに提案がある。』


そのメッセージの下に、住所が記されていた。都心から少し離れた、聞いたこともない地名。そして時刻。今日の午後3時。


「これ、どう思う?」


僕は凛にスマホの画面を見せた。彼女の顔が青ざめる。


「罠だと思う。でも......」


凛は言葉を飲み込んだ。でも、僕にも彼女の考えていることは分かった。他に選択肢がないということだ。


ネットカフェから出ると、朝の街に人が溢れていた。でも、僕にはその誰もが敵に見えた。スマホを向けられているような気がして、無意識に顔を手で隠してしまう。


「あの、すみません」


突然、声をかけられた。振り返ると、30代くらいの女性がスマホを持って立っている。


「もしかして、あの動画の......」


僕たちは何も言わずに走り出した。



結局、僕たちは指定された場所に向かうことにした。


それは都心から電車で1時間ほどの、古い工業地帯だった。昼間だというのに人通りは少なく、錆びついた工場の建物が立ち並んでいる。


指定されたのは、その一角にある古いカフェだった。「珈琲 月光」という看板が出ているが、営業しているのかどうかも分からない。


午後2時55分。僕たちは店の前に立っていた。


「まだ遅くない。帰ろう」


凛が僕の袖を引いた。でも、もう後戻りはできなかった。


ドアを開けると、カウベルが小さく鳴った。店内は薄暗く、客は誰もいない。でも、奥の席に一人の男性が座っていた。


50代くらい、グレーのスーツを着た普通のサラリーマンに見える。でも、その目は普通ではなかった。まるで獲物を値踏みするような、冷たい視線だった。


「田島悠さん、桐谷凛さん。お疲れ様でした」


男性は立ち上がって、僕たちに手を差し出した。


「私は佐々木と申します。『対異能者特別調査機関』の者です」



対異能者特別調査機関──僕は聞いたことがない名前だった。


「座ってください。長い話になります」


佐々木と名乗った男性は、丁寧な口調で話し始めた。


「まず、桐谷さん。あなたの能力は本物ですね。我々は昨夜から詳細な分析を行いました。CGや手品の可能性は完全に排除されました」


凛は何も答えなかった。


「そして田島さん。あなたは軽い気持ちで動画を投稿したのでしょうが、これは我が国の安全保障に関わる重大事案になりました」


「安全保障?」


「超能力者の存在が公になることで、社会的な混乱が生じる可能性があります。宗教的対立、科学的常識の崩壊、そして何より──」


佐々木は一呼吸置いた。


「諸外国による超能力者の軍事利用です」


僕は頭が混乱していた。たかが動画一本で、そんな大きな話になるなんて。


「我々の任務は、そうした事態を未然に防ぐことです。つまり──」


「魔女狩り、ということですか」


凛が初めて口を開いた。その声は静かだが、芯の強さを感じさせた。


「その表現は適切ではありません。我々は『管理』を行っています」


佐々木はタブレットを取り出した。


「桐谷さん、あなたの一族の『魔法』について詳しく調べさせていただきました」


画面には凛の家系図のようなものが表示されている。


「興味深いことに、あなたの能力発現パターンは、他の超能力者と酷似しています」


「何を言ってるんですか?」


「つまり、あなたが『魔法』と呼んでいるものは、実は超能力の一種である可能性が高いのです」


凛の顔が青ざめた。


「400年前の人々には科学的説明ができなかった。だから『魔法』『魔女』と呼んだ。でも現代の技術で分析すると──」


佐々木は別の画面を表示した。脳波やエネルギー測定のグラフだった。


「あなたの力は、脳の特殊な部位から発生する電磁波を通じて物理現象を引き起こしている。これは紛れもない『超能力』です」



「これをご覧ください」


画面には世界地図が表示されている。そして、各国に赤い点が無数に打たれていた。


「これは過去10年間で確認された超能力事案です。アメリカ、ロシア、中国、そして日本。どの国も秘密裏に超能力者の調査を行っています」


点の数は思っていたより多かった。数百、いや数千はありそうだ。


「そして、これが最近の傾向です」


画面が切り替わる。今度はグラフだった。


「SNSの普及により、超能力の目撃情報は年々増加しています。以前なら隠蔽できたものも、今ではすぐに拡散されてしまう」


確かに、そのとおりだった。僕の動画がまさにその例だ。


「桐谷さん、あなたの動画は現在、世界中で話題になっています。アメリカの研究機関も関心を示しています。このままでは──」


「どうなるんですか?」


凛が聞いた。


「最悪の場合、国際的な超能力者争奪戦が始まります。各国が自国の利益のために能力者を確保しようとするでしょう」



僕は現実感が湧かなかった。たった数日前まで、僕は普通のフリーターだった。それが今では国際問題の当事者になっているなんて。


「それで、僕たちにどうしろと?」


「選択肢は二つです」


佐々木は指を立てた。


「一つ目。あなた方は我々の保護下に入る。政府が用意した施設で、安全に生活していただく。その代わり、外部との接触は一切禁止です」


「それって、軟禁ですよね」


「保護です」


佐々木の口調は変わらなかった。


「二つ目。あなた方に協力していただく。超能力の研究に参加し、国家のために力を貸していただく」


「どちらも嫌です」


凛がはっきりと言った。


「私は普通の人間として生きたい。魔法なんて、生まれてこなければよかった」


その時、佐々木の表情が変わった。


「残念ですが、もう『普通』に戻ることはできません。あなたの存在は既に世界中に知られています」



佐々木はタブレットを操作して、新しい画面を表示した。


「これは今朝の海外ニュースです」


英語のニュースサイトだった。見出しには「Japanese Witch Goes Viral」とある。


「CNN、BBC、ロイター通信。すべての主要メディアがあなたの動画を取り上げています」


画面をスクロールすると、僕たちの写真まで載っていた。どこで手に入れたのかわからないが、鮮明な写真だった。


「そして、これが最も深刻な問題です」


新しい画面には、中国語で書かれた掲示板のような画面が表示された。


「中国の軍事関係者とみられる人物が、あなたたちの『招聘』について議論しています。つまり、拉致の計画です」


僕の血が凍った。


「他にも、アメリカの研究機関、ロシアの情報部、そして──」


佐々木は画面を閉じた。


「一部の過激派組織が、あなたたちを『悪魔の手先』として排除しようとしています」



カフェの中に重い沈黙が流れた。


僕は頭を抱えた。こんなことになるなんて、想像もしていなかった。軽い気持ちで投稿した動画が、国際問題になり、僕たちの命まで危険にさらしているなんて。


「時間がありません」


佐々木が時計を見た。


「我々の情報では、今夜にも複数の組織があなたたちに接触を試みる可能性があります。その前に決断していただく必要があります」


「でも、どちらの選択肢も......」


「田島さん」


佐々木は僕を見つめた。


「あなたには責任があります。この事態を招いたのは、あなたの行動です」


その言葉が胸に刺さった。


「凛を巻き込んだのは僕だ。だから、僕が責任を取る」


僕は立ち上がった。


「僕だけでも、あなたたちに協力します。凛は関係ない」


「悠......」


凛が僕の手を握った。


「一人では意味がありません」


佐々木は首を振った。


「能力者は桐谷さんです。彼女の協力が必要なのです」



その時、カフェの外で車の音がした。


佐々木の表情が緊張した。彼は小さなイヤホンを耳に当てて、何かを聞いている。


「まずい。予定より早い」


「何が?」


「他の組織です。おそらく外国の工作員でしょう」


窓の外を見ると、黒いSUVが2台、カフェの前に停車していた。


「裏口から出ます。急いで」


佐々木は僕たちを店の奥に案内した。そこには従業員用の勝手口があった。


「ここから歩いて3分の場所に、我々の車を用意してあります」


外に出ると、工場の敷地内だった。古いコンテナや機械が積み上げられている。


「あちらです」


佐々木が指差した方向に向かおうとした時、背後で爆発音がした。振り返ると、カフェから煙が上がっている。


「急げ!」


僕たちは走った。



走りながら、僕は考えていた。


これは現実なのか? 数日前まで平凡な生活を送っていた僕が、今では国際的な争奪戦の中心にいる。SF映画のような話だが、肺に入る冷たい空気と、心臓の鼓動が現実であることを教えていた。


「見えた!」


佐々木の指差す先に、白いワゴン車が停まっていた。運転席には別の男性が座っている。


50メートル、30メートル、10メートル......


その時、僕たちの前に別の車が滑り込んできた。黒いセダンから、屈強な男性が2人飛び出してくる。


「Stop!」


英語だった。外国人の工作員に違いない。


「こちらです!」


佐々木が別の方向を指差した。でも、そちらからも人影が現れる。


僕たちは完全に包囲されていた。


「凛、魔法は使える?」


「でも、人がいっぱいいる......」


「構わない。今は緊急事態だ」


佐々木が言った。


「日本政府として、あなたたちを保護する義務があります」



凛は迷った様子だったが、やがて決意を固めたように頷いた。


「みんな、目を閉じて」


彼女は両手を広げた。そして、小さく呪文のような言葉を唱える。


次の瞬間、辺り一面が真っ白い光に包まれた。


フラッシュバンのような眩しさだったが、痛みはない。むしろ、温かい光だった。


「今のうちに!」


佐々木の声が聞こえた。目が慣れると、外国人工作員たちが目を押さえてうずくまっている。


僕たちは白いワゴン車に駆け込んだ。


「行け!」


車は勢いよく発進した。バックミラーで見ると、工作員たちが慌てて車に戻ろうとしている。


「間一髪でしたね」


運転手の男性が言った。


「これで安全です。我々の施設に向かいます」


でも、僕には安心できなかった。これで終わりではない。これは、長い戦いの始まりなのかもしれない。



車は高速道路を走っていた。行き先は教えてもらえなかったが、都心から離れていることは確かだった。


「佐々木さん」


僕は口を開いた。


「あなたたちの組織について、もっと詳しく教えてください」


「『対異能者特別調査機関』は、内閣直属の秘密組織です。正式には存在しないことになっています」


「いつからあるんですか?」


「設立は1960年代です。当時、冷戦下で超能力兵器の開発競争が密かに行われていました。我が国も対応が必要になったのです」


佐々木は振り返った。


「これまで我々は、年間50件程度の超能力事案を処理してきました。ほとんどが隠蔽可能な小規模なものでしたが」


「今回は違う?」


「今回は史上最悪です。これほど大規模な拡散は初めてです」


凛がぼそりと言った。


「私の一族は、何百年も隠れて生きてきました。それが一瞬で台無しになった」


僕は気づいた。凛の中で何かが変わり始めている。自分の力に対する認識が。



車は山道に入った。都市の灯りが遠ざかり、周囲は暗い森に囲まれている。


「到着しました」


車が停まったのは、一見普通の研究施設だった。でも、周囲には高いフェンスが巡らされ、警備員も配置されている。


施設の中は思っていたより現代的だった。白い壁と清潔な廊下。まるで大学の研究施設のようだ。


「こちらがあなたたちの部屋です」


案内されたのは、ホテルのような個室だった。必要な設備は一通り揃っている。


「食事は3時間後にお持します。それまでゆっくり休んでください」


佐々木は出ていこうとした。


「ちょっと待って」


凛が声をかけた。


「私たちは、いつまでここにいることになるんですか?」


佐々木は振り返った。その表情は、同情的だった。


「正直に言いますが、しばらく外には出られないでしょう。少なくとも、世間の関心が薄れるまでは」


「どのくらいですか?」


「わかりません。数ヶ月、あるいは......」


佐々木は言葉を濁した。


「場合によっては、数年かもしれません」



その夜、僕は眠れなかった。


施設の部屋は快適だったが、やはり監禁されているという感覚は拭えない。窓の外を見ると、警備員が巡回しているのが見えた。


隣の部屋で、凛が泣いているのが聞こえた。


僕は全てを台無しにしてしまった。彼女の平穏な生活を、僕たちの未来を、そして何より、彼女の心を。


スマホは没収されてしまったが、きっと今も僕の動画は拡散し続けているだろう。世界中の人々が見て、コメントして、シェアしている。


でも、その向こう側にいる僕たちの現実を、誰も知らない。


翌朝、佐々木がやってきた。


「桐谷さんには、研究にご協力いただきたいと思います」


「研究?」


「あなたの能力のメカニズムを解明したいのです。科学的に分析することで、より効果的な管理方法を確立できます」


凛は首を振った。


「嫌です。私は実験動物じゃありません」


「強制ではありません。しかし......」


佐々木は一枚の写真を差し出した。


「昨夜、あなたの実家が何者かに襲撃されました。幸い、ご両親は無事でしたが」


写真には、破壊された玄関ドアが写っていた。


「あなたが協力してくださることで、我々はより多くの保護を提供できます」


凛の顔が青ざめた。


「分かりました。協力します」


僕は何も言えなかった。全ては、僕が始めたことだった。


そして、この施設での新しい生活が始まろうとしていた。自由のない、でも安全な生活が。


窓の外では、朝日が昇っていた。でも僕たちには、新しい一日の始まりではなく、長い囚われの日々の始まりに思えた。


でも、凛の心の中では、ある重要な気づきが芽生え始めていた。自分が本当は何者なのか、という真実への理解が。


第4章「逃亡」


施設での生活が始まって一週間が過ぎた。


表面的には快適だった。食事は美味しく、部屋も清潔で、必要なものはほぼ揃っている。でも、それは黄金の檻でしかなかった。


毎朝8時、凛は研究棟に向かう。そこで3時間ほど「実験」に協力させられる。魔法を使って、その時の脳波や筋電図を測定するのだ。研究者たちは興味深そうに数値を記録し、凛を実験動物のように扱った。


僕にも「役割」が与えられていた。凛の精神的なサポート、そして政府が用意した心理カウンセラーとの面談。要するに、凛が逃げ出さないための保険だった。


「調子はどう?」


午後の散歩時間、僕は凛に聞いた。施設の中庭は小さな公園のようになっているが、周囲を高い壁に囲まれている。


「疲れた」


凛の顔は青白く、目の下にクマができていた。魔法を使い続けることで、体に負担がかかっているのは明らかだった。


「悠、私、気づいたことがあるの」


凛は小声で話した。


「研究者たちが私の力を『魔法』じゃなくて『超能力』って呼んでる。しかも、測定結果を見る限り......」


「どういうこと?」


「私の力は、脳の特定部位から発生する電磁波らしいの。つまり、佐々木さんが言った通り」


彼女は複雑な表情をした。


「私、本当は魔女じゃなくて、超能力者だったのかもしれない」


「やめようか。研究への協力を拒否しよう」


「でも、そうしたら私の家族が...」


凛は言葉を飲み込んだ。佐々木からは定期的に「報告」があった。凛の両親は政府の保護下にあるが、彼女が協力を拒めば、その保護は打ち切られるという暗黙の脅しだった。



その夜、僕は一つの決断をした。


ここから逃げ出そう。


もちろん、簡単ではない。施設は24時間体制で警備されている。でも、一週間の観察で、いくつかの抜け穴に気づいていた。


午前2時から4時の間、夜勤の警備員は最小限の人数になる。そして、研究棟の裏側には監視カメラの死角がある。


問題は、施設の外に出た後だった。僕たちの顔は既に世界中に知られている。普通に逃げても、すぐに見つかってしまうだろう。


でも、やらなければならない。このまま一生を檻の中で過ごすなんて、絶対に嫌だった。


翌朝、僕は凛に計画を話した。


「危険すぎる」


凛は首を振った。


「捕まったら、今度はもっと厳重な施設に入れられるかもしれない」


「でも、このままじゃ君は壊れちゃう」


僕は彼女の手を握った。

「君の力は、誰かを幸せにするためのものでしょ? 研究のための道具じゃない」 

「それに、魔法でも超能力でも、君は君だ。僕が愛してるのは、そんな君なんだ」

凛の目に涙が浮かんだ。

「でも、逃げてどこに行くの?」

「考えがある」



実は、僕にはあてがあった。

大学時代の先輩で、今はIT関係の仕事をしている山田という人がいる。彼はハッカー集団との繋がりもあり、「政府に監視されない生活」を送ることの専門家だった。

もちろん、彼に連絡を取ることはできない。施設では通信手段が完全に管理されているからだ。

でも、彼の住んでいる場所は知っている。東京の下北沢にある、古いアパートの一室だ。そこまで辿り着けば、何とかなるかもしれない。

「本当に大丈夫?」

凛は不安そうだった。

「大丈夫じゃないかもしれない。でも、やってみる価値はある」

僕は微笑んだ。

「君と一緒なら、どこでも行ける」



逃亡の夜がやってきた。

午前1時30分、僕たちは部屋を出た。廊下には誰もいない。足音を殺しながら、計画したルートを辿る。

まずは研究棟に向かう。そこの裏口なら、監視カメラに映らずに外に出られる。

廊下の角で、警備員の足音が聞こえた。僕たちは慌てて近くの部屋に隠れる。心臓が激しく鼓動していた。

足音が遠ざかるのを待って、再び歩き始める。

研究棟に到着。裏口の鍵は電子ロックになっていたが、凛の魔法で何とかなった。電子機器に影響を与える魔法もあるらしい。

「すごいね」

「こんなことに使うなんて、ご先祖様に申し訳ない」

凛は苦笑いした。

「でも、もしかしたらご先祖様も、同じような超能力を使って生き延びてきたのかもしれないね」



外に出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。


施設の周囲は森に囲まれている。僕たちは懐中電灯を使わず、月明かりだけを頼りに歩いた。


30分ほど歩くと、舗装道路に出た。ここまで来れば、施設からは十分離れている。


でも、問題はここからだった。最寄りの駅まで15キロはある。歩くには遠すぎるし、タクシーを呼べば足が付く。


その時、遠くからヘッドライトが見えた。


「隠れよう」


僕たちは道路脇の茂みに身を隠した。車が通り過ぎるのを待つ。


でも、車は僕たちの前で止まった。


運転席から人が降りてくる。僕は身構えた。もし施設の人間なら......


「田島さん、桐谷さん」


声をかけられた。見知らぬ女性だった。30代前半、ショートヘアの美人だ。


「ご心配なく。私は敵ではありません」



「私は水野と申します。ジャーナリストです」


女性は名刺を差し出した。確かに、有名な週刊誌の記者だった。


「あなたたちの逃亡を予想していました。助けが必要でしょう?」


僕は警戒した。記者なら、僕たちを売り飛ばす可能性もある。


「なぜ助けるんですか?」


「私は真実を追求しています。政府による超能力者の隠蔽を暴きたいのです」


水野は車のドアを開けた。


「詳しい話は車の中で。ここは危険です」


凛と目を合わせる。選択肢はほとんどなかった。


「乗りましょう」



車の中で、水野は驚くべき話をしてくれた。


「政府の『対異能者特別調査機関』は、これまで数百人の超能力者を『保護』してきました。でも、その多くは行方不明になっています」


「行方不明?」


「表向きは『社会復帰した』ことになっていますが、実際には秘密の研究施設で人体実験を受けている可能性が高いです」


僕の血が凍った。


「つまり、僕たちも......」


「そうです。あのまま施設にいれば、やがて『実験体』として扱われていたでしょう」


凛が震えた。


「でも、証拠がありません。だからあなたたちの証言が必要なのです」


水野は振り返った。


「私と一緒に、この事実を世界に公表しませんか?」



車は都心に向かっていた。


水野の話を聞きながら、僕は複雑な気持ちだった。彼女が言うことが本当なら、僕たちは正しい判断をした。でも、同時に更なる危険に巻き込まれることも意味していた。


「でも、公表したら僕たちは完全に狙われることになりますよね」


「そうです。でも、隠れているだけでは何も解決しません」


水野は信号で車を止めた。


「実は、あなたたち以外にも協力者がいます」


「協力者?」


「元政府関係者、海外の人権団体、そして......他の超能力者たちも」


僕は驚いた。


「他にも超能力者がいるんですか?」


「もちろんです。桐谷さんのような人は、世界中に存在します。でも、みんな隠れて生きているのです」



車は下北沢に向かっていた。偶然にも、僕の目的地と同じ方向だった。


「実は、私たちにも安全な隠れ家があります」


水野は説明を続けた。


「政府の監視網から逃れるためのネットワークです。『自由の道』と呼んでいます」


「自由の道?」


「超能力者を政府の管理から解放するための組織です。世界各国に支部があります」


それは僕が想像していたものとは違っていた。単なる隠れ家ではなく、組織的な抵抗運動だった。


「危険じゃないですか?」


「危険です。でも、自由のために戦う価値はあります」


凛がぼそりと言った。


「私、ずっと考えてたの。施設での実験で、私の『魔法』が機械で測定できることが分かった。脳波も、エネルギーレベルも」


「それがどうしたの?」


「本当の魔法なら、科学では説明できないはず。でも私の力は...」


凛は手のひらに小さな光を浮かべた。


「これは魔法じゃなくて、超能力なのかもしれない」


「じゃあ、君の一族は?」


「400年前から続く、超能力者の家系だったのよ。ただ、当時の人々はそれを『魔法』としか説明できなかった」


「だからこそ」


凛の目に強い意志が宿った。


「私、もう逃げるのは疲れました。戦います。自分の人生を取り戻すために」



下北沢に到着したのは午前4時だった。


水野に案内されたのは、一見普通のカフェだった。でも、地下に隠し部屋があり、そこが「自由の道」の東京支部だった。


中には10人ほどの人がいた。年齢も職業もバラバラだが、全員が政府に追われている超能力者だった。


「みなさん、新しい仲間です」


水野の紹介で、僕たちは歓迎された。


中でも印象的だったのは、リーダー格の男性だった。40代前半、元自衛隊員だという。


「私は田中です。テレキネシス能力者です」


彼は片手を上げると、部屋の向こうにあったコーヒーカップが宙に浮いて、僕の前に飛んできた。


「ここなら安全です。政府の監視装置も無効化してあります」


「どうやって?」


「仲間の一人が電子機器の専門家なのです。元NSAの技術者でした」


田中は微笑んだ。


「世界中から、様々な能力を持った人々が集まっています」




その日、僕たちは組織の詳しい説明を受けた。


「自由の道」は5年前に設立された国際組織で、現在は世界50カ国以上に支部がある。目的は、超能力者の人権保護と、各国政府による隠蔽工作の暴露だった。


「来月、国連人権委員会で大規模な告発を行います」


田中が資料を見せてくれた。


「世界各国の超能力者弾圧の証拠を提出し、国際的な保護制度の確立を求めるのです」


それは壮大な計画だった。


「でも、政府は黙っていないでしょう」


「もちろんです。だから、できるだけ多くの証拠と証人が必要なのです」


田中は僕たちを見つめた。


「あなたたちの体験談は、非常に価値があります」




夜が明けると、僕たちの逃亡が発覚していた。


ニュースでは「テロリストに拉致された可能性」と報道されていた。まるで僕たちが被害者であるかのように。


「典型的な情報操作ですね」


水野は冷静だった。


「政府は常にこの手を使います。真実を隠すために」


でも、同時に危険も増していた。僕たちの写真がさらに詳細に報道され、目撃情報を求める告知まで出ていた。


「しばらくは外に出られませんね」


田中は申し訳なさそうだった。


「でも、安全のためです」


僕は窓の外を見た。普通の下北沢の街並みが見える。でも、僕たちには手の届かない世界だった。


「後悔してる?」


凛に聞かれた。


「後悔?」


「ここに来たこと。私と一緒にいること」


僕は首を振った。


「全然。君がいてくれるなら、どこでも大丈夫」


凛は微笑んだ。久しぶりに見る、本当の笑顔だった。



一週間後、僕たちは新しい生活に慣れ始めていた。


地下の隠れ家は思っていたより快適で、仲間たちも温かく迎えてくれた。みんな似たような境遇だから、お互いの気持ちがよく分かった。


凛は他の超能力者たちと魔法の技術を交換していた。どうやら、能力者同士で学び合うことで、より効果的に力を使えるようになるらしい。


僕も役割を見つけた。組織のウェブサイトやSNSの管理だ。皮肉なことに、最初に僕たちを追い詰めたインターネットが、今度は武器になった。


ある日、田中が重要な知らせを持ってきた。


「国連の告発まで、あと2週間です。それまでに、もう一つ大きな証拠を掴みたい」


「どんな証拠ですか?」


「政府の秘密研究施設の内部映像です。人体実験の決定的な証拠を」


田中は僕たちを見つめた。


「そのためには、施設に潜入する必要があります」


「まさか......」


「あなたたちにお願いしたいのです。元いた施設に戻って、証拠を掴んでもらいたい」


僕の心臓が止まりそうになった。せっかく脱出した地獄に、再び戻れというのか。


でも、凛は違った。


「やります」


彼女の声は静かだが、確固とした決意を感じさせた。


「私たちと同じような人を救うためなら」


僕も頷いた。


「分かりました。やってみます」


こうして、僕たちの新しい戦いが始まろうとしていた。


今度は逃げるのではなく、戦うために。真実を暴くために。そして、自由を勝ち取るために。


窓の外では、東京の夜景が輝いていた。その光の一つ一つに、普通の生活を送る人々がいる。僕たちも、いつかその仲間に戻れる日が来るだろうか。


でも、それまでは戦い続けるしかない。愛する人と、仲間たちと一緒に。


第5章「仲間」


「自由の道」での生活が始まって2週間。僕は毎朝、地下の訓練室で体を動かしていた。


「もう少し重心を低く」


指導してくれるのは佐藤美咲、25歳の元警察官だ。彼女の能力は「危険予知」──数秒先の危険を察知できる。


「警察にいた時、この能力のせいで同僚から気味悪がられました」


美咲は苦笑いしながら話した。


「『なんで事故が起きる場所が分かるんだ』って。最初は勘が鋭いだけだと思われてたんですが、だんだん疑われるようになって」


彼女は3年前、能力が発覚して警察を追われた。それ以来、「自由の道」で新人の訓練を担当している。


「田島さんも、もし潜入作戦に参加するなら、最低限の護身術は必要です」


僕は汗だくになりながら、基本的な動きを覚えようとした。正直、運動は得意じゃない。でも、凛を守るためなら何でもやる。



午後は、組織の他のメンバーたちとの交流時間だった。


「自由の道」東京支部には、12人の超能力者が住んでいる。それぞれが違った能力を持ち、違った経歴を持っていた。


電子機器の専門家、山本ケンジ(32歳)。元NSAの技術者で、透視能力を持つ。政府の監視システムを無効化するのが彼の仕事だ。


「僕の能力は、電磁波を『見る』ことなんです」


ケンジは分厚い眼鏡の奥で目を細めた。


「携帯の電波、Wi-Fi、GPS信号。全部見えるんです。だから政府の追跡システムも丸見え」


彼のおかげで、この隠れ家は完全に「見えない」状態を保っている。


医師の林真由美(38歳)は、治癒能力を持っている。ただし、自分の生命力を削って他人を癒やすため、使いすぎると命に関わる。


「政府は私を『超能力兵士』として使おうとしました」


真由美は静かに話した。


「戦場で負傷した兵士を即座に回復させる。そのために、私の命なんてどうでもいいと思っていたんです」



夕食の時間は、みんなで円卓を囲む。まるで大家族のようだった。


「桐谷さんの魔法、すごいですね」


話しかけてきたのは、高校生の田村ユウタ(17歳)だった。彼はテレパシー能力者で、両親から逃げてきた。


「僕の能力って、人の心を読むだけなんです。役に立たないし、みんなから嫌がられるし」


ユウタは落ち込んでいた。


「そんなことないよ」


凛が優しく言った。


「みんなの能力には、それぞれ意味があるの。私の魔法だって、最初は怖がられただけだった」


彼女は手のひらに小さな光を浮かべた。温かい、優しい光だ。


「でも、この光で誰かを元気にできるなら、それが私の使命なのかもしれない」


ユウタの顔が明るくなった。


「僕も、みんなの役に立ちたいです」





その夜、僕は田中リーダーと作戦の詳細を詰めていた。


「施設への潜入は、3日後の夜に決行します」


田中は施設の見取り図を広げた。


「目的は研究棟の地下にある『特別実験室』の映像記録です。そこに人体実験の証拠があるはずです」


僕は地図を見ながら考えた。一週間前まで僕たちがいた場所だ。警備の配置もある程度は分かる。


「でも、なんで僕たちが?他にもっと能力の高い人がいるでしょう」


「確かにそうです。でも、施設の内部を知っているのはあなたたちだけ。それに──」


田中は僕を見つめた。


「政府は、あなたたちが『自由の道』に合流したことを知りません。まだ『テロリストに拉致された被害者』だと思っている」


なるほど、それは確かに有利な要素だった。


「つまり、僕たちが施設に現れれば、『保護すべき被害者が帰ってきた』と思うわけですね」


「その通りです。警戒も緩いでしょう」



翌日、僕は凛と一緒に作戦の予行練習をしていた。


相手をするのは、元特殊部隊員の黒田大介(35歳)。彼の能力は「影操作」──自分の影を自由に動かして、物を掴んだり移動したりできる。


「実際の潜入では、こんなにうまくはいきません」


黒田は厳しい表情で言った。


「一つのミスが命取りになります。本当に大丈夫ですか?」


僕は正直、自信がなかった。でも、やらなければならない。


「大丈夫です」


凛が答えた。


「私たちにしかできないことですから」


彼女の決意は固かった。この2週間で、凛は大きく変わった。以前の引っ込み思案な彼女ではなく、強い意志を持った戦士になっていた。


「それに、一人じゃありません」


凛は僕の手を握った。


「悠がいてくれるから」



作戦当日の午後、僕たちは最終的な打ち合わせをしていた。


「潜入チームは3人です」


田中が説明する。


「田島さん、桐谷さん、そして黒田さん。黒田さんは外部からのサポート役です」


黒田は頷いた。


「僕の影で、建物の外から内部の様子をある程度把握できます。危険を察知したら、すぐに撤退の合図を送ります」


技術担当のケンジも準備を進めていた。


「政府の監視システムは、午後11時から午前2時まで定期メンテナンスに入ります。その間なら、追跡される心配はありません」


医師の真由美が僕たちに小さな錠剤を渡した。


「万が一の時の応急処置薬です。でも、使わずに済むことを祈ってます」



午後10時、僕たちは隠れ家を出発した。


車で1時間ほどの道のりだ。運転するのは美咲。彼女の危険予知能力で、検問や見張りを避けながら進む。


「少し迂回します」


美咲が突然ハンドルを切った。


「3キロ先に警察の車両があります」


彼女の能力のおかげで、僕たちは無事に施設の近くまで到着した。


車から降りると、懐かしい森の匂いがした。つい2週間前、僕たちが必死に逃げた場所だ。


「ここからは徒歩です」


黒田が先頭に立って、森の中を進む。彼の影が偵察隊のように前方を探っている。


30分ほど歩くと、施設の明かりが見えてきた。



施設の外周フェンスの前で、僕たちは最終確認をした。


「侵入ルートは、研究棟の換気口からです」


黒田が指差す方向を見ると、建物の側面に小さな格子が見える。


「あそこから地下に降りて、目的の実験室に向かいます」


僕の心臓が激しく鼓動していた。もし見つかったら、今度こそ生きて帰れないかもしれない。


「大丈夫?」


凛が僕の手を握った。彼女の手も震えている。


「大丈夫。君がいるから」


僕は微笑んだ。嘘だった。大丈夫じゃない。でも、凛を安心させたかった。


「行きましょう」


黒田の影が先行して、警備の隙を確認する。


「今です」


僕たちはフェンスを越えて、施設の敷地内に入った。




換気口から建物内部に侵入するのは、思っていたより大変だった。


狭い通路を這いながら進み、地下の実験室エリアに到達する。途中、何度も警備員の足音が聞こえて、息を殺して待った。


「着きました」


黒田が囁いた。


換気口の格子から下を覗くと、薄暗い廊下が見える。ここが地下の実験エリアだ。


格子を外して、一人ずつ慎重に降りる。


廊下には無数の部屋があった。それぞれにナンバーが振られている。「実験室A-1」「実験室A-2」......


目的の部屋は「特別実験室S-1」。廊下の奥にあるはずだ。


足音を殺しながら進む。途中、いくつかの部屋から機械音が聞こえてきた。まだ実験が続いているのかもしれない。



「特別実験室S-1」の前に到着した。


ドアには電子ロックがかかっている。でも、凛の魔法があれば何とかなるだろう。


「電子機器に干渉する魔法、できる?」


「やってみます」


凛は手をロックにかざした。小さく呪文を唱えると、ピッという音と共にロックが外れた。


ドアを開けると、そこは僕たちが想像していたものとは全く違う部屋だった。


巨大なモニターがいくつも設置され、中央にはカプセル状の装置がある。その中に......


「人がいる」


凛が息を呑んだ。


カプセルの中に、若い女性が横たわっていた。目を閉じて、何本ものコードに繋がれている。生きているのか死んでいるのか分からない。


他にも数台のカプセルがあり、それぞれに人が入っていた。


「これは......」


僕は言葉を失った。


これは単なる研究ではなく、完全な人体実験だった。



部屋の奥に、コンピューターが設置されていた。


「データをコピーしましょう」


僕は急いでUSBメモリを挿し込んだ。膨大な実験記録がファイルとして保存されている。


「被験者No.47 - 治癒能力実験第15日目」 「被験者No.52 - 精神感応実験第8日目」 「被験者No.61 - 物質変換実験第22日目」


どのファイルも、人体実験の詳細な記録だった。被験者の苦痛、副作用、そして何人かの死亡記録まで。


「悠、急いで」


凛の声が緊迫していた。


「誰か来ます」


廊下から足音が近づいてくる。複数の人間だ。


僕は慌ててデータのコピーを続けた。あと30秒......あと15秒......


「完了」


USBメモリを引き抜いた瞬間、部屋の電気が点いた。


「動くな!」


振り返ると、佐々木と武装した警備員が銃を構えていた。



「田島さん、桐谷さん。お帰りなさい」


佐々木は冷笑していた。


「まさか、自分たちから戻ってきてくれるとは思いませんでした」


僕たちは完全に包囲されていた。


「テロリストの仲間になったと聞いていましたが、やはり洗脳されていたのですね」


「洗脳じゃありません」


凛が前に出た。


「私たちは真実を知りました。あなたたちが何をしているかを」


「真実?」


佐々木は首を振った。


「あなたたちは国家の貴重な資産です。個人の意志など関係ありません」


その時、部屋の電気が突然消えた。


「今です!」


黒田の声が闇の中に響いた。彼の影が警備員たちを拘束している間に、僕たちは逃げ出した。



なんとか施設から脱出した僕たちは、隠れ家に戻った。


USBメモリには、政府による超能力者虐待の決定的な証拠が入っていた。


「これで国連への告発は確実に成功します」


田中は興奮していた。


「世界中の人々が真実を知ることになる」


でも、僕は複雑な気持ちだった。あのカプセルの中の人たちは、まだ救われていない。


「次は救出作戦ですね」


凛が言った。


「あの人たちを助けなければ」


僕は頷いた。戦いはまだ始まったばかりだ。でも、今の僕たちには仲間がいる。希望がある。


そして何より、愛する人と共に戦う理由がある。


窓の外では、夜明けが近づいていた。新しい世界が始まろうとしている世界が。


第6章「過去」


国連告発まで残り1週間。隠れ家では24時間体制で準備が進められていた。


僕は証拠映像の編集作業を手伝っていた。施設から持ち帰ったデータを見るたびに、胸が痛くなる。カプセルの中で苦しむ人々の表情、実験データの冷酷な数値、そして何より──被験者たちの年齢の若さ。


「この子、まだ15歳じゃないですか」


画面に映る少年の顔を見て、僕は愕然とした。


「政府は子どもまで実験に使ってるんですか?」


ケンジが暗い表情で答えた。


「能力者の多くは思春期に覚醒する。だから、彼らは学校や家庭と連携して『問題児』を見つけ出し、『治療』の名目で施設に送り込むんです」


僕は拳を握った。あまりにも悍ましい。


その時、凛が僕の肩に手を置いた。


「悠、少し休憩しない?」


彼女の顔も疲れていた。この数日、彼女は他の能力者たちから自分の一族の歴史を聞き出していた。国連での証言に使うためだ。



凛と一緒に屋上に出ると、東京の夕景が広がっていた。


「疲れてる?」


「ちょっとね」


凛は手すりにもたれかかった。


「おばあちゃんに会いたい」


「おばあちゃん?」


「私の魔法を教えてくれた人。でも5年前に亡くなっちゃった」


凛は遠くを見つめていた。


「もしおばあちゃんが生きてたら、今の状況をどう思うかな」


僕は何と答えればいいかわからなかった。


「きっと、君を誇りに思うよ」


「そうかな......」


凛は小さく笑った。


「実は、私の一族の歴史って、思ってたより複雑なの」



その夜、凛は僕に家族の本当の歴史を話してくれた。


「桐谷家は、400年前から続く魔女の家系なの。でも、ただ隠れて生きてきただけじゃない」


凛は古い写真を見せてくれた。明治時代のものらしい、着物を着た女性の写真だ。


「これは私の曾祖母。第二次世界大戦中、彼女は政府に協力していた」


「協力?」


「魔法で敵軍の動きを探ったり、負傷した兵士を治したり。でも──」


凛の表情が暗くなった。


「戦争が終わると、政府は魔女を『危険な存在』として処分しようとした。曾祖母は間一髪で逃げ出したけど、他の多くの魔女が殺された」


僕は息を呑んだ。


「それが魔女狩りの始まりだったの。表向きは『戦犯』として処刑されたことになってるけど、本当は能力者の粛清だった」




翌日、田中から緊急招集がかかった。


「大変なことになりました」


田中の表情は深刻だった。


「政府が動き出しています。『自由の道』の存在を察知したようです」


会議室には全メンバーが集まっていた。


「昨夜、大阪支部が襲撃されました。メンバー7人全員が拘束され、施設に送られました」


僕の血が凍った。


「他の支部も危険です。政府は本気で私たちを潰しにかかっています」


美咲が手を上げた。


「私の能力で、今後24時間の危険を予知してみます」


彼女は目を閉じて集中した。しばらくして、顔を青ざめさせて目を開いた。


「だめです......今夜、ここも襲撃されます」



緊急避難の準備が始まった。


「重要な書類とデータはすべて別の安全な場所に移します」


田中が指示を出す。


「でも、国連告発はどうするんですか?」


僕が聞くと、田中は苦い表情を浮かべた。


「延期です。まずは身の安全を確保しなければ」


「だめ!」


凛が立ち上がった。


「延期したら、カプセルの中の人たちはどうなるんですか?もっと実験されて、もっと苦しんで......」


彼女の目に涙が浮かんでいた。


「私たちが諦めたら、誰が彼らを救うんですか?」


会議室が静まり返った。


「桐谷さんの言うとおりです」


真由美が口を開いた。


「私たちは逃げるためだけに集まったんじゃない。戦うために集まったんです」



結局、二手に分かれることになった。


一つのチームは避難と安全確保。もう一つのチームは国連告発の強行突破。


「僕たちも告発チームに参加します」


僕が手を上げると、田中は首を振った。


「危険すぎます。あなたたちは政府に最も狙われている」


「だからこそです」


凛が前に出た。


「私たちの証言が一番インパクトがある。世界中が私たちのことを知ってるから」


田中は長い間考えていたが、やがて頷いた。


「分かりました。でも、絶対に無茶はしないでください」



その夜、僕たちは別の隠れ家に移動した。


国連告発チームは6人。田中、僕、凛、ケンジ、真由美、そして新たに合流した国際弁護士の森下律子(45歳)。彼女は能力者ではないが、人権問題の専門家として「自由の道」に協力していた。


「国連人権委員会への告発は明日の午後です」


森下が資料を見せてくれた。


「世界中のメディアが注目する中での告発になります。成功すれば、各国政府も無視できなくなる」


でも、そう簡単にはいかないことは分かっていた。


午後11時、予想通り旧隠れ家が襲撃された。ケンジの監視カメラで確認すると、特殊部隊が建物を包囲していた。


「間一髪でしたね」


美咲の危険予知能力に救われた。



翌朝、僕たちは国連日本政府代表部のあるビルに向かった。


でも、ビルの周囲には明らかに政府の関係者と思われる人々が配置されていた。


「完全に包囲されています」


ケンジが電子機器で確認した。


「電波妨害装置も設置されています。メディアの中継を阻止するつもりです」


森下が携帯電話で連絡を取ろうとしたが、繋がらない。


「どうしましょう?」


その時、凛が提案した。


「私の魔法で、何とかなるかもしれません」


「どうやって?」


「広範囲の幻術。一時的に混乱を作り出して、その隙に中に入る」


田中が心配そうに見た。


「そんな大規模な魔法、体が持つんですか?」


「やってみます」


凛の決意は固かった。



午後2時、作戦開始。


凛は路地裏で魔法の準備をしていた。普段よりもはるかに大きな魔力を集めている。


「大丈夫?」


「何とか......」


凛の額に汗が浮かんでいた。


「始めます」


次の瞬間、ビル周辺が濃い霧に包まれた。それは普通の霧ではなく、魔法による幻術だった。政府の監視要員たちが混乱している隙に、僕たちは建物に駆け込んだ。


エレベーターで上階へ。国連の会議室では、各国の代表者たちが待っていた。


「お待ちしていました」


国連人権高等弁務官のマリア・ロドリゲス氏が迎えてくれた。


「日本政府からは出席を拒否する連絡がありましたが、予定通り進行します」



会議室には世界中のメディアが集まっていた。


CNN、BBC、フランス24、そして日本のメディアも。インターネット中継も行われている。


「それでは、告発者の証言を聞きましょう」


僕は緊張していた。世界中の人々が見ている前で、真実を語らなければならない。


「僕は田島悠です。そして、これは桐谷凛です」


カメラが僕たちを映した。


「僕たちは日本政府によって拉致され、人体実験の対象にされました」


会議室がざわめいた。


「証拠をご覧ください」


スクリーンに施設の映像が映し出された。カプセルの中の被験者たち、実験データの記録、そして政府関係者の会話記録。


各国の代表者たちの表情が変わった。



凛の証言が始まった。


「私は生まれながらの能力者です。でも、普通の生活を送りたかっただけでした」


彼女の声は震えていたが、確固とした意志を感じさせた。


「日本政府は私たちのような人間を『国家資産』として扱い、意志に反して実験を強制しています」


スクリーンに新しい映像が映った。子どもたちが実験を受けている様子だった。


「これは15歳の少年です。テレパシー能力を軍事利用するため、脳に電極を埋め込まれました」


会議室に衝撃が走った。


「私たちは逃げることしかできませんでした。でも、まだカプセルの中で苦しんでいる人たちがいます。彼らを救ってください」


凛は涙を流しながら訴えた。



質疑応答の時間、厳しい質問が飛んだ。


「これらの映像の信憑性は?」 「政府の反論に対してはどう答える?」 「他国でも同様のことが行われているのか?」


僕たちは一つ一つ丁寧に答えた。森下弁護士のサポートもあり、法的な観点からも説明できた。


そして最後に、ロドリゲス氏が立ち上がった。


「国連人権委員会として、この告発を重く受け止めます。各国政府に対し、能力者の人権保護に関する新たなガイドラインの策定を求めます」


会議室に拍手が響いた。


僕たちはやった。世界に真実を伝えることができた。



告発から一週間後、世界は大きく変わり始めていた。


日本政府は国際的な圧力により、能力者政策の見直しを発表した。秘密施設の存在も認め、被験者の解放を約束した。


僕たちは一時的にアメリカの人権団体の保護下に置かれていた。東京を離れるのは寂しかったが、安全のためには仕方がない。


「ニューヨークの景色、きれいだね」


ホテルの窓から摩天楼を眺めながら、凛が言った。


「でも、やっぱり日本に帰りたい」


「そうだね。いつか必ず帰ろう」


僕は彼女の手を握った。


テレビでは連日、能力者問題が報道されていた。各国で同様の施設が発見され、多くの被験者が解放されている。


僕たちの戦いは終わったわけではない。でも、少なくとも世界は正しい方向に向かい始めていた。


そして何より、凛と僕は一緒にいる。それだけで、どんな困難も乗り越えられる気がした。


窓の外では、自由の女神像が夕日に照らされていた。真の自由を手に入れるまで、まだ時間はかかるだろう。


でも、僕たちには希望がある。仲間がいる。そして、愛がある。


それで十分だった。


第7章「決戦」


国連告発から3ヶ月が過ぎた。


僕たちはニューヨークで新しい生活を始めていた。国際人権団体のサポートを受けながら、世界各国の能力者支援活動に参加している。


でも、心の奥では常に日本のことを考えていた。


「政府は約束を守ってるの?」


朝のニュースを見ながら、凛が聞いた。日本政府は国際的な圧力により、能力者政策の抜本的な見直しを約束していた。秘密施設の閉鎖、被験者の解放、そして新しい法的枠組みの構築。


「表面的にはね」


僕は苦い表情で答えた。


「でも、田中さんからの連絡によると、実際はそう簡単じゃないらしい」


田中リーダーは現在、カナダに避難している。「自由の道」の残存メンバーと連携を取りながら、日本国内の状況を監視し続けていた。


「一部の施設は確かに閉鎖された。でも、より秘密度の高い地下施設に移転しただけかもしれない」


僕のスマホに田中からのメッセージが届いた。『緊急事態。至急連絡を』



ビデオ通話で田中と話すと、彼の表情は深刻だった。


「大変なことになりました。ユウタが消えたんです」


ユウタ──テレパシー能力を持つ17歳の少年。僕たちが「自由の道」で出会った仲間の一人だ。


「消えたって、どういうことですか?」


「昨日、カナダの保護施設から姿を消しました。監視カメラにも映っていない。まるで最初からいなかったみたいに」


凛が息を呑んだ。


「拉致されたんですか?」


「可能性は高いです。そして問題はそれだけじゃない」


田中は別の資料を画面に映した。


「他の国でも、同様の失踪事件が相次いでいます。アメリカで2人、イギリスで1人、ドイツで3人。すべて国連告発後に保護された能力者たちです」


僕は戦慄した。まさか......


「政府間の密約があるんじゃないでしょうか?」


田中が頷いた。


「各国が協力して、能力者を再び秘密裏に確保している可能性があります」



その夜、僕たちのアパートに予期せぬ来訪者があった。


ドアを開けると、見知らぬ東洋系の男性が立っていた。40代前半、スーツを着た政府関係者のような風貌だ。


「田島悠さん、桐谷凛さん。お時間をいただけますか」


僕は警戒した。でも、男性は両手を上げて敵意がないことを示した。


「私は李明浩と申します。韓国国家情報院の者です」


韓国の諜報機関?


「ご心配なく。あなたたちを害するつもりはありません。むしろ、協力をお願いしたいのです」


李は部屋に入ると、驚くべき話を始めた。


「実は、韓国でも同様の能力者研究が行われています。そして最近、日本との間で『共同研究協定』が秘密裏に締結されました」


「共同研究?」


「各国で確保した能力者を交換し、より効率的な研究を進める。表向きは人道的な保護と治療ということになっていますが......」


李の表情が暗くなった。


「実際は、国際的な能力者売買システムです」



李の話は衝撃的だった。


国連告発後、表面的には各国政府が能力者の人権保護を約束した。でも実際には、より巧妙で組織的な研究体制を構築していた。


「『国際能力者研究コンソーシアム』という組織があります」


李は秘密資料を見せてくれた。


「アメリカ、日本、韓国、中国、ロシア、イギリス。主要6カ国が参加しています」


資料には恐ろしい計画が記されていた。能力者の分類、効率的な実験方法、そして「軍事転用プログラム」。


「各国が能力者を『商品』として取引しています。治癒能力者は医療研究に、テレパシー能力者は情報戦に、そして......」


李は凛を見た。


「魔法使いは最高級品として扱われています」


凛の顔が青ざめた。


「なぜ教えてくれるんですか?」


僕が聞くと、李は苦しそうな表情を浮かべた。


「私の娘も能力者なのです」



李明浩の娘、李ソヨンは19歳のテレキネシス能力者だった。


「3ヶ月前、韓国政府に『保護』されました。でも実際は、このコンソーシアムの研究施設に送られています」


李は娘の写真を見せてくれた。凛と同じくらいの年齢の、美しい女性だった。


「私は政府の人間として、この計画に関わっていました。でも、自分の娘が対象になって初めて気づいたんです。これがどれほど悍ましいことかを」


李は僕たちに協力を求めた。


「あなたたちの力で、この組織を内部から暴露してほしいのです」


「どうやって?」


「コンソーシアムは来月、東京で第1回国際会議を開催します。各国の研究責任者と、『最高級の能力者サンプル』が集められます」


僕は嫌な予感がした。


「まさか、僕たちを......」


「囮にするつもりです。あなたたちが『自発的に』研究に協力すると偽って、会議に潜入してもらいたい」



李の提案は危険すぎた。


でも、同時に唯一の方法でもあった。このコンソーシアムを止めなければ、世界中の能力者が永久に奴隷として扱われることになる。


「時間をください」


僕は答えた。


「明日までに決断します」


李が帰った後、僕と凛は長い間話し合った。


「やるべきだと思う」


凛が最初に口を開いた。


「私たちが国連で証言したのは、こういう状況を止めるためでしょ?」


「でも、今度は命の保証がない」


「最初からないよ。私たちが普通の生活に戻れる保証も」


凛は窓の外を見つめた。


「ユウタや、李さんの娘さんや、まだ捕まってる人たちを助けたい」


僕は彼女の横顔を見つめた。こんなにも強く、美しい人を愛しているんだと改めて思った。


「分かった。やろう」



翌日、僕たちは李と再び会った。


「決めました。協力します」


李の顔に安堵の表情が浮かんだ。


「ありがとうございます。でも、危険は承知していてください」


作戦の詳細が説明された。僕たちは「研究に自主的に協力する意思を示した能力者」として、コンソーシアムの会議に参加する。そこで内部の様子を記録し、証拠を掴む。


「でも、どうやって外部と連絡を?」


「心配いりません」


李は小さな装置を見せた。


「最新の小型カメラです。体内に埋め込むことで、すべてを記録できます」


僕は震え上がった。体内に異物を入れるなんて。


「他に方法は?」


「ありません。会議場は完全にシールドされています。通常の通信機器は使えません」


凛が前に出た。


「やります。私の魔法で、もう少し安全にできるかもしれません」



手術は韓国系の医師によって行われた。


局所麻酔で、腕の内側に米粒大の装置を埋め込む。同時に、緊急時の位置情報発信機も埋め込まれた。


「痛い?」


手術後、凛が心配そうに聞いた。


「大丈夫」


実際は痛かったが、それよりも恐怖の方が大きかった。1週間後には東京に向かい、敵の本拠地に潜入することになる。


李は最終的な作戦の確認をした。


「コンソーシアムの会議は3日間です。1日目は各国の研究発表、2日目は能力者の『デモンストレーション』、3日目は今後の計画策定」


「デモンストレーション?」


「能力者たちに実際に力を使わせて、各国の関係者に見せるのです。品評会のようなものです」


僕は吐き気を覚えた。人間を商品のように扱うなんて。


「証拠を掴んだら、どうやって脱出するんですか?」


「それは......」


李は言葉を濁した。


「正直に言いますが、脱出は困難かもしれません。でも、記録した映像は自動的に世界中のメディアに配信されます」


つまり、僕たちの命と引き換えに真実を暴露するということだった。



出発の前夜、僕たちは最後の夜をニューヨークで過ごした。


「後悔してない?」


凛に聞かれて、僕は首を振った。


「君と一緒なら、どんなことでも乗り越えられる」


「私もよ」


凛は僕の胸に顔を埋めた。


「最初に動画を投稿した時のこと、まだ恨んでる?」


「恨んでない。あれがなかったら、私たちは出会えなかった」


僕は彼女を強く抱きしめた。


「出会えて、本当によかった」


翌朝、僕たちは成田空港行きの飛行機に搭乗した。李も一緒だ。表向きは「韓国政府が保護していた能力者を、研究協力のため日本に送還する」ということになっている。


機内から見る太平洋は美しかった。でも、これが最後の自由な時間になるかもしれなかった。



東京に到着すると、佐々木が迎えに来ていた。


「田島さん、桐谷さん。お帰りなさい」


あの冷たい笑みは変わらない。


「今度は自分から協力していただけるとのことですが」


「はい」


僕は平静を装って答えた。


「逃げ回るのに疲れました。それに、自分たちの能力が役に立つなら」


佐々木は満足そうに頷いた。


「素晴らしい。明日から始まる会議で、各国の研究者たちにあなたたちの能力を披露していただきます」


車で向かったのは、都心にある高級ホテルだった。でも、周囲の警備は異常に厳重だ。


「こちらが会議場となるホテルです。期間中は外出禁止となりますが、快適に過ごしていただけるでしょう」


つまり、軟禁状態ということだ。



ホテルの部屋に案内されると、そこには他の能力者たちもいた。


アメリカから来たという念動力使いの男性、イギリスの透視能力者の女性、そして......


「ユウタ!」


隅の方に座っていたのは、行方不明になっていたユウタだった。でも、彼の様子がおかしい。目が虚ろで、反応が鈍い。


「ユウタ、大丈夫?」


凛が駆け寄ったが、ユウタは僕たちを認識しているのかどうかも分からない状態だった。


「薬物を投与されているようです」


小声で話しかけてきたのは、李さんの娘のソヨンだった。


「私もここに連れてこられて1ヶ月になります。他の人たちも、みんな意識がもうろうとしています」


僕は愕然とした。


「どんな薬物を?」


「詳しくは分かりませんが、能力を強制的に引き出すものらしいです。でも、副作用で精神状態がおかしくなってしまう」


これは想像以上に悍ましい状況だった。



その夜、僕たちは部屋で作戦を確認した。


「明日から3日間、すべてを記録する」


僕は腕に埋め込まれた装置を確認した。


「でも、薬物を投与されたらどうしよう」


「私の魔法で何とかなるかもしれない」


凛は小声で答えた。


「解毒の魔法もあるの。完全じゃないけど、意識を保つくらいはできるはず」


翌朝、いよいよ会議が始まった。


大会議室には各国の研究者、政府関係者、軍人たちが集まっていた。総勢50人以上。これが世界中の能力者を支配しようとしている連中だった。


「それでは、第1回国際能力者研究コンソーシアム会議を開催いたします」


司会者の声が響いた。


「本日は各国から貴重な『サンプル』をお持ちいただき、ありがとうございます」


サンプル──僕たちは人間ではなく、実験材料として扱われていた。


僕は拳を握りしめた。この3日間で、必ず証拠を掴んでみせる。


そして、この悍ましいシステムを完全に破壊してやる。


会議室の大スクリーンに、各国の研究成果が映し出され始めた。


「それでは、まずアメリカの研究結果から発表していただきましょう」


長い戦いの、最終章が始まろうとしていた。


第8章「暴露」


「それでは、まずアメリカからの研究成果を発表していただきます」


大スクリーンに映し出されたのは、想像を絶する光景だった。


「被験者No.7-A、念動力レベル8の男性です。我々の新薬『エンハンサー3』の投与により、能力出力が300%向上しました」


映像には、拘束された男性が薬物を注射され、苦悶の表情で物体を動かしている様子が映っていた。その男性は、僕たちがホテルで見たアメリカ人能力者だった。


「ただし、副作用として記憶障害と人格変容が見られます」


研究者は無感情に報告を続けた。


「長期使用により、被験者の自我は完全に消失。理想的な『兵器』として運用可能です」


会議室の参加者たちが興味深そうに頷いている。人間を兵器として扱うことに、誰も疑問を感じていない。


僕の腕に埋め込まれたカメラが、すべてを記録していた。



次は日本の番だった。


佐々木がプレゼンテーションを行う。


「我々は『魔女』と呼ばれる特殊能力者の研究で大きな成果を上げました」


スクリーンに凛の写真が映った。僕の隣で、凛が身体を硬くする。


「被験者No.J-1、通称『桐谷凛』。彼女の能力は既存の物理法則を超越しており、軍事転用の可能性は無限大です」


佐々木は凛の過去の実験データを見せた。施設にいた時のものだ。


「特に興味深いのは、彼女の能力が感情と密接に関連していることです。恐怖や怒りの状態では、通常の10倍以上の出力を発揮します」


会議室がざわめいた。


「つまり、適切なストレス下に置くことで、核兵器に匹敵する破壊力を引き出せる可能性があります」


僕は吐き気を覚えた。凛を人間兵器として使おうとしているのだ。



韓国の発表が始まった。


「我々はテレキネシス能力者の大脳皮質に直接電極を埋め込む実験を行いました」


李明浩が壇上に立った。表面的には冷静だったが、僕には彼の内心の苦悩が伝わってきた。


「被験者No.K-3、19歳の女性です」


スクリーンに映ったのは、頭部に無数の電極を取り付けられたソヨンだった。李の娘だ。


「電気刺激により、意識を失った状態でも能力を発動させることが可能になりました」


映像の中で、ソヨンは目を閉じたまま、部屋中の物体を空中に浮遊させていた。まるで操り人形のように。


「これにより、能力者の意思に関係なく、24時間体制での運用が可能です」


李の声が微かに震えていた。自分の娘を使った実験結果を発表させられているのだ。



中国とロシアの発表も同様に恐ろしいものだった。


中国は「能力者の遺伝子改変」について報告した。生まれたばかりの能力者の赤ちゃんに遺伝子操作を施し、より強力な能力を持たせる研究だった。


ロシアは「能力の人工移植」を発表した。能力者から脳組織の一部を摘出し、一般人に移植することで、人工的に能力者を作り出すという内容だった。


最後にイギリスが「能力者クローン」の研究を発表した。優秀な能力者のDNAから、量産型のクローンを作り出すプロジェクトだった。


すべてが人道を完全に無視した、悍ましい研究だった。


「以上で各国の発表を終わります」


司会者が立ち上がった。


「明日は実際に能力者たちに力を発揮してもらい、各国で情報交換を行います」


つまり、僕たちが実験動物として使われる番だった。




すべての発表が終わり、会議室に休憩のざわめきが広がった。僕はテーブルの下で、凛の手を握った。彼女の掌は異常に冷たい。


「大丈夫か、凛?」


「ええ……なんとか。でも、解毒の魔法がもたないかもしれない」


昨夜、ユウタたちのために使った解毒と意識維持の魔法は、彼女の体を蝕んでいた。コンソーシアム側が投与する薬物は強烈で、凛は自分の生命力を削ってそれを中和し続けている状態だった。


「残りのエネルギーは?」


「通常時の三分の一。これ以上、大規模な魔法は使えない。隠蔽されていた力の残滓が、暴れ回っているみたい」


彼女はそう言いながら、そっと腕の内側の装置を触った。記録は順調に進んでいる。


その時、司会者が壇上に戻ってきた。


「さて、次は本日のハイライトです。いよいよ各国からお連れいただいた貴重なサンプルのデモンストレーションに移ります」


僕たちの番だ。凛は顔を引きつらせながら立ち上がった。



デモンストレーションの舞台は、会議室の片隅に設けられた特殊な強化ガラスのブースだった。


「まずは、日本から。我々がJ-1と呼ぶ、<最高の魔女ウィッチ>の能力をご覧ください」


佐々木が勝ち誇った顔で僕たちをブースに押し込んだ。強化ガラスのドアが閉まる。


「彼女には、このブース内に設置されたチタン合金の塊を宙に浮かせていただきます」


凛は目を閉じた。集中し、手のひらをチタン合金に向けた。


普段なら、彼女にとって軽い小石を浮かせているような簡単な作業だ。しかし、今回は違った。


彼女の額に汗が滲む。魔法を制御するための白い光が、手のひらの上で激しく点滅している。光は不安定で、まるで嵐の前の雷のようにバチバチと音を立てた。


「どうした、J-1。早くやれ!」


ブースの外から佐々木が苛立ちを込めて叫んだ。凛は歯を食いしばり、全身の力を絞り出す。


チタン合金の塊が、僅か数ミリ、震えるように浮いた。次の瞬間、魔法の光が弾けるように消え、塊はドスンと音を立てて床に落ちた。


「ダメっ!」


凛は膝をつき、激しく咳き込んだ。目の前が真っ白になり、全身の力が抜けていく。


「魔法が……制御できない……!」


彼女の力が、極度の消耗と薬物の干渉によって暴走と弱体化を同時に起こし始めている。



会議室に嘲笑が広がった。


「なんだ、失敗か」


「チタン合金も持ち上げられないのか。所詮は気まぐれな『魔法』か」


佐々木は顔を真っ赤にして激怒していた。


「おい、J-1! 何をやっている!すぐにやり直せ!」


彼はブースに駆け寄り、ガラスを叩いた。


僕たちは絶体絶命だった。このままでは能力がないと判断され、即座に「兵器」ではなく「実験体」として地下に送られる。


その時、隣のブースにいたソヨンが、虚ろな目を開けたまま、微かに首を振った。そして、微弱なテレキネシスの力を、凛が落としたチタン合金に送った。


チタン合金が、再び微かに浮上する。


凛は、ソヨンの無言の協力に気づき、絞り出すような声で言った。


「……もう一度……」


彼女は残された最後の力で、ソヨンの補助に自分の不安定な魔法を重ねた。二人の能力が、不協和音を立てながら融合する。


なんとかチタン合金を床から十センチ浮かせることに成功した瞬間、ブースの外から拍手が起こった。


「よし!成功だ! やはり最高のサンプルだ!」


佐々木は汗を拭い、興奮気味に言った。僕たちは辛うじて危機を脱したが、能力の限界が明確になった瞬間だった。このままでは、脱出はおろか、明日を迎えることすら危うい。



その夜、僕たちは部屋で対策を練っていた。


「明日、薬物を投与されるかもしれない」


凛は小声で話した。


「でも、私の魔法で解毒できるかもしれない。問題は、どうやってみんなを助けるか」


ユウタはまだ正常な意識を取り戻していなかった。他の能力者たちも同様だ。


「とりあえず、すべてを記録することに集中しよう」


僕は腕のカメラを確認した。


「これまでの映像だけでも、世界中に衝撃を与えられるはず」


その時、ドアがノックされた。


「どなた?」


「私です」


李明浩の声だった。


ドアを開けると、李が一人で立っていた。表情は深刻だった。


「話があります」



李は部屋の中を確認してから、小声で話し始めた。


「明日の実験で、あなたたちは危険な状況に置かれます」


「どういうことですか?」


「各国の研究者たちは、あなたたちの限界を試そうとしています。特に桐谷さんの場合......」


李は凛を見た。


「彼らは『恐怖による能力増幅』を実際に試すつもりです」


僕の血が凍った。


「つまり?」


「あなたに危害を加えることで、桐谷さんの怒りを引き出し、最大出力の魔法を発動させる」


凛が震えた。


「そんな......」


「最悪の場合、田島さんが殺される可能性もあります」


僕は立ち上がった。


「だったら、今すぐここから逃げましょう」


「無理です。警備が厳重すぎる」


李は首を振った。


「でも、一つだけ方法があります」



李の提案は大胆だった。


「明日の実験中に、私が内部から妨害工作を行います。その隙に、記録された映像を外部に送信するのです」


「でも、そんなことをしたら、あなたの立場が......」


「もう覚悟はできています」


李は決意に満ちた表情だった。


「娘を救えないなら、せめて他の能力者たちを救いたい」


「具体的にはどうするんですか?」


「会議室の通信システムをハッキングします。記録映像を世界中のメディアに同時配信するのです」


それは自殺行為に等しかった。でも、他に方法はない。


「分かりました。僕たちも協力します」


僕は李の手を握った。


「明日、すべてを賭けましょう」



翌朝、2日目の会議が始まった。


「本日は『実演デモンストレーション』を行います」


会議室の中央に、様々な実験装置が用意されていた。まるで処刑台のように見える。


「まず、アメリカの念動力能力者から始めましょう」


薬物でもうろうとした男性が連れてこられた。彼は自分が何をしているのかも分からない様子だった。


「ターゲットはこちらです」


部屋の向こうに、厚さ30センチの鉄板が設置された。


「エンハンサー3を追加投与し、破壊力を測定します」


男性に注射が打たれると、彼は苦痛で叫び声を上げた。そして、鉄板に向かって手を伸ばす。


次の瞬間、鉄板が粉々に砕け散った。


「素晴らしい!」


各国の関係者たちが拍手した。でも男性は、鼻や口から血を流して倒れた。


「少々副作用が強いようですが、威力は申し分ありませんね」


佐々木が冷淡に評価した。


そして、次は僕たちの番だった。



「日本の『魔女』のデモンストレーションを行います」


凛が会議室の中央に連れて行かれた。僕も一緒に行こうとしたが、警備員に制止された。


「まず、通常状態での能力を確認します」


佐々木が指示した。


「あちらのろうそくに火を灯してください」


凛は震えながら、小さな魔法でろうそくに火を灯した。


「次に、ストレス状態での能力測定を行います」


僕の心臓が止まりそうになった。ついに来たのだ。


「田島さん、こちらへ」


僕は強制的に凛の隣に連れて行かれた。


「桐谷さん、恋人を守りたければ、最大出力で魔法を使ってください」


佐々木は銃を取り出して、僕の頭に突きつけた。


「3秒以内に、あの壁を破壊してください。さもないと......」


その時だった。



突然、会議室のすべてのスクリーンが点滅した。


「何事だ?」


参加者たちがざわめく中、大スクリーンに映像が映し出された。


それは、この3日間で記録されたすべての実験映像だった。人体実験の様子、薬物投与の場面、そして今まさに行われている「デモンストレーション」の映像。


「これは......」


佐々木が狼狽した。


同時に、世界中のメディアにも同じ映像が配信されていた。CNN、BBC、NHK、すべての主要ニュース番組で、リアルタイムで放送されている。


「李! 貴様の仕業か!」


韓国の代表団の一人が立ち上がった。でも李明浩の姿は、すでに会議室になかった。


「全世界に配信されています!」


技術者の一人が報告した。


「もう止められません!」


会議室は完全にパニック状態になった。



混乱に乗じて、僕は凛の手を握った。


「今のうちに逃げよう」


でも、凛は首を振った。


「だめ。みんなを助けなきゃ」


彼女はユウタや他の能力者たちを見つめた。


「私の魔法で、薬物を中和できるかもしれない」


「でも危険すぎる」


「大丈夫。あなたがいるから」


凛は僕に微笑んだ。そして、両手を広げて魔法を発動した。


温かい光が会議室全体を包んだ。それは治癒の魔法だった。薬物の影響を受けていた能力者たちの目に、少しずつ意識が戻ってくる。


「ユウタ!」


ユウタが目を覚ました。


「凛? 田島さん?」


「大丈夫、もう安全よ」


でも、その時だった。



「動くな!」


佐々木が再び銃を構えた。今度は凛に向けて。


「これ以上の妨害は許さない」


会議室の他の参加者たちも、次々と武器を取り出した。完全に包囲されている。


「あなたたちのせいで、我々の計画が台無しになった」


「当然です」


凛が毅然として答えた。


「人間を実験動物として扱うような計画は、破綻して当然です」


「黙れ!」


佐々木が引き金を引こうとした瞬間──


会議室のドアが爆破された。


「動くな! FBI だ!」


武装した特殊部隊が突入してきた。アメリカの捜査官たちだった。


「国際人権法違反および人身売買の容疑で、全員を逮捕する」


李明浩の情報提供により、各国の法執行機関が一斉に行動を開始していたのだ。



その日の夕方、僕たちは東京湾を見下ろすホテルの一室にいた。


もう逃亡者ではない。世界的な英雄として、各国のメディアが取材を求めている。


「終わったね」


凛が窓から夕日を眺めながら言った。


「本当に終わったのかな」


僕は複雑な気持ちだった。


テレビでは、世界各国で能力者研究施設の摘発が行われているニュースが流れている。逮捕者は数百人に上り、救出された能力者たちも同じ数だけいた。


「ユウタたちは大丈夫?」


「うん。病院で治療を受けてる。完全に回復するまで時間はかかるけど」


李明浩は韓国で英雄として扱われていた。娘のソヨンも無事に救出され、現在はリハビリを受けている。


「これからどうしよう?」


凛が僕を見つめた。


「普通の生活に戻れるかな?」


僕は彼女の手を握った。


「戻れるよ。今度こそ、本当の意味で自由になったんだから」


窓の外では、東京の夜景が輝き始めていた。


僕たちの長い戦いは、ようやく終わった。そして、新しい人生が始まろうとしていた


第9章「新世界」


コンソーシアム事件から1年が過ぎた。


僕たちは故郷の日本に戻り、東京郊外の小さなアパートで新しい生活を始めていた。もう逃亡者ではない。世界は能力者の存在を受け入れ、共存への道を歩み始めている。


「おはよう」


朝のキッチンで、凛がコーヒーを淹れてくれている。以前とは違って、表情に安らぎがあった。


「今日も講演?」


「うん。今度は京都大学」


僕は現在、各地の大学や研究機関で講演を行っている。「能力者の人権と社会統合」がテーマだ。一年前なら想像もできなかった仕事だった。


凛は「能力者支援センター」でカウンセラーとして働いている。政府が新設した機関で、能力者の社会復帰を支援する仕事だ。


「昨日、新しい相談者が来たの」


凛がソファに座りながら話した。


「14歳の女の子。テレパシー能力者だけど、親に理解してもらえなくて家出してきたって」


こうしたケースは今でも多い。社会の意識は変わりつつあるが、個人レベルでの偏見はまだ根強い。



午前中、僕は新宿の出版社を訪れていた。


「田島さん、お疲れ様です」


編集者の佐野さんが迎えてくれた。僕は現在、一連の体験を本にまとめる作業を進めている。


「原稿、拝読させていただきました。素晴らしい内容です」


「ありがとうございます」


「特に、桐谷さんとの関係性の描写が印象的ですね。愛情と信頼が、どれほど人を強くするか」


僕は少し照れた。確かに、凛がいなければ僕は何もできなかっただろう。


「ただ、一点気になることが」


佐野さんの表情が真剣になった。


「最近、ネット上で『能力者特権論』のような意見が増えているようですが」


僕も同じことを懸念していた。


能力者の社会復帰が進む一方で、一部の人々からは「能力者が優遇されすぎている」という批判も出始めていた。



午後、僕は渋谷のカフェで古い友人と待ち合わせしていた。


「久しぶり」


現れたのは山田だった。大学時代の先輩で、最初に僕たちが頼った相手だ。


「元気そうだな。テレビでよく見るよ」


「お疲れ様」


山田は今も IT 系の仕事をしているが、裏では「自由の道」の活動も続けている。


「実は、相談があるんだ」


山田の表情が深刻になった。


「最近、妙な動きがある。コンソーシアムは壊滅したはずなのに、似たような組織が復活しつつあるらしい」


僕の血が凍った。


「どういうことですか?」


「詳しくは分からない。でも、ネット上で能力者の個人情報を収集している集団がいる。『新世界秩序』を名乗っているらしい」


新世界秩序──不吉な名前だった。


「田中さんは何か知ってる?」


「カナダから戻ってきたばかりだ。今度、会ってくれるって」



夕方、僕は凛の職場に迎えに行った。


「お疲れ様」


凛は疲れた表情をしていた。


「今日はどうだった?」


「難しいケースがあって......」


歩きながら、凛が話してくれた。


「16歳の男の子なんだけど、炎を操る能力があるの。でも、コントロールできなくて、学校で事故を起こしちゃった」


能力者の中でも、破壊的な力を持つ者の社会復帰は特に困難だった。


「両親は理解してくれてるんだけど、学校や近所の人たちが......」


「偏見は簡単にはなくならないね」


「そうなの。法律は変わったけど、人の心はすぐには変わらない」


その時、凛が急に立ち止まった。


「何?」


「誰かに見られてる」


凛の能力で、僕たちを監視している人がいることが分かった。



振り返ると、遠くにカメラを構えた男性がいた。


「マスコミ?」


でも、その男性は慌てて逃げていった。普通の記者の行動ではない。


「気味が悪いね」


「最近、こういうことが多いの」


凛は不安そうだった。


「職場でも、変な電話がかかってきたり」


僕は山田の話を思い出した。能力者の個人情報を収集している組織。


「明日、山田さんと田中さんに会おう」


「何かあったの?」


「よく分からないけど、注意した方がいいかもしれない」


その夜、僕たちは久しぶりに警戒しながら帰宅した。



翌日、下北沢の古いカフェで田中さんと再会した。


「お久しぶりです」


田中さんは相変わらず頼もしい風貌だったが、表情は厳しかった。


「山田さんから聞きました。新しい組織の話」


「ええ。『新世界秩序』と名乗る集団です」


田中さんは資料を見せてくれた。


「表向きは『能力者の平等な社会参加を促進する市民団体』ということになっています」


「何が問題なんですか?」


「彼らの本当の目的は、能力者の完全な管理と支配です。コンソーシアムとは違う方法で」


資料には恐ろしい計画が記されていた。


「能力者登録制度の義務化、居住地域の制限、職業選択の制限。そして最終的には......」


田中さんは一呼吸置いた。


「能力者だけの隔離都市の建設です」



「隔離都市?」


凛が震え声で聞いた。


「現代版のゲットーです」


田中さんは苦い表情を浮かべた。


「表向きは『能力者が安心して暮らせる理想都市』ということになっていますが、実際は監獄です」


それは新たな形の差別だった。


「でも、そんなこと許されるんですか?」


「残念ながら、一定の支持を得ています」


田中さんは別の資料を見せた。


「コンソーシアム事件の後、能力者への注目が高まりました。でも、それは必ずしも良い方向だけではありません」


確かに、最近のニュースでは能力者関連の事故や事件も多く報道されていた。


「一部の政治家や経済界の人間が、この組織を支援しています」


「具体的には?」


「国会議員の30%が賛同し、大手企業の40%が資金提供をしています」


僕は愕然とした。これは想像以上に大きな問題だった。



その夜、僕たちは対策を話し合った。


「また戦わなければならないの?」


凛は疲れ切った表情だった。


「せっかく平和な生活が始まったのに」


僕も同じ気持ちだった。でも、放置するわけにはいかない。


「今度は違う方法で戦おう」


「どういう意味?」


「暴力や秘密工作じゃなくて、正面から。法的な手段で」


僕には考えがあった。


「世論を味方につけるんだ。僕たちの体験を本にするだけじゃなくて、もっと積極的に活動しよう」


凛が少し明るい表情になった。


「講演活動を増やすの?」


「それもそうだし、他の能力者たちとも連携して、大規模な市民運動を起こそう」


翌日から、僕たちは新しい戦いを始めることになった。今度は武器ではなく、言葉と行動で。



1週間後、僕たちは全国の能力者支援団体との連携会議を開いていた。


会場には50人以上の能力者とその支援者たちが集まっていた。ユウタの姿もあった。彼は完全に回復し、現在は大学で心理学を学んでいる。


「新世界秩序の脅威は現実のものです」


僕が冒頭で説明した。


「彼らは法的な手段で、僕たちを再び檻に閉じ込めようとしています」


会場がざわめいた。


「でも、僕たちにはコンソーシアムと戦った経験があります。そして何より、仲間がいます」


凛が立ち上がった。


「私たちは一人じゃない。世界中に理解者がいます」


彼女の言葉に、会場から拍手が起こった。


「能力者市民権運動を始めましょう」


美咲が提案した。


「平和的な手段で、社会の理解を深めていくのです」


こうして、新しい運動が始まった。



市民権運動は予想以上の広がりを見せた。


SNSでは #SuperpowerRights のハッシュタグが世界中でトレンドになった。各国の能力者たちが自分たちの体験を共有し、連帯を示している。


「すごい反響ですね」


ケンジが最新の数値を報告してくれた。


「投稿数は100万件を超えています。そのうち8割が支援的な内容です」


でも、反対派の動きも活発化していた。


「新世界秩序も対抗キャンペーンを始めています」


彼らは #SafetyFirst というハッシュタグで、能力者の危険性を強調するプロパガンダを展開していた。


「でも、僕たちには事実があります」


僕は自信を持って言った。


「真実は必ず伝わるはずです」



運動開始から1ヶ月後、転機が訪れた。


アメリカで開催された国際人権会議で、僕たちの訴えが取り上げられたのだ。


「能力者隔離政策は明確な人権侵害です」


国連人権高等弁務官のロドリゲス氏が声明を発表した。


「いかなる理由があろうとも、特定の集団を隔離することは許されません」


これにより、国際的な世論が僕たちの味方についた。


日本政府も方針転換を余儀なくされた。


「能力者隔離都市計画は中止します」


総理大臣が記者会見で発表した。


「代わりに、能力者の社会統合を更に推進します」


僕たちの新しい戦いは、勝利に終わった。



市民権運動の成功から半年後、僕たちは重要な決断を下していた。


「結婚しよう」


僕が凛にプロポーズしたのは、最初に出会った夜のコンビニの前だった。


「はい」


凛は涙を流しながら頷いた。


「長い道のりだったけど、やっと普通の幸せを手に入れられるね」


結婚式は小さなものだった。仲間たちと家族だけを招いて、東京の小さな教会で行われた。


田中さんが乾杯の音頭を取った。


「田島さん、桐谷さん。いや、田島さん、田島さん」


会場に笑いが起こった。


「あなたたちの愛が、僕たち全員に勇気を与えてくれました」


僕は凛の手を握った。すべてはここから始まったのだ。



結婚から2年後、僕たちには子どもが生まれた。


「パパに似てる」


凛が赤ちゃんを抱きながら微笑んだ。


「能力者かな?」


「どちらでもいいよ」


僕は妻と子どもを見つめた。


「この子には、自由に生きてほしい」


窓の外では、東京の街が平和に広がっている。能力者と一般人が共存する、新しい世界だった。


まだ完璧ではない。偏見や問題も残っている。でも、確実に良い方向に向かっている。


そして、僕たちには仲間がいる。愛する家族がいる。希望がある。


それで十分だった。


僕の彼女は魔女だった。でも今は、僕の妻で、子どもの母親だ。


そして何より、僕が世界で一番愛している人だった。


                           -完-



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ