揺れる心、遠ざかる距離
校外学習から数日が経った。
楽しかったはずの一日を思い出すたび、桜花の胸には妙なざわつきが広がっていた。
──すごいよ、直哉。
観光地でのファン対応、堂々とした姿。あの瞬間の直哉は、まさしく“スター”だった。
けれど同時に、強烈な現実を突きつけられたような気がしていた。
(やっぱり……彼は特別すぎる。私なんかが隣にいちゃ、ダメなんだ)
その思い込みは日ごとに強くなり、気づけば彼に声をかけるのを避けるようになっていた。
廊下ですれ違っても目を合わせず、チャットの返信も一拍どころか一日空けてしまう。
直哉は最初こそ不思議そうにしていたが、やがて苦笑を浮かべて「無理してないか?」と聞くだけになった。その優しささえ、今の桜花には胸を刺す。
放課後。窓から差し込む西日が教室をオレンジに染める中、桜花は机に突っ伏していた。
「はぁ……」
大きなため息をついたその瞬間、背後から声が飛んできた。
「サクラ、なんか最近元気ないよね」
顔を上げると、親友の松本琳子がこちらを見下ろしていた。手には購買で買ったメロンパン。
「な、なにそれ。私、別に元気ないわけじゃ──」
「嘘」
即答され、桜花は固まった。琳子は椅子を引っ張り、桜花の机にドンと肘をついて覗き込む。
「サクラってさ、わかりやすいんだよね。悩んでるとき、顔にぜーんぶ出てる」
「……そんなに?」
「うん。だから誤魔化しても無駄。何があったの?」
桜花はしばし迷った。胸の奥に溜め込んでいたものを吐き出すべきかどうか。
だけど、琳子の真剣な瞳を前にして、もう隠しきれなかった。
「…ねぇ、琳子。もし、自分の好きな人が…すっごく特別な人だったら、どうする?」
「特別?」
「うん。たくさんの人に憧れられて、愛されて……自分とは比べものにならないくらい遠い存在で……」
そこまで言うと、桜花は唇を噛んで視線を落とした。
琳子はしばらく黙っていたが、やがてふっと笑った。
「なるほど。高倉のことね」
「……っ!」
思わず顔を上げた桜花に、琳子は悪戯っぽく片目をつむる。
「サクラが大阪にいたときに好きだった男の子って、高倉でしょ? てかもう、見てればわかるって」
「ち、違……」
「違わないでしょ。サクラが高倉と話すとき、絶対声のトーン変わってるもん」
図星を突かれ、桜花は机に突っ伏して耳まで真っ赤になった。琳子はそんな親友の背中を軽くトントンと叩く。
「で? 距離取ってるのはなんで?」
「…私なんか、直哉の隣にいたらおかしいから」
「は?」
顔を上げた琳子の目は、心底呆れていた。
「なにそれ。おかしいって誰が決めたの?」
「だって…あんなに人気者で、完璧で…。私は夢も定まってないし、ただの普通の高校生で…」
言葉を重ねるたび、胸が苦しくなる。
琳子はしばらく黙って桜花を見つめていたが、やがて真剣な声で告げた。
「サクラ。それ、勝手に自分で決めつけてるだけじゃない?」
「……」
「高倉は、サクラと話すときすごく自然だよ。特別なアイドル“倉田ナオ”じゃなくて、ただの“高倉直哉”になってる。少なくとも私にはそう見える」
桜花の胸が強く揺れた。
──直哉が、私の前ではただの“直哉”に戻ってる?
信じたい。でも怖い。
「……でも、もしファンの人に知られたら……」
「心配しすぎ。大丈夫、サクラならちゃんと自分の場所を見つけられるよ」
琳子は笑いながら、メロンパンをちぎって桜花に差し出す。
「ほら、甘いもの食べたら元気出る。悩むのはそれから」
桜花は受け取ったパンを口に入れ、じんわりと広がる甘さに目を細めた。
けれど、心のざわつきは簡単に消えてはくれない。
──直哉の隣にいる資格なんて、私にはあるのかな。




