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光の隣で

 週末の午後。

 桜花はリビングのソファに座り、紅茶の湯気をぼんやりと見つめていた。窓の外は秋めいた日差しで、薄いカーテン越しに光がやわらかく差し込んでいる。

「……またスカウトされたんやろ?」

 突然かけられた声に、桜花はびくりと肩を揺らす。振り向けば、大学の講義帰りらしい梨花が鞄を抱えて立っていた。薄手のシャツに少しダメージの入ったデニム姿、そんなラフな姿でもドラマのワンシーンのように映えるのは、やはり天性の女優だからだろう。

 「え、なんで分かるん」

 「だって、こないだも駅前で声かけられとったやん。あの事務所の名刺、机の上に置きっぱなしになってたで」

 梨花は桜花の向かいに腰を下ろすと、ストローを指で弄びながらまっすぐ見つめてきた。

 「ねぇ桜。ほんまに芸能界に興味ないん?」

 「……うん」

 即答したものの、胸の奥が少しだけ痛んだ。

 梨花は、子どもの頃からテレビの中で輝いていた。どの作品でも注目を浴びて、視聴率に貢献して、雑誌の表紙を飾るのが当たり前。そんな姉の背中を見て育った桜花も、小学生の頃から何度もスカウトを受けてきた。けれど、そのたびに「向いてません」と断り続けてきたのだ。

 「不思議やなぁ。桜の顔立ちやったら、女優でもモデルでもすぐデビューできるのに」

 梨花は首をかしげる。彼女に悪気はない。純粋な疑問なのだ。

 桜花は小さく笑ってみせた。

 「私、普通でいたいんよ」

 「普通?八重咲に通ってる時点で普通ちゃうやん」

 横から割り込んできたのは、勉強の合間にジュースを取りに来た桃花だった。

 「桜姉ちゃんの“普通”ってさ、なんかズレてんねん」

 「ズレてへんわ」

 思わず声を上げると、桃花はけらけら笑った。

 「だってさぁ、顔もスタイルも梨花姉ちゃん並みに整ってんのに、全然活かそうとせーへんやん。部活もしてへんし、SNSもオタ垢以外ほぼ更新せんし。正直もったいないわ」

 「……」

 図星を突かれ、言葉に詰まる。

 本当は理由がある。

 芸能界に入らないのは、自分に自信がないからじゃない。姉に対するコンプレックスがあるからでもない。

 ──ただ。

 「私は…“見る側”でいたいんよ」

 ぽつりと落とした言葉に、梨花と桃花が同時に瞬きをした。

 「見る側?」

 「そう。ステージで輝いてる人を見て、応援するのが一番幸せやと思う」

 口にしながら、胸の奥に浮かぶのはあの姿だった。

 スポットライトを浴びて歌い踊る、直哉──いや、倉田ナオ。

 最初に彼を見つけたときから、ずっと心の支えになってきた存在。小学生の頃の“直哉”を思い出す前に、最古参ファンとしての自分がいた。

 「演じたり、注目浴びたりするのは、私にはできひん。私は裏方とか、客席で見守るとか、そういう立場の方が落ち着くんよ」

 梨花は少し黙ってから、ふっと笑った。

 「なんか桜らしいな。目立つん苦手やしな」

 「うん。そんなん姉ちゃんみたいな才能ある人がやるべきやん」

 さらりと答えながらも、胸の奥でざわめきが広がっていく。

 もし自分が芸能界に入ったら──。

 きっと「倉田ナオと同じ世界」に立つことになる。インタビューで共演して、舞台裏で顔を合わせて、仕事仲間として関わる未来もあるかもしれない。

 でも、それだけはどうしても嫌だった。

 "ナオくんは私にとって、ステージの上にいる人"

 その線を越えてしまえば、自分の中の大事な居場所が壊れてしまう。

 「……ほんまに、勿体ないなぁ」

 梨花が呟く。

 「桜が本気出したら、私より人気出るんちゃう?ってたまに思うくらいやのに」

 「やめてや、プレッシャーになる」

 苦笑いで返すと、桃花がちゃっかり口を挟んだ。

 「まあええやん。桜姉ちゃんが“見る側”やってくれるおかげで、私ら安心して突っ走れるんやし」

 「……なにそれ」

 「だってそうやん。梨花姉ちゃんはテレビでバリバリ活躍して、私はバドミントンで世界行くつもりやし。桜姉ちゃんが家族代表で応援してくれるんやったら、心強いわ」

 軽口のようで、本心だと分かった。桃花は無邪気に見えて、案外周りをよく見ている。

 桜花は少し考えてから、ゆるく微笑んだ。

 「せやな。私は私の役目をちゃんと果たすわ」

 「役目?」梨花が首をかしげる。

 「うん。応援すること。誰よりも早く気づいて、誰よりも強く信じて、支え続けること。…私、それが得意やから」

 言いながら、自分の胸の奥にある気持ちを確認する。

 直哉の隣に立つことはできなくても、ファンとして、ずっと一番近いところから支えてきた。これからもそれでいい。

 「これからも《友達として》仲良くしていけばいい」

 先日の中庭で交わした直哉の言葉を、桜花はそんなふうに受け取っていた。

 だから。

 これからも、彼のステージを一番の場所から見守り続けよう。胸の奥でそう決めると、不思議と息が楽になった。


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