【第9話】星図の意志
夢の中で語られる“意志”の声。
星図は、ただの地図ではなく、意思を持った存在として詩音に語りかけてきます。
兄妹の選んだ場所――公園には、かつての観測者の痕跡と、次代への継承の証が残されていた。
過去と未来をつなぐ手紙、そして夢に現れる記憶。
星図が次に示すのは、記録者の“意志”が試される新たな扉でした。
夜が明けきる前、俺はまた夢を見た。
今回は、いつもの霧の中ではなかった。
見たこともない空間。空には、地球では見たことのない星座が浮かんでいた。
その中心に、ひとつの光が現れる。
光はゆっくりと形を変え、まるで“声”のように、俺の意識に語りかけてきた。
《記録、継承完了。次なる観測を開始してください》
《意志の座標を探してください》
その言葉とともに、俺の脳内に複数の図形が流れ込んできた。
まるで、星図が“自分の意志”を持っているかのように。
目を覚ますと、俺の手の中にあった星図装置が、淡く明滅していた。
「……星図が、喋った?」
呟いた俺の声に反応するように、装置の画面に文字が浮かぶ。
《起動条件:観測者の意志確認中》
意志。これは、ただ受け継ぐだけでは駄目なんだ。
自分自身の意思で、観測することを選ばなければ――
星図は、先へ進まない。
俺は深く息を吸い、装置の中央に手をかざした。
「……俺が、観測する」
その言葉とともに、星図は再び動き出した。
星図の中心に、光の点が一つ、明滅しながら浮かび上がる。
その周囲に円を描くように、別の星々が配置され、ゆっくりと回転を始めた。
その構造は、どこか“目”を連想させた。
見られている――そんな感覚がした。
「これは……観測者を“観測”してるのか……?」
星図は、ただの地図じゃない。
それは、意思を持ち、観測者すら対象としている。
俺たち兄妹の行動も、感情も、すべてが記録の一部となっているのかもしれない。
突然、装置が震えた。
新たな文字が浮かび上がる。
《意志の座標:候補地点三ヵ所抽出》
画面には、座標と共に三つの風景が浮かび上がった。
一つは、見覚えのある公園。
二つ目は、駅から離れた廃工場。
そして三つ目は――かつて家族で訪れた、山間のキャンプ場。
そのいずれかに、星図が示す“意志の核心”があるという。
「選べってことか……」
装置に指をかざすと、それぞれの風景が微かに光を放った。
そのとき、後ろから声がした。
「……兄さん、それ、見えてるの?」
振り向くと、瑠璃がそこにいた。
彼女の瞳にも、同じ映像が映っていることがわかった。
「うん。どうやら、俺たちふたりで選ぶことになりそうだ」
瑠璃は少し黙ったあと、小さく頷いた。
「じゃあ、いちばん最初に消えた星があった場所に、行ってみよう」
それは、公園だった。
かつて、最初に星が“ずれた”のを感じた場所。
兄妹の“観測”は、再びその原点から始まる。
次の日曜日、俺たちはあの公園に向かった。
初めて“星が動いた”のを感じたあの日と同じ、早朝の時間帯。
まだ薄暗い空の下、瑠璃は静かに滑り台の前に立ち、目を閉じた。
「ここ……やっぱり、何かが残ってる気がする」
俺は星図装置を起動した。
装置はすぐに反応し、低い音を鳴らす。
画面には、公園の地図と重なるように、見覚えのない星の配列が浮かび上がった。
「ここが、“意志の座標”……」
点滅する座標の中心には、小さなベンチがあった。
何の変哲もないその場所に、瑠璃が歩いていく。
そして、そっとベンチの下に手を伸ばした。
「……何か、ある」
取り出されたのは、小さな缶。蓋は少しだけ錆びていた。
瑠璃がそれを開けると、中には折りたたまれた紙片が入っていた。
「手紙……?」
俺が手に取ると、それは明らかに古い筆跡で書かれていた。
“観測者へ”とだけ書かれたタイトル。
震える指で開いた紙には、こう記されていた。
《この場所に、かつて“もう一人の観測者”がいたことを記録する》
《星図は意志を持ち、次の観測者に記憶を託す》
《この手紙を見つけた者が、次の継承者である》
俺は瑠璃と顔を見合わせた。
「やっぱり、ここにいたんだ……もう一人の、観測者」
その瞬間、俺の中で何かが繋がった。
あの夢に現れた“声”――そして装置が発する命令。
すべては、前任者の記録に基づいたものだった。
「つまりこの公園が……最初の観測が行われた場所?」
「ううん、“ここに記憶を残した”ってことじゃないかな。
観測者が最後に見た空。それを、次の誰かに託すために」
瑠璃はそう言って、空を見上げた。
公園のベンチからは、ビルの隙間からほんの少しだけ空が見える。
星はすでに隠れてしまっていたけれど、瑠璃の瞳には、微かな輝きが映っていた。
「見える?」
「うん。……さっきより、星が増えてる。というか、連なってる感じ」
装置を見れば、新たな図形が描かれはじめていた。
まるで、手紙を受け取ったことで“記録の続きを解放”したかのように。
「これは……新しい星図?」
「ううん、“次の地図”。今までのは、ただの扉だったんだよ」
その言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
星図は、いくつもの層になっていた。
その一枚目が、いまようやく“開いた”――そういう感覚だった。
手紙は、再び缶に戻し、俺たちは静かに立ち上がった。
「次は……どこに行くべきなんだろうな」
「きっと、星が教えてくれるよ。だって、“意志”を持ってるんだから」
瑠璃の言葉に、俺は小さく頷いた。
その夜、俺は再び夢を見た。
だが今回は、これまでと違った。
夢の中で俺は、誰かの視点を追体験していた。
手帳を開く手。星図装置を調整する指先。
そして、見知らぬ星空を見上げる目――
「観測者……」
それは、かつてこの場所にいた“誰か”の記憶だった。
夢の中の風景が、急に明るくなる。
そこには、椅子に座り星を見上げる青年の姿があった。
彼の瞳には、確かに今の瑠璃と同じ星が映っていた。
「君が、次の観測者か」
彼はゆっくりと立ち上がり、俺のほうを見た。
けれど、その姿はすぐに光の粒となって空へと還っていった。
目を覚ますと、星図装置が再び起動していた。
今度は、文字ではなく“声”が聴こえてきた。
《観測者の記憶、継承完了》
《次なる観測地点:選定中……》
装置が示す光は、今までよりもはるかに複雑で立体的だった。
それはもはや“星の地図”というより、“構造体”だった。
星図そのものが、生きている――そんな錯覚。
そして、それは俺たちに語りかけている。
「瑠璃、起きてるか?」
「うん……見えてるよ。今、星がね……形を作ってる」
「どんな形に?」
「……扉。見たことない、大きな扉」
それは、星図が初めて“次へ進め”と言った瞬間だった。
扉。それは比喩でも幻でもなく、確かな“構造”として星図の中に現れていた。
数百の星々が、幾何学的に並び、中央に巨大な“鍵穴”のような空白を作っている。
装置がその形状を解析し、音を立てて震える。
《構造識別中……補完対象データ不足》
「……不足?」
画面に映し出されたのは、星図の“未完成領域”だった。
そこには、明らかに歯抜けのような空白があり、まるで記録の一部が失われているようだった。
「もしかして、消えた観測者が記録しきれなかった部分……?」
「あるいは……“見てはならなかった領域”かもしれない」
瑠璃の声には、不思議な重みがあった。
まるで彼女自身が、すでにそこに触れてしまったかのような。
「じゃあ、どうやって扉を開ける?」
「わたしたちが、見届けるんだよ。見つけて、記録するの」
星図はまた、静かに点滅を始めた。
《次なる観測地点、決定》
そこに表示されたのは、地図上には存在しない“何もない場所”だった。
「ここ……どこ?」
「わからない。でも、行くしかない。だってこれは――星図の“意志”なんだから」
俺は大きくうなずいた。
この旅は、過去をなぞるものじゃない。
俺たちが記録して、未来に“残す”ための旅なんだ。
星図の意志は、まだ始まったばかりだった。
“星図の意志”というタイトルが示すとおり、今回は星図そのものが語りかけてくる回でした。
夢を通して浮かび上がる観測者の記憶と、公園で見つけた継承の手紙――
それらが重なることで、詩音はようやく「観測者」として立ち上がる準備を整えていきます。
次回、第10話「扉の予感」では、星図に現れた“鍵穴のような構造”の正体と、
異世界への最初の兆しが描かれます。
兄妹の旅は、新たなステージへと進んでいきます。