表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/15

【第3話】交わらない記憶

ひとつの出来事に、ふたりの違う記憶。

瑠璃と僕の間に生まれた、わずかな“ずれ”。

それは、ただの思い違いではなく、星図とつながる“時間のほころび”だった。

第3話「交わらない記憶」、

記録と記憶が交わるその先を、どうぞ見届けてください。

ある日、ふとしたことで、俺たち兄妹の“記憶”が食い違っていることに気づいた。


 それは、本当にささいな会話からだった。


「この前も来たじゃん、ここ。覚えてないの?」


 通学路の途中、小さな神社の前で瑠璃がそう言った。けれど、俺にはまったく心当たりがなかった。


「え? 俺、ここ来るの初めてだぞ」


「……うそ。お兄ちゃん、あのときお賽銭まで入れてたのに」


 瑠璃は困ったように笑いながらも、確かに“そこにいた兄”の姿を記憶しているらしかった。


 でも俺には、その出来事自体が存在していない。


 気味の悪さと同時に、妙な引っかかりを覚えた。あの時と似ている――妹の瞳に星図が現れた時の、現実が少しだけ“ズレている”ような、そんな感覚。


 その晩、俺はノートを開き、記憶の食い違いを含めて記録することにした。


 日に日に複雑化していく星図の模様。点滅する星の周期、動きの方向、そして妹の体調や様子との関連。最近では星の動きが“戻る”ことすらある。つまり、星図は時間の流れを記している――そんな仮説まで思い浮かんできた。


 星図と記憶のズレに、何らかのつながりがあるとすれば。


 これはもう偶然なんかじゃない。

第3話「交わらない記憶」 2of3


 その夜、瑠璃もまた、夢を見ていた。


 「お兄ちゃん、なんか変な夢を見たの。私、知らない部屋にいて……そこに、もうひとりのお兄ちゃんがいたの」


 朝食の途中、スプーンを止めてぽつりと口にした言葉に、俺は箸を止めた。


「もうひとり?」


「うん。でもね、顔は見えないの。声もはっきり聞こえないのに、どうしてか“お兄ちゃん”ってわかるの。不思議だったけど、全然怖くなかった」


 その夢の内容を聞いているうちに、俺の背中にうすら寒いものが走った。


 まるで、彼女の“もうひとつの記憶”が、夢として浮かび上がっているようだった。


 学校へ向かう道すがら、俺はこれまでの星図の変化を思い出していた。


 星たちは、“一定方向”に動いていたはずなのに、昨日は珍しく、複数の星が逆向きに回転していた。ノートに描いた軌跡は、まるで時計の針が巻き戻るような形になっていた。


「記憶と星図は、リンクしてる……?」


 そんな仮説を頭の中で組み立てていたとき、不意に瑠璃が立ち止まった。


「お兄ちゃん、あれ……前に見たよね?」


 指さす先には、赤い鳥居と古びた石段。けれど、俺にはまったく見覚えがない。


「いや、知らない場所だよ。来たことない」


「……うそ。前に、ここで写真も撮ったのに」


 彼女はスマホを取り出して操作する。けれど、該当する写真は出てこなかった。


 「消えた……?」

第3話「交わらない記憶」 3of3


 俺たちの記憶が、確かにどこかで“交差していない”。


 けれどそれは、どちらかが間違っているというより、異なる時間軸を歩いていたような感覚に近かった。


 夜、ベランダに出て空を見上げると、妹も隣に立っていた。


「もし、ほんとの“お兄ちゃん”が二人いたとしたら、どうする?」


 唐突な問いに、俺は少し考えてから答えた。


「どっちの俺も、瑠璃のことを守りたいって思ってるなら、どっちも“本物”でいいんじゃないか」


「……それ、いいね。なんか安心した」


 妹の瞳に浮かぶ星図は、その夜、不思議なほどくっきりと見えた。普段は白に近い光なのに、ほんの少しだけ青みがかっている。


「色が変わってる……?」


「うん、なんとなく。でも、怖くはないよ」


 そのとき、星図の中に、これまでになかった“新しい点”が浮かび上がった。光は弱く、まだ不確かな位置にある。それはまるで、“新しい記憶”が生まれる瞬間のようだった。


 記録者である俺にしか見えない星。


 そして、器である瑠璃の中にしか存在しない記憶。


 このふたつが重なるとき、星図は新たな地図を描くのかもしれない。


 その夜、俺はノートにこう記した。


 ――記憶は過去だけじゃない。“未来の記憶”も、ここにはある。

 その夜、俺は眠れずにいた。


 部屋の明かりを落とし、星図ノートを広げる。窓の外では虫の音だけが響いていて、世界はひっそりと静まり返っていた。


 ノートの片隅に書いた「未来の記憶」という言葉を、俺は何度も見つめていた。


 記憶とは過去のもの。けれど、もしそれが“予兆”であるなら? 未来を先に心が受け取り、それが記憶として先行する現象――それが、今、瑠璃に起こっているのだとしたら。


 そのとき、机の上に置いてあったスマホが微かに震えた。画面には、「1年前の今日」として、写真が自動で表示されていた。


 俺は息をのんだ。


 それは、瑠璃と一緒に神社の前で撮った写真だった。確かに、赤い鳥居と石段、あの場所だった。けれど、俺はそんな写真を“撮った記憶”がない。


「記録にはあるのに、記憶にはない……?」


 頭が混乱する。スマホの中のデータは、確かに俺たちがそこにいたことを示している。でも、思い出せない。まるで、そのときだけ記憶を“抜かれた”ような。


 俺は急いでその写真を印刷し、ノートに貼り付けた。その横に、今日の星図の変化を書き加える。


 星の動きは、中央の“空白点”を越えて、新しい円を描き始めていた。


 まるで、時計の針が一周して、新たな時を刻み始めるように。


 ふいに、背後から気配を感じて振り返ると、瑠璃が立っていた。眠っていたはずの妹が、無言で俺を見つめている。


「……また見たの」


「夢か?」


「ううん。“記憶”。私、あの神社でお願い事したの。お兄ちゃんが、どうか、私を忘れませんようにって」


 その言葉に、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。


 彼女は覚えていた。俺が忘れていた大切な時間を、彼女だけが抱えていた。


 記憶は、共有されるものじゃないのかもしれない。


 でも、たとえ交わらなくても、ふたりの想いが重なる瞬間は、確かにある。


 俺はそっと、彼女の頭に手を置いた。


「もう忘れないよ。俺は、全部、記録するから」


 瑠璃は微笑んで、小さくうなずいた。


 そのとき、星図の中に新たな線が走った。


 ――それは、記憶と記録をつなぐ光だった。

 その翌日、俺たちはもう一度、赤い鳥居の神社へ向かった。


 何かを確かめるように、瑠璃は石段をゆっくりと上がっていく。俺も後に続いた。空は晴れていて、夏の終わりの風が頬を撫でる。


 境内に立つと、不思議な既視感に襲われた。初めて来たはずなのに、どこか懐かしい。目を閉じると、誰かの笑い声が遠くで響いた気がした。


「ここでお願いしたんだよ」


 瑠璃は小さな声で言った。


「お兄ちゃんが、私を忘れても……いつか、また思い出してくれますようにって」


 その瞬間、胸の奥に何かが流れ込んできた。あの日の夕焼け。境内の空気。瑠璃が手を合わせている横顔。すべてが鮮やかに蘇る。


 記憶は、なくなっていなかった。ただ、星の向こう側に隠されていただけだった。


 「思い出したよ」


 俺の声に、瑠璃はぱっと笑った。


 その笑顔の奥に、もう一つの星が、静かに光っていた。

 帰り道、ふたりで並んで歩く時間が、少しだけ特別に思えた。


 星図のことも、夢のことも、誰に話してもきっと信じてもらえない。けれど、俺たちにはそれが“現実”なんだ。


 交わらなかった記憶が、いま、ひとつの光に変わっていく。


 次に星図が示す場所がどこであっても、俺はもう迷わない。


 だって、隣には瑠璃がいる。


 それだけで、きっと十分だ。

 星図は静かに回り続けている。まるで、まだ語られていない記憶たちを、夜空の奥からひとつずつ引き寄せるように。

 その光を、俺はこの手で記していく。

。 まだ見ぬ星が、きっと導いてくれる。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

第3話では、兄妹の“記憶の食い違い”と、それが星図の動きと呼応している可能性が描かれました。

同じ時間を過ごしているはずなのに、どこか重ならない記憶。

それは異なる時間の断片か、それとも“未来からの記録”なのか――。

次回、第4話「空白を埋めるもの」では、家族の記憶の空白に踏み込んでいきます。

よろしければ引き続きお付き合いください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ