【第13話】反転する重力
動き出した星図が、いよいよ“この世界ではない何か”を示し始めました。
妹・瑠璃の瞳に映るその座標は、重力さえも揺るがすほどの異質な空間を導きます。
今回は、“観測されなかった空”というテーマを通じて、存在の意味と記録の意志を描きました。
重力が、逆さになった。
空へ向かって身体が浮かぶのではない。
“空そのものが、俺たちの足元に沈んでいく”――そんな感覚だった。
星図が示した次の座標は、空間の常識すら反転する場所だった。
俺と瑠璃は、何もない宙に立っているようでいて、実際にはどこにも立っていなかった。
「……ここ、変だよ。地面が、上にあるみたい」
瑠璃の声が、少しだけ遅れて聞こえる。
音すらも、重力の向きに引っ張られていた。
装置の表示が、ぐるぐると回転していた。
上下の概念が通用しない世界では、地図の座標すら定まらないのだ。
「でも不思議と……怖くないな」
確かに。
浮遊感はあるが、不安はなかった。
それどころか、この浮遊こそが“星図の中心”に近づいている証拠のように思えた。
《空間の基準軸が更新されました》
《反転重力座標への順応、完了》
俺たちの意識が、この空間に“受け入れられた”のだ。
「兄さん、見て……!」
瑠璃が指差す先に、星図が描いた“動く星座”が広がっていた。
それは、星と星がゆっくりと軌道を描きながら、まるで舞うように動いている星座だった。
形は確かに星図に記されたものと一致していたが、その動きは生き物のように柔らかで、呼吸しているようだった。
「これが……“動く星座”?」
「うん……しかも、この動き、見覚えがある気がする」
そう、思い出せないだけで、どこかで見たことがあるような既視感。
それは夜空の下、誰かと並んで星を見上げた記憶……いや、それだけじゃない。
その星座が、急にこちらを向いたように見えた。
星の一つが光を強く放ち、俺たちの足元――空の底に向かって光の筋を落とす。
光の先に“扉”があった。
見たことのない形。だけど、それが「行け」と告げているのは、直感でわかった。
「入ろう。ここを通らないと、次には進めない」
瑠璃は少し不安そうだったが、俺の手を取ってうなずいた。
扉は、俺たちの手が触れた瞬間、波紋のように光を広げて開いた。
中は、まったく別の空間だった。
新しい空間は、星図の“裏側”のように見えた。
すべてが鏡の中にあるようで、星座も、空も、反転したまま静かに漂っている。
そこには時間の流れもなく、ただ“存在の気配”だけが満ちていた。
「ここが……動く星座の根源……?」
「いや、違う。たぶん、これは“観測されることを拒んだ星”だ」
目に見えているのに、形が定まらない。
知覚しようとすればするほど、掴めなくなる――
まるで、夢の中の記憶みたいに。
その中心で、瑠璃の瞳がまた光を放ち始めた。
星図が反応している。次の鍵が、ここにあるのだ。
瑠璃の瞳が淡く発光するたび、空間の中心にあった“形を持たない星”が脈動を始めた。
それはまるで、瑠璃の視線を通して、何かを“認識”しようとしているかのようだった。
「この星……私に、何か……伝えようとしてる?」
言葉にならない感覚が、胸の奥に流れ込んでくる。
イメージ、音、匂い、光――あらゆるものが“記憶”のように混ざり合い、彼女の中に広がっていく。
俺にはそれが見えなかった。けれど、瑠璃の表情を見ているだけで、ただの情報ではないことがわかった。
「兄さん……この星、泣いてる」
そう言った瞬間、空間がわずかに震えた。
星が、涙のように小さな光の粒をこぼしはじめたのだ。
その一粒が俺の手のひらに落ち、吸い込まれていった。
次の瞬間、視界が白く染まる。
――見知らぬ天球、見たことのない星の並び、異なる空の記録。
それは、この世界には存在しない“もうひとつの空”だった。
「これ……もしかして、異世界の星図……?」
俺の脳内に映し出されたのは、地球の星座とは全く異なる星の配列だった。
大気の色すら違う。星の動きも、構成も、名前すら存在しない。
《記録座標:未分類領域。識別コード:外天区δ帯》
《この星図は“この世界には属さない”ものです》
装置の音声が冷静に告げた。
やはり、この記録は――この世界のものではなかった。
「でも、なんでそんな記録が……瑠璃の瞳の中に……?」
瑠璃はゆっくりと目を閉じ、両手を胸に当てる。
その小さな身体から、星図と同じ波長の光が放たれていた。
「私……わかるの。この星は……“観測されたことがない”空なんだって」
「誰にも見られなかった……ってこと?」
「うん。だから、こうして誰かに見てほしかったの。
ずっと、存在してたのに、記録されることがなかったから……」
光の粒が、ふたたびふたりのまわりに集まり出す。
それはまるで、ようやく“自分の姿を見てもらえた”ことへの喜びのようだった。
「……ありがとう、って、聞こえた気がする」
瑠璃がそっと呟いた。
その言葉に応えるように、空間全体が温かな金色に包まれた。
星図が静かに浮かび上がり、新たなラインが描かれていく。
重力の中心から放たれるように、線がつながり、星の配置が変化する。
「これは……新しい座標だ」
今までの星図にはなかった、新たな経路が示されていた。
瑠璃が見せた記憶が、“この空”を地図に刻んだのだ。
見られることで、記録は始まり、存在は証明される。
そしてその一歩を、俺たちはいま踏み出した。
新たな星図のラインは、螺旋を描いて昇っていくように見えた。
その先端には、もうひとつの空間が浮かんでいた。
「兄さん……あそこ、行ける?」
「うん。星図が案内してくれてる。きっと、次の“観測点”だ」
俺たちは光の階段を昇るようにして、空間の層を一段ずつ越えていく。
重力の感覚は次第に戻っていた。まるで、星が俺たちをこの世界に“馴染ませている”ようだった。
上昇するほどに、まわりの星が静かに語りかけてくるような気がした。
言葉ではない。けれど、確かに想いのようなものが響いてくる。
やがて、最上層にたどり着いた。そこは、“反転した星空”が天井のように広がる空間だった。
「ここ、さっきの動く星座の……中心?」
「うん、でも何かが変わってる。……まるで、星が“構造”を変えてるみたい」
そのとき、瑠璃がふらりと前に出た。瞳が強く光を放つ。
「瑠璃!?」
俺が手を伸ばした瞬間、空間の中心で、重力がふたたび――今度は、“内側”に反転した。
強烈な引力が彼女の身体を中心に集まり、星図の全座標が渦のように巻き込まれていく。
その中で瑠璃の姿は、ふわりと宙に浮かび、目を閉じていた。
「大丈夫……これは、見せてもらってるだけ」
瑠璃の声が、直接心に届いた。
空間が彼女と“同調”している。星図は今、彼女を通じて何かを伝えようとしているのだ。
「……これは、観測者がいた記憶。
かつてこの空を記録しようとした誰かの、最後の視線」
瑠璃の背後に、ぼんやりとした光の人影が現れた。
顔は見えない。けれどその存在は、懐かしさと切なさを同時に帯びていた。
「その人は……記録を終える前に、この空と一緒に消えたんだって。
でも、記録はここに残った。私の中に」
重力が静まり、空間は穏やかに沈んでいく。
やがて、中心に浮かぶ星がひとつ、ゆっくりと燃え尽きるように光を散らした。
そして、新しいラインが星図に刻まれた。
その座標は、これまでのどれとも違う、“終点”のような場所だった。
「終点……なのに、ここが“始まり”の場所だった気もする」
星図は静かに明滅しながら、俺たちを次の地へと導こうとしていた。
反転した重力も、動く星座も、すべてはこの星の記録のためにあった。
瑠璃の目から、ひとすじ涙がこぼれた。
それは悲しみではなく、“受け取った証”のように見えた。
「ありがとう、わたし、ちゃんと記録するね」
そう言ったとき、星図の中心にあった座標が、ふっと輝きを放ち消えた。
星図の扉は、次の“次元”を指し示していた。
俺たちはまた一歩、その謎の核心へと近づいていく。
第13話、いかがでしたか?
タイトル通り“重力が反転する”という物理的な異変を通じて、物語の中心にある「記録されることの意味」に踏み込みました。
瑠璃が触れたのは、誰にも見られなかった空。
それを“見る”ことで、その空が確かに“あった”と証明される。
それはきっと、記憶や存在すらも超える、大きな力なのだと思います。
次回、第14話「空に沈む都市」では、いよいよ星図が示す座標のひとつに物理的な“場所”が現れます。
この世界に存在しないはずの都市とは――どうぞお楽しみに。




