【第10話】扉の予感
ついに星図が“扉”を示しました。
昼間に現れた星、装置の異常、そして立体星図に浮かび上がる“鍵穴”の構造。
これまで点として散らばっていた情報が、“扉”という形でひとつに結びついていきます。
詩音と瑠璃は、観測者としての覚悟を胸に、星図の指し示す異空間へと足を踏み入れます――。
その日、学校の帰り道、俺はふと立ち止まった。
駅前の広場にある電光掲示板。そこに、妙なノイズが走った気がした。
次の瞬間、あの星図装置がポケットの中で振動を始める。
「また……何か、来る」
急いで装置を取り出すと、画面には例の立体星図が浮かび上がり、
その中心に“鍵穴のような空白”が強く光りはじめていた。
《扉の出現を検知 時刻同期中……》
《観測者の接近を感知》
「扉……? まさか、本当に“開く”のか?」
その瞬間、視界がぐらりと揺れた。
目の前の景色が、一瞬だけ、変わった。
――空が、深い青に染まっていた。
星が、昼間の空に現れていた。
すぐに戻ったものの、確かに見た。現実が“歪んだ”一瞬。
「……瑠璃」
俺は震える指でスマホを取り出し、彼女に連絡を入れた。
〈今、扉が開きかけてる。すぐに話したい〉
送信して数秒後、即座に「わかった、すぐ行く」という返事が返ってきた。
この世界のどこかに、異世界への“通路”が現れようとしている。
その前触れが、もう始まっていた。
数十分後、瑠璃と駅の裏手にある古いベンチで落ち合った。
彼女は俺の顔を見るなり、開口一番に言った。
「見えたよ。星が昼間に浮かんでた。……たぶん、あれが扉の痕跡」
俺はうなずきながら、装置の画面を見せた。
中央の光はさらに強くなり、もはや“穴”ではなく“入り口”に見えた。
「星図が言ってる。次の観測地点は、ここから30キロ先の山中。
たぶん、あの扉が現れるのは、そこのはずだ」
瑠璃は地図を覗き込み、小さく頷いた。
「この形、鍵穴だけじゃない……。“門”になってる。二つの柱と、その間の空白」
そう。星図は、構造として“開かれる”準備をしていた。
ただの扉ではない。向こう側へ“渡る”ための装置だ。
「行こう、瑠璃。次の土曜、二人で」
「うん。……でも気をつけてね。今度の観測は、“帰ってこられない”かもしれないから」
その言葉に、俺はぎゅっと拳を握った。
これまでの観測は、過去をなぞるだけだった。
でもこれからは、“未知の領域”に触れることになる。
家に帰る途中、ふと空を見上げた。
雲の合間から、一瞬だけ見えた星があった。
それは、まるで俺たちを見下ろしているかのように、静かに瞬いていた。
「兄さん、覚えてる? 最初に星が変だって言った夜」
「もちろん。あれが始まりだった」
「そのときも、星が“こっちを見てる”気がした。……今も、同じ」
俺は小さく息を吐いた。
星図はただの道具じゃない。
俺たちを見て、選び、試している。
それが“意志”というなら、俺もその問いに応えたい。
「じゃあ、応えよう。俺たちの目で、星図の向こうを見に行こう」
瑠璃は笑った。すこしだけ、不安そうに。けれど、決意に満ちていた。
その笑顔を見て、俺もようやく覚悟が決まった。
土曜日の朝、まだ夜の名残を引きずる空の下、俺たちは山へ向かって歩き始めた。
目的地は、星図装置が示した“空白地点”。
地図にもネットにも記されていない、存在しないはずの場所。
瑠璃は手にコンパスのような星図の小型端末を持ち、黙々と先を進んでいた。
「こっちで合ってる。星図が、少しずつ形を変えてる」
登山道から外れた獣道のような小道を抜けると、空が一気に開けた。
そこには、ぽっかりと空間が浮いていた。
……いや、“切り取られていた”という表現のほうが正しい。
その場所だけ、まるで空間ごと他の世界へと繋がっているような違和感があった。
「ここが……“扉”の座標?」
装置が大きく反応を示す。
画面に表示された星図は、ついに一つの図形へと変化した。
それは、星々が織りなす大きな円形――
そしてその中央に、無数の光が重なり合い、ひとつの“鍵”のような模様を形作っていた。
「この場所が……開く」
瑠璃の声が震えていた。
瞳の奥には、はっきりと“扉”が映っているのだろう。
「兄さん。これ、開けてしまったら――」
「もう、戻れないかもしれない」
言葉を重ねる必要はなかった。
俺たちは、それでも前に進むと決めていた。
星図が静かに、低く共鳴した。
星図装置が示す中心に、俺たちは歩み寄った。
すると、足元の空気が微かに震え始めた。
空が揺れる。音のない波紋のように、見えない何かが空間を歪めていく。
「……今、開いてる」
瑠璃の言葉と同時に、星図の中心から、淡い光が立ち昇った。
それは一本の光の柱となり、空へ向かって伸びていく。
「見えるか、瑠璃。あれが……」
「扉の“鍵穴”。きっと、これを使って、向こう側へ行くんだよ」
まるで星図が空間に“鍵”を挿し込み、回しているようだった。
現実が軋むような音が、鼓膜を直接揺らした。
「行こう。もう、戻る理由はない」
瑠璃は小さくうなずいた。
その瞬間、俺たちの足元に、淡い光の紋章が現れた。
それは星図が描く構造そのものであり、観測者が踏み入る“起点”だった。
目の前の空間が、ゆっくりと、裂けていく。
その先に広がるのは、星と星のあいだを渡る“境界の空”――
「行こう、瑠璃」
「うん、兄さん」
二人で手を取り合ったまま、俺たちは星図の示す“扉”の中へ、足を踏み入れた。
空間をくぐった瞬間、時間の感覚が曖昧になった。
風がないのに、何かが流れている。音のない音楽のような、微かな律動。
星図装置が再び反応し、淡い声のようなものが響いた。
《観測者の通過を確認 次段階へ進行》
これは、“旅”の始まりだ――そう確信した。
最初に感じたのは、“無音”だった。
音も風もなく、ただ広がる透明な空間。
まるで、空そのものが“閉じた図書館”のような静けさを湛えていた。
足元を見ると、地面がない。だが不思議と、落ちるような感覚はなかった。
空中に浮かんでいる。そう理解するのに、時間はかからなかった。
「兄さん……ここって……」
「異世界……だと思う」
視界の果てには、星々が構造体のように連なっていた。
その中には、いくつか見覚えのある“星図の一部”も混ざっていた。
つまりここは、星図の“内側”――記録された星の構造そのものだった。
「これが……星図の、正体?」
「少なくとも、“観測者が踏み入る空間”だってことは確かだな」
視界の右奥に、浮かぶ何かが見えた。
それは人の形をしていたが、輪郭は淡く、光の粒でできていた。
「誰か、いる……!」
瑠璃が一歩前に出た瞬間、声が響いた。
《ようこそ、観測者たち》
《あなたたちは、星図の記録を継ぐ者。ここより先は、“選択”の空域となります》
“選択”――その言葉に、俺は息をのんだ。
これは、旅の終わりじゃない。始まりでもない。
まさに、“扉の向こう側”だった。
俺たちは、光の人影のもとへと歩み寄った。
距離は不明だったが、まるで空間が意志を持って、自然と近づけてくれるようだった。
「あなたは……誰?」
瑠璃が問いかけると、その光はふわりと揺れた。
そして次の瞬間、まるでフィルムが再生されるように、星図の記憶が目の前に広がった。
ある日、ある星を見上げる者がいた。
孤独の中で、ただ空を見つめていた者。
それは観測者のはじまり――最初に“記録すること”を選んだ人物の記憶だった。
《我々は、“記録された意志”です》
《この空は、観測者たちの記憶と選択で構築されています》
まるで、記録そのものが生命を持ったようだった。
俺たちがこの空間を歩くたびに、周囲の星が共鳴し、配置が変わっていく。
「動いてる……これ、俺たちの選んだ道が“星図”になってるんだ」
「記録が、今まさに……作られてるってこと?」
《この扉を越えた者は、記録を残し、未来の観測者へ“地図”を渡すことになる》
《進むか、戻るか、今がその選択のときです》
俺は隣の瑠璃を見た。
彼女も同じように、まっすぐ俺を見返してきた。
「進もう。俺たちはまだ、ほんの始まりに立ってるだけだ」
瑠璃は静かにうなずいた。
星図の空が、ゆっくりとまた開いていく。
その先にあるのは、誰も見たことのない記録の地図だった。
第1部のラストとなる第10話では、「異世界への通路の出現」と「観測者の選択」が描かれました。
“星図”がただの記録媒体ではなく、記憶と意志を宿す存在であることがはっきりと示されます。
詩音と瑠璃はその意志を受け取り、自らの意志で一歩を踏み出しました。
次話、第11話「開かれた星図」からは第2部「星の地図を巡る旅」が始まります。
彼らの視界には、これまで見えなかった“動く星図”と“異世界の空”が現れます。
扉の先に待つ未知の世界で、兄妹は何を観測し、何を選んでいくのか――。ぜひお楽しみに。




