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寮に戻ったルティエは、早速次の休日には騎士団に突撃しようと考えた。
婚約者や目当ての団員がいる女性は差し入れをする事も多いらしい。副騎士団長相手に手ぶらはあり得ない。そこではたと気がつく。
(レオシュ様の好みは何かしら)
カフェで彼はコーヒーしか飲まなかった。甘い物は苦手なのかもしれない。
仕方なくルティエはシモンに手紙を送る。
“至急レオシュ様の好物を調べて。差し入れ用”
限定にしておかないと、鹿肉だの猪肉だの返事が来ても困る。念のため、差し入れだと加えておいた。これで望む返答が来るだろう。
翌日には早速返事が来た。早っ。
“チーズパイ、塩クッキー、ケーキならレモン系”
レオシュは甘いクリームやジャムはあまり好きではないのだろうか。
(今回は九番街のパイ専門店のチーズパイにしよう)
いきなり手作り菓子なんて愚は犯さない。
兄が在学中にもらっていた手作り菓子の多くは、恋愛成就のおまじないが施されていたらしく、気味が悪いし怖かったそうだ。市販に“乙女の惚れ薬”なるものがあり、当時はそれを材料に混ぜ入れるのが流行っていた。正体は単なる滋養薬で、害がなかったのは世の男性の救いだ。
ルティエの代では“乙女の惚れ薬”は廃れていたけれど、代わりに細かい紙に自分の名前を書いたものを混入するのが主流となった。相手に気づかれないように、紙はどれだけ小さくできるかが勝負だ。兄と二歳違うだけで、学生のまじないも変わった。
元彼が要求しなかったし、ルティエは手作りを渡した事はない。何よりルティエは菓子を作った事がないから失敗が目に見えていた。
親しくもない女から手作りの食べ物なんて疑わしいだけだ。次期公爵なら安易に受け取らないだろう。受け取ってもごみ箱直行だから、結局断ると思う。
流行りに乗らず、自分の涙や爪を入れる過激派はいつの時代もいる。貰う方は疑心暗鬼になって当然だ。
*****
騎士団の訓練場が、ちょっとした興奮でざわついた。
本部受付で名前を記入すると訓練場は見学できる。だが塀で囲まれた物々しい騎士団本部へ一般の平民が立ち入る事はまずない。訪れるのは、ほぼ貴族である。特に平時は、お目当ての騎士の応援に声援にと、令嬢が多い。
そこに医療省の天使、ルティエ・ボネシャールが現れたのだ。気づいた団員が周りに知らせ、彼女の登場で落ち着かない空気が訓練場に流れる。
そのおかしな様子に、見学していた令嬢たちもルティエの存在に気がついた。
「あれってボネシャール侯爵令嬢よね」
「婚約者はいなかったはず」
「恋人に会いに来られたのかしら」
「え!? まさかジャック様……」
「アレクセイ様だったらショックだわ」
令嬢たちのひそひその会話も、ばっちりルティエには聞こえていた。
(どこの誰よ。ジャック様もアレクセイ様も知らんわ)
心の中でだけ呟き、ルティエは令嬢たちに「ごきげんよう」と挨拶だけして彼女たちの横を通り過ぎる。みんな侍女か護衛つきのようだ。
ルティエのように自由気ままに、ひとり行動をしている女性はいないみたいだ。
(これが令嬢の基準ならレオシュ様が心配するのも無理はないわね)
訓練場を一瞥もせずに建物の奥に進む姿に「ああ、お仕事なのね」と誰かが呟き、令嬢たちは安堵した。ルティエが制服姿でないのは気にならない。恋人や目当ての騎士がいるなら、ちゃんとしたドレスで来るはずだからだ。
「きっと事務室にご用事なのよ」
そう納得した令嬢たちは、再び窓から騎士たちの訓練を眺めるのだった。
(ふーん、みんなデイ・ドレスなのね。ちょっと簡素だったかしら)
令嬢たちの色鮮やかなドレスと比べて、ルティエは紺色のワンピースドレスを見下ろした。装飾も同布の胸元の大きなリボンくらいである。あまり気合を入れるのもおかしいかと思ったのだが、そんな事はなかったらしい。
騎士団本部に訓練場は隣接しており、本部奥は事務経理室、使用室、団長室などがある。最奥は資料室、作戦本部など部外者立ち入り禁止区域だ。
令嬢たちが予想した事務室、そしていくつかある隊長室を通り過ぎて、あるドアの前で立ち止まった。ドアのシルバープレートには“副騎士団長執務室”と書かれている。
ルティエは深呼吸をする。
受付でレオシュの居場所を聞けば、今の時間は執務室だという。ほっとした。訓練中だと声を掛けにくいし、差し入れもずっと持っていなくてはならない。
ノックをすると、一瞬の間の後「どうぞ」と返事があった。
「失礼します」
遠慮気味に中に入ると、レオシュは驚いたらしく、ペンを持ったまま目を見開いて固まっていた。ぽかんとした表情はいつもより年相応に見える。
(か、可愛いー! なんですか、そのきょとん顔!)
意外な姿を拝めて心の中は狂喜乱舞だが、腐っても侯爵令嬢なので優雅に礼をする。
「お久し振りです。レオシュ様」
「あ、いや、ノック音が小さかったから誰かと思えば。まさかボネシャール嬢とは!」
レオシュが勢いよく立ち上がったものだから、机の上のインク瓶が倒れるところだった。
「お邪魔でしたでしょうか? 受付では問題ないからと、通していただいたのですけど」
「いや、大丈夫だ。かまわない」
「良かったです。この間のお礼をと思いまして」
バスケットの中に入れていた箱をすっと取り出して、近づいてきたレオシュに手渡す。
「そんな気を使わなくともよかったのに。だがありがとう。これはミラーリュの菓子だね」
貴族御用達店だ。さすがに箱で気がついてくれた。
「はい、お好みが分からなくって。甘いものが苦手な場合も考えて、スティックチーズパイにしたのですが」
好みをリサーチしましたなんて言えば、絶対引かれる。ここで好感度を下げるわけにはいかない。
「ケーキも嫌いではないのだけど、クリームやチョコのものは避けるかな」
(ほうほう、メモメモ。それを世間では“苦手”というのですよ)
にこやかに話を聞きながら、レオシュの情報を頭の中で更新する。
「すぐにいただきたいところだが……もうすぐ会議だ」
レオシュが顔を曇らせた。
「……この菓子を皆に配っていいだろうか」
「勿論ですわ。休憩時間のお茶受けにされたらいいと思います」
「ありがとう」
(こんな事もあろうかと多目に準備して正解だったわ)
人数分に足りないより余程いい。
(そして出席者に、ルティエ・ボネシャールからレオシュ・ベネチェクト様への差し入れだと告げてもらえば完璧なんだけど)
「そうだわ、レオシュ様。レオシュ様が指導や訓練される日はいつですか? 今度はぜひ鍛錬をしている姿を見たいです」
「ボネシャール嬢が見ても楽しくはないと思うぞ」
「ルティエです。レオシュ様」
にっこりと令嬢スマイル。
笑顔で名前呼びを強要する。でないとルティエも“レオシュ”と呼べない。
「……ルティエ嬢」
「はい」
呼び捨てでも構わないが、現在の関係性では無理だろうから良しとする。
「そうだな。任務や会議がなければ、午前中は大抵訓練場にいる」
「分かりました。それではまた。怪我にお気を付けて」
もう少しレオシュを堪能したかったが、そんな素振りは見せずにルティエは副団長室を出た。
(兄様に頼んでスケジュール表を入手してもらおうっと)
空のバスケットを振りながら、ルティエは騎士団本部をあとにした。
今日の定例会議は、主に備品に関する検討であり、長引かないから休憩を挟む事もなかった。
レオシュは菓子を出すタイミングが分からず、結局閉会直後に「差し入れをもらったから食べていかないか」と一同に声を掛けた。
従者たちが茶を入れ、皿にチーズパイを数個ずつ載せていく。
「これミラーリュのスティックチーズパイじゃないか」
コンラートの指摘に「ああ、この間ルティエ・ボネシャール嬢の護衛もどきをした礼にいただいた。皆で食べて欲しいそうだ」と、レオシュは会議場に響く音量で返した。
ルティエの願い空しく、レオシュは未婚の令嬢に妙なうわさが立たないようにと、気を配ってくれるのだった。