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何故か「騎士団」の変換が真っ先に「氣志團」になったんだけど?
見直さなきゃうっかりギャグになるところだった……。
「ロベルト、ルティエ、今日は重傷者もいるようよ」
診療室受付から回されてきた診療録をめくり、アクスロンが眉をひそめた。
ロベルトは先輩医療士である。
「何かあったのでしょうか」とロベルトは尋ねた。
「騎士団で盗賊狩りがあったみたい」
「そうですか。では、ルティエ、大量に湯を沸かしてくれ」
「はい」
ロベルトに言われたルティエは、診療室を出て作業台のかまどに向かい、すでに沸いている鍋の隣に大釜を置き、水瓶から水を入れて沸かす。
(訓練中の怪我じゃないんだ……)
綺麗な湯を入れたタライと布を準備しながらルティエは考える。
盗賊や不穏分子のアジトを叩く場合、事前に告知されないからこうした事はあとで知る。
(命のやり取りなんだわ。瀕死の人がいなければいいけど)
血だらけの若い男が、上官らしい男性に支えられて現れた。
一目見てアクスロンは指示を出す。
「ああ、結構縫わないと駄目ね。ロベルト、麻酔薬を嗅がせて」
「はい」
次に、ロベルトが若い男の騎士服をハサミで切りながら脱がせる。ルティエはアクスロンの指示に従い、湯で濡らした布で慎重に身体の血を拭う。
血が止まらない腹部を観察する。傷口に異物もない。綺麗に斬られているから縫合しやすいし治りも早い。命に別状がないのでルティエはほっとした。
「麻酔が効くまで少し時間が掛かります。ベネチェクト副団長、次の患者を呼んでくれないかしら」
アクスロンが付き添いの男性に声を掛けた。
そこで初めてルティエは付き添いの人物が副騎士団長だと知り、彼を見直した。
(レオシュ・ベネチェクト副騎士団長。ベネチェクト次期公爵の……)
彼の短い赤い髪は鮮やかで、眼光鋭い鳶色の瞳は、とても意志が強そうだ。若くして副騎士団長になった彼は、とても二十五歳とは思えない貫禄である。
不躾に思われたのか、ルティエと目が合った彼が凛々しい眉をひそめると、眉間に深い皺が出来た。
びくりとしたルティエに気が付き、「ベネチェクト殿、私の新人部下を睨まないでくれないかしら」と、次の怪我人の具合を診ながらアクスロンが苦言を呈する。
「失礼。睨んだつもりはなかったのだが」
言い訳した彼は「すまなかった」とルティエに詫びる。困惑した響きのゆったりとした低い声が心地よい。
「いえ! 気にしていませんので!」
ジロジロと観察していた自分が悪い。公爵令息に謝罪されてルティエは慌てる。ふっと、レオシュが口元を緩めた気がした。
最初の怪我人が腹部縫合の重症なだけで、何針か縫う怪我人は肩や手足で、幸い神経や内臓を損傷した者はいなかった。
「あら、副団長、あなたも手を傷めていない?」
一通り全員の診察を終え、レオシュに説明報告をしていたアクストロンが、不自然に動かす彼の左手に気がついた。
「ああ、手首を捻挫した。大した事ではない」
「あなた方はそうですよね。公傷なんですから来てくださいよ」
ロベルトが溜息をつく。本来、被害状況を正確に記帳しないといけないのだ。
「多少の怪我は騎士団の常備傷薬で十分だ」
「まあせっかくだからテーピングしていくといいでしょう。ルティエ、手当てしてあげて」
アクストロンに言われ「は、はい」とルティエは包帯を手にする。
「過剰だ。しなくていい」と断る副団長に、「そう言わないでください。彼女に練習させてやってくれませんか」と頼む。
「練習台か。それなら」
素直にレオシュは左手を差し出した。
「すみません、失礼します」
ルティエは彼の手を取ると、腫れている部分に炎症を抑える軟膏を塗り、キツく包帯を巻く。
「どうですか? 痛みや圧迫感はないですか?」
親指を動かして具合を確かめていたレオシュは、心配そうなルティエに「問題ない」と答えた。
その時再び目が合い、ルティエは慌てて視線を逸らした。
*****
その日、部屋に戻ったルティエはベッドの上でゴロゴロし、うつ伏せになると枕をバンバンと叩き始めた。
「レオシュ・ベネチェクト副騎士団長! 素敵すぎるう!!」
一人暮らし最高!
屋敷ではこんな身悶えも独り言も出来ない。
副騎士団長は王城の食堂で知り合った女性たちから、うわさ話を聞かされていた人物だった。
強面で冷淡な上に無愛想。見合いをしても令嬢に怯えられて上手くいかず、公爵家の跡継ぎなのに未だに婚約者がいない__。
遠目からでもおっかないものねーなんて彼女たちが言っていたから、どんなに怖そうな人物かと思えば……。
「めっちゃ好み!!」
強面と言うほど厳つくはない。あれは“精悍な面構え”で、顔立ちは整っている。長身でガタイがいいから威圧的に見えるだけだ。頼もしいではないか。
貴族たちに好まれるのは優美な容姿だ。特に女性には、ルティエの父親のような優男が人気である。
しかしルティエは、綺麗なだけで軟弱そうな男は好きではない。幼い頃『お父さまと結婚する!』とイゴルに抱きついていたのは、今では葬り去りたい思い出である。腹立つ。
「騎士団かあー。行く機会ないなあ」
文官のシモンと楽士のイゴルは全くの畑違いなので、身内の元を訪れて偶然見かけるなんて、幸運は望めそうにない。
相手は次期公爵様だ。どうこうなる気もないけれど、時々は姿を拝みたいものだ。
「怪我して、診療室で会うなんてのは嫌だし」
*****
同じ頃、レオシュ・ベネチェクトは騎士寮の自室で、手当てされた左手を眺めていた。慣れない手付きで懸命に包帯を巻く医療士の姿を思い出す。
(あれがルティエ・ボネシャール嬢。医療士になった変わり者の侯爵令嬢……)
綺麗な少女が入省してアクストロン医療士の部下となっていると、王城のあちこちでうわさなのは知っていた。
宮廷楽団のヴィオラ奏者イゴル・ボネシャールの娘で、財務省の書記官シモン・ボネシャールの妹。それだけで話題性は十分だ。
初めて会った本人はうわさに違わず、父や兄によく似た美貌だった。診療室に女神が降臨したのかと一瞬思ったくらいである。
アクストロン医療士が外傷担当の日は、彼女が助手として診療室にいるので、訓練中の少しの怪我で団員たちが診療室に行こうとする。
だから「本当に重傷で治療の必要な者が後回しにされるかもしれない」と、自己判断を禁止し、治療は上官に認められた者のみとの、団長のお達しも納得である。
たまに貴族令嬢が出会いを求めて、文官や司書見習いの真似事をする事がある。上からの捻じ込みが断れない事情は分かる。給与は発生しないものの部外者は邪魔であろうに、令嬢がいると華やかだからと歓迎する部署もあるらしい。
ボネシャール嬢は紛れもない医療士だ。腹部の傷口を観察し、負担にならぬよう慎重に身体の血を拭っていた。
そんな彼女を眺めていると目が合い、アクストロン女史に注意された。睨んだ覚えもないのに、そう受け取られるのは日常茶飯事である。誤解を解くための弁明は柔らかい口調を心がけた。
震える事なく治療してくれたので、そこまで怖がられてはいないと思う。単に令嬢の肝が据わっているだけかもしれないが。
レオシュは身体が大きい上に眼光が鋭いので、若い貴族女性に怯えられていた。同期の騎士団二番部隊隊長のハンセ侯爵家令息のコンラートのような細身で優しい風貌の男が好まれる。
コンラートが令嬢たちに囲まれて愛想良くしている姿を見ても、面倒くさそうだと思うだけで、羨ましいとも感じない。
公爵家嫡男として見合い話は途切れないが、女性を怯えさせるのは本意ではないから断っている。家のためにと、令嬢に我慢されるのはこちらも嫌だ。
大体父親も結婚したのは三十三歳の時で、母親は戦地で知り合った南の少数部族の首長の娘だ。一応こちらで言う“姫”に当たるので婚姻は特に問題なかったらしい。
狩猟民族出身の母はよく父と狩りに出る。そんな嫁を歓迎するのだから、さすがは武門のベネチェクト家である。
(普通の令嬢が嫁いできても馴染めないだろうな)
鮮やかな金色の髪に明るい空色の瞳。たおやかで清楚な感じのルティエを思い返す。惚れたとかではないけれど、魅力的な子だった。