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 ルティエだって学生の時には恋をした。相手は子爵家の息子である。そろそろ婚約の許しをもらいに侯爵家に行きたいと彼は話していた。なのに。


 彼が友人たちと話しているのを聞いてしまった。


『親がボネシャール家の娘を絶対逃すなって。結婚したらウチに援助してくれるだろうから。あいつ、俺に惚れてるから言いなりだろ』


『いい金蔓だよな。おまけに美人ときた。おまえのどこが良かったのやら』


『“高嶺の花”ってのは、男が気後れして、逆に声を掛けられないんだよ。優しくしたらコロッといったぜ』


 そうして恋人は友人たち相手に、ルティエのちょろい話を面白おかしく自慢げに語る。


 __信じられない! 優しかった。とても大事にしてもらっていた……。それが偽りだったなんて!


 その場から逃げたルティエは、すぐさま彼の身辺調査をすると決め、恥を忍んでシモンに洗いざらい事情を喋る。可愛い妹を愚弄されたシモンは怒り、次期当主権限で侯爵家の調査部を使い、徹底的に調べてくれた。


 彼の家には離婚理由が素行不良の出戻りの姉がいて、その姉も両親も、そして本人も浪費家だった。羽振りが良いと思っていたが、実情はあちこちに借金を拵えていたのだ。


 一番許せなかったのが、彼が何人もの町娘と関係を持っていた事である。貴族相手じゃなければバレないとでも思ったのだろうか。


 騙されていたのだ! あの温和な外面に! 悲しみより怒りが湧いた。

 あんな平凡な容姿の男でも浮気するなんて! 裕福な商家の息子を装い、結婚をちらつかせて何人もの女の子を騙して!!


 即行別れた。


「よくも馬鹿にしてくれたわね。金蔓ねえ。ボネシャール侯爵家も舐められたものだわ」


「みんなに羨ましがられて、調子に乗ってたんだ。ごめん、ルティエ!!」


「浮気者は嫌いなの」


「違うんだ! 本当に愛しているのは君だけなんだ!!」

 どこかの父親みたいな泣き言言ってたけど知らん。


 真面目な人だと思ったから好きになったのだ。それがまやかしなら、もう要らない。



 それからのルティエは恋より勉学を選ぶ。勉強だけしていればいい時期は今しかないからだ。興味のあった医学薬学に励み、好成績だったので在学中に王宮医療士の試験を腕試しに受けたら合格してしまい、医療省への就職が決まった。


「兄様はいいわよねえ。学生時代にさっさと公爵令嬢を射止めたんだから」


 ルティエの恨み節にもラウラは「早くフランチシュカお姉様、いいえ、フラン姉様とお呼びしたいわ!」と、純粋に喜んで乗っかってくるだけだ。

「これからはお姉様が二人になっちゃう。うーんと……ルゥ姉様と呼ぶわ!」

「お好きにどうぞ」


 シモンはルティエと違って学生恋愛を失敗しなかった。在学中に同級生のフランチシュカ・バジャント公爵令嬢と婚約した。王家に歳が釣り合う王子がいれば、婚約者に選ばれたであろう才色兼備な女性である。七ヶ月後に、ようやく二人は結婚する。



 ひと月前に学園を卒業したルティエは、一週間後から初出勤だ。王城に隣接する医療省内部には寮があるので、そこに住む事にしている。


 父も兄も通いだし、本来は寮入りしなくてもいいが、これは医療省から打診された。急患の対応を期待されてである。


 ルティエが在学中に王宮医療士に合格したのは、侯爵家の娘だったからと知り、正直がっくりしたがそれには理由があった。


 お金に困っていない貴族令嬢は勉強が出来ても、普通医療省にほぼ就職が決まる王宮医療士の試験なんか受けない。


「受験申し込み書を見た時に、これは逃しちゃいけないって上司たちが騒いで、試験を受ける前から内申書で合格確定していたのよ」

 と言ったのは直属上司のアクスロン男爵夫人だ。元平民だが当時のアクスロン男爵嫡男に見初められた才媛である。彼女の説明は続く。


 我が国に訪れた貴人に何かあった時、同性しか診てはいけない国とか、子供が男性医療士に怯えて泣き叫ぶとか、そんな時は女性医療士の出番である。


 更に身分制度の厳しい国では平民に触れられるのを嫌う。高位貴族の女性なら他国の者も安心するので、侯爵令嬢のルティエは打ってつけだ。


「……という事情があって悔しい思いをしていたら、夫に次期男爵夫人にならないかって口説かれたのよ。断る理由がなかったわ。でも所作マナーは今でも不得手なの。それに比べてあなたは生まれながらの侯爵令嬢。これ以上の逸材はいないわ」


 つまり、ルティエは対貴人用としての、早期戦力を求められている。


(受かるわけないって、軽い気持ちで医療士試験受けただけなのに……)

 ルティエは他の受験者に実に申し訳ない気分である。



 医療省就職は家族に反対されるだろうと思いきや、

「女医療士は王族の出産にも、産婆の助手として立ち会うのよ。女が就ける中では最高職のひとつよ。誇っていいわ」

 と、母は侯爵の立場であるだけに、仕事をするのに反対しなかった。


「でもルティエちゃんの婚約者選びが難航しそうだよ」

 父は貴族らしく“娘の結婚”が気にかかるらしい。


「父様は娘の心配より、遊び相手の女性に刺されないように気をつけた方がいいと思うわ。運ばれてきても私は治療拒否するから」


 強烈な娘の言葉にイゴルは青くなりアガータは爆笑した。

「ねえ、あなた。〈恋多き宮廷楽士イゴルここに眠る〉と墓石に刻んであげようか?」

 愉快そうな母の神経が分からない。


「王城と繋がってるし、図書館も近いし、あの辺りは人の出入りの多いところだから、案外良縁が転がってるかもな。親父、釣書を預かるなよ? 親父がルティエの縁談持ってくるくらいなら、俺が相手を探す」


 シモンは優柔不断な父親に釘を刺す。押し切られて、後妻にとかマザコン野郎とか訳ありな話を持ち帰るから、全く信用していない。そんな話は母が断りを入れる前に、ブチ切れた兄が求婚相手に押しかけて暴言を吐いて断るらしく、「容姿とのギャップが酷い」との評判に拍車がかかっているようだ。


 ちなみに婚約者のフランチシュカは、そんなシモンを「敵に強い」と高評価している。




*****


「ボネシャールさん、はいこれ、差し入れ」

 茶色の髪の青年がルティエに紙袋を差し出した。


「あ、ロジッタさん」

 ルティエは不思議そうな顔でそれを受け取る。中身はサンドイッチだった。


「昼ご飯、今日も抜くつもりだったんだろ」


 ルティエが医療省に勤め始めて一ヶ月経つ。学ぶ事が多くて、見習いとしてあちこちで雑務をこなしている。侯爵家の人間だからといって優遇されたりはしない。そこで家柄をかざすのは職業人としてあり得ないので、ルティエは粛々と与えられた仕事をするだけだ。


 ここしばらくは新薬開発部のロジッタ医療士の助手をやっている。とは言え使用器具の洗浄やデータの清書くらいしか出来ない。


「ありがとうございます。助かります。午後からは診療室に行くので食事の時間がなくって」

 彼が差し入れと言ってくれたので、ルティエは素直に頂戴した。


「うん、ごめん。ちょっと時間が押してるなとは思ってたんだよ。診療室の休憩室でサクッと食べたらいい。あそこは時間に厳しい」


 怪我人や病人を診る診療室は忙しく、見習いのルティエも一人前の助手として扱われるから時間厳守だ。指示された薬や包帯など、すぐに出せる事が要求される。


 駆け出し医療士が実際の治療のやり方を目で見て勉強できる、貴重な現場だ。ルティエは足早に、それでも優雅さを失わず診療室の準備休憩室に急ぐ。見事な貴族令嬢スキルである。


 休憩室に着くとあっという間にサンドイッチを食す。上品さを失わない所作で、これまた見事な貴族令嬢スキルである。しかしラウラが見れば、「時間に追われて習得した技など嘆かわしい」と呆れそうである。


 アクスロン医療士の“部下”になるので、彼女の居る第二診療室に入る。第一が体調不良、第二が負傷者対象だ。


 第二診療室に初めて配属された時、侯爵令嬢だから怪我人を見れば気絶するのではないかと、周囲に危惧されたらしい。


 なんせ宮廷楽士イゴル・ボネシャール激似であるから仕方ない。しかし外見詐欺でルティエにはそんな繊細さはない。都合よく失神できるのは貴族女性の隠しスキルではないかと、彼女は常々思っている。生憎ルティエは未習得だ。



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