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ルティエ的には楚々とレオシュを連れ出したつもりだったが、外野から見れば、ルティエが彼を引き摺っているようだった。
「ああっ、ルティエちゃん! 被った猫が脱げかかってるよ!」
楽団から一時抜けたイゴルは、愛娘の動向に気が気じゃない。
「あのくらい頑張らないと、きっと副騎士団長はルティエさんの想いに気がつかないと思います」
フランチシュカの言葉にアガータは「わりと苦戦してるわよね」と応じる。「見た目はイゴルなのに」と、娘に靡かない事に納得いかないようだ。中身が自分似であるのは言及しない。
「大丈夫、順当に攻略してるよ。かなり絆されている」
情報収集に定評のあるシモンは冷静だ。夜会参加初めてのルティエの相手役を務める意味を、レオシュも恐らく分かっているはずだ。更に二曲続けて踊ったのだから、最早“押しに弱い”は言い訳にならない。
身内のやきもきなど知らないルティエはバルコニーにて二人で夜空を見上げる幸福を味わっていた。並んで他愛もない話をするのも楽しい。
「副騎士団長、ちょっといいですか」
警備中の騎士がいきなり現れてレオシュに耳打ちする。一気に険しい顔になったレオシュはルティエを振り返り「すまないがご家族と一緒にいてくれ」と告げる。
「なにかありましたか?」
「……うちの親戚が裏庭で問題を起こしているらしい」
そう言って、すぐにホールに向かおうとするレオシュの袖をルティエが引っ張って止めた。
「裏庭にはホール突っ切るより、ここから行った方が早くないですか?」
彼女が指差したのはバルコニーの柵だ。レオシュは口をあんぐりさせる。
「ホールから出たら目立ちますよ。今夜は参加者の立場なんですから、何事かと詮索されます。ここで待ってますから仲裁が終われば、バルコニーよじ登って帰ってきてくださいね」
にこやかに決定事項のように指図される。飛び降りて、また登ってこいなどと乱暴な事を侯爵令嬢が言うなんて。伝えにきた騎士もびっくりだ。
「このくらいの高さ、余裕ですよね」
余裕だ。余裕なのだが。合理的だが非常識な意見に動揺するレオシュに、「考える時間があったら決断してください」と急かす。
思わずレオシュはちらりと知らせの騎士を見た。
「私は何も見ません。あ、警護に戻りますね」と、言って去ったので決心した。やつはベネチェクト公爵家所縁の騎士だ。問題ないらしい。
「分かりました。では少しの間、失礼する」
レオシュはバルコニーの欄干に手を置くと、勢いをつけて、ひょいと飛び降りた。二階より若干高い程度だ。犯罪人を追う時とか屋根から普通に飛ぶし、慣れている。
「きゃあっ」
ルティエの小さな悲鳴が聞こえて、やはり粗野で驚かれたかと思って見上げたが、欄干から見下ろす彼女は笑顔で、そして手を振っているのが月明かりに照らされて、はっきりと見えた。
その姿は騎士団訓練場で団員たちを見ている令嬢たちと同じだと気がつく。
『きゃあ素敵!』
『頑張ってー』
そんな彼女たちと行動原理が同じで、ルティエは喜んでいるのだ。レオシュはすぐに駆け出すが、ふっと笑みが零れる。
(野蛮な行動を推奨する令嬢なんて、本当に変わっている)
レオシュが裏庭と呼ばれる場所に来れば、男たちの言い争う声が聞こえた。
「貴様が騙したんだろうが! お前の娘は十歳だろ!? 寄越されたのはどう見ても十代後半、しかも娼婦だった!」
「大事な娘を、貴殿のような幼女趣味のところに送る訳がないでしょう。酔った貴殿が勘違いしたのです」
「娼婦にあんな法外な金を積むか!!」
以前から何かと連んでは賭け事などで小さい騒ぎを作る人物たちで、片方は公爵領の経営を一部任せている遠縁の者なので、公爵家の手の者が目を光らせている。
舞踏会や夜会などで時々こうして抜けては、賭博場や非合法オークションなどの情報共有をしている、くだらない大人どもだ。大した悪事も出来ない小物なので普段なら放っておく。
見張りが今日知らせてきたのは、片方が険しい顔で親類を連れ出したからだ。
“部屋ではなく外に連れ出されて、いつもと様子が違う。暴力沙汰の危険あり”との報告で、一般騎士では介入できないと判断したのだ。
レオシュは二人の会話の不穏さに険しい声を投げる。
「ナイアシロン伯爵、ローグ伯爵、人目を避けて何をしているのか」
敢えて足音を立てて、レオシュは二人の前に姿を現す。
「副騎士団長!?」
「レ、レオシュ様、どうしてここに!?」
「会場周りの警備員から、二人の貴族が揉めていると報告があったんだよ。俺じゃないと対応できないとね。賊じゃないから、しょっぴく事も出来ないだろ」
「わ、我々は世間話をしていただけだ」
責めていた男が言い訳をする。
「そ、そうですよ、レオシュ様!」
宗主の子息の登場に、ローグ伯爵も慌てて話を合わせる。
「ナイアシロン伯爵、あなたはローグ伯爵の十歳のご令嬢を買ったのだな」
「なっ! 誤解だ!!」
「二人の会話はしっかり聞いた。後日、詳細を聞く」
「レオシュ様! この下衆が娘を所望して断れなくて、仕方なく娼婦の派遣を……!」
「ふざけるな! 貴様が持ちかけた話だろうが!」
「ローグ伯爵、あんたは今までも同じような詐欺擬きをしているな。令嬢が五歳の頃から。幼女好きに娘を触らせて、賭博場での金を出させていたのか? あなたが時折出所不明の小金を持つのを疑問に思い、あんたの奥方が公爵家に相談に来たよ」
「なんですって!?」
父親の死により、若くして伯爵になった現ローグ伯爵。彼の妻は淑女らしい淑女だ。たまに夫の知人と名乗る人物が屋敷に来て、幼い娘をやたら抱っこしたがったり、髪や顔を撫でたりして、単なる子供好きとは違う気持ち悪さを彼らに感じていた。しかし夫はにこにことその様子を見ているだけだ。
それどころか『このおじちゃんのところに泊まりに行くかい』などと、信じられない事を言う夫を不審に思うようになり、とうとう我慢出来ずにこっそりとレオシュの母に相談した。今から二年前だ。
「“夫は娘を商品にしているのではないか”と相談する奥方が不憫だったよ。令嬢がなぜ俺に懐いてるか知っているか? 一度お宅のガーデンパーティに呼ばれた時、令嬢がいなくなった時に探したんだ。彼女はなぜか子爵家の息子と二人きりでサンルームにいたよ」
奥方が『インドナが見当たらない』と相談したのに、夫は『家の中にいる』と全く心配しない。だからこっそりとレオシュが探した。
男と二人でいた令嬢は涙ぐんでいた。
『インドナ、おいで! お母さんが探している!』
声をかけると令嬢の手を握っていた男が驚いて、彼女を振り払う。手を広げると少女は懸命に走ってレオシュの腕の中に飛び込んできた。男を睨むと、奴は青い顔で一礼して逃げていった。
「べたべたと身体を触られて気持ちが悪かったんだと。そんな嫌な目にあっても今まで誰も助けてくれなかった。分かるか? 俺はあんたの娘の救世主になったんだよ。だから怖がらずに慕ってくれているのさ」
「妻がそんな恥を公爵家に……」
「恥晒しはあんただ。娘の貞操まで売る気はないから無罪だとでも思ったか。ナイアシロン伯爵、あんたは伯爵令嬢の売買未遂。ローグ伯爵、あんたは息女売買を謳った詐欺になるか」
ナイアシロン伯爵は下手に弁解せず黙り込んでいる。文書のやり取りがないから証拠は副騎士団長が聞いた言葉だけだ。逃れる方法を模索しているのだろう。
「あんたら、ここに来るまでにも争っていたよな。うちの諜報員が後をつけて俺が来るまでの話を聞いている。あとで詳しい報告がある」
がさり、と近くの植え込みが大きく揺れた。諜報員が姿を現さずに存在を示したのである。
「俺も建国祭の夜会で問題を大きくする気はない。今日はさっさと帰れ!」
これは内々で処理する案件だ。公的機関にあげてもただの醜聞になるだけで、罪に問える罪状がない。
(やれやれ、親父に相談せねばな)
急いで去っていく男たちの後ろ姿を見送ると、レオシュは踵を返す。
近くにいた警備騎士は首を傾げた。会場に戻るなら、先程の貴族たちと同じ方向なのにと。しかしレオシュはバルコニー経由で帰るから反対方向なのだ。
「わあ! さすが、ここから飛び降りても、びくともしなかったわねえ」
ルティエは興奮冷めやらぬ顔で、レオシュの姿が消えた方角をずっと見つめていた。大捕物の場合、民家の屋根から屋根を駆ける時もあると彼から聞いた。ぜひその勇姿を見てみたい。絶対かっこいい!
月を眺めながら、レオシュが早く帰ってこないかなと考える。バルコニーをどう登るのだろう。わくわくする。
レオシュが問題解決のために行動した事なんか、すっかり抜け落ちて妄想を楽しんでいるのだから、随分お気楽である。
颯爽と現れるレオシュを想像しては、すっかり恋人を待ちわびる気分で高揚していたルティエは、背後に誰かが現れたのに気が付かなかった。
「おや、ルティエ嬢、お一人ですかな」
意外そうに掛けられた濁声に、振り向いたルティエの気分は盛り下がる。
そこには赤ら顔のロワーク・ロックデシンが突っ立っていた。