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建国祭本夜会当日、ベネチェクト公爵家の馬車が迎賓館に着く。公爵夫妻は先程到着したばかりだから、乗っているのは一人息子の副騎士団長だ。彼は避けられない夜会だけ嫌々出席して、挨拶回りをして友人たちと少し話してから早々に抜けるのが常である。そしてあまり知られていないが、帰り際には会場警護に口を出して、臨機応変に騎士の配置換えを指示している。
いつものように一人で馬車を降りたかと思えば、中に向かって手を差し出す。彼の手を借りて降りてきた美女に周囲の者が目を奪われた。
「ご子息が女性連れだと? 初めてではないか?」
「なんと美しい。どこのご令嬢だ」
「あれはボネシャール家の長女ではないかな」
「間違いない。イゴル殿にそっくりだ」
「確か今年卒業したばかりだから本格夜会は初参加では?」
囁き合う声が漣のように広がる。しかしそれもレオシュがじろりと辺りを見回しただけで収まった。
それでもレオシュがルティエを伴って入場した途端、会場内で驚きの声があちこちから上がる。
あのボネシャール侯爵令嬢をエスコートするのが副騎士団長だなんて、誰も想像すらしなかったに違いない。
ベネチェクト家に申し込まれて断る事が出来なかったのでは、とルティエに同情の目が集まる。
しかし当の令嬢はレオシュの腕に手を絡めて身を預け、にこにこしている。レオシュの方がその様子に困惑しているようで、いつもは会場を睨むような瞳の眼光も力なく、若干眉尻を下げている。
なんだか想像と違う気がする……と周囲も戸惑う。
「おや、なんだね、似合わぬ二人だ。“美女と野獣”と言ったところかな」
いきなり近づいてきたかと思えば挨拶もない。
(誰? この失礼な男は)
笑みは崩さないまま、ルティエは内心罵る。
「ロックデシン卿。早くから飲み過ぎでは? まだ陛下も見えられていませんよ」
レオシュが冷たく見下ろす。
(ああ、これがロワークって、前副騎士団長? なに、この新旧の差は)
体幹がしっかりしていて姿勢よく、ルティエがこの時とばかりに寄りかかっても安定感があるレオシュ。対してロワークは猫背気味で腹も出ており、身長もレオシュより頭ひとつ分は低い。
「ボネシャール侯爵令嬢、そんな獣臭い男は、あなたには似合わない」
これはルティエを誉めているつもりか? いや、レオシュを貶めたいだけだ。
「野生的でしなやかで凛としていると言う意味で“野獣”とおっしゃったのなら、レオシュ様にピッタリですわね」
嫌味を称賛に変えてやった。
ルティエを静かな令嬢だと見誤っていたロワークは虚を衝かれる。顔が赤くなったのは手にしたブランデーのせいだけではあるまい。
(さっきロワークの発言に乗っかって嘲笑した奴ら、顔を覚えたからね! 名前はあとでレオシュ様に聞こう)
演技ではなく、ルティエはレオシュを見上げる時はうっとりとしている。騎士団の正装姿なのだから見惚れても仕方がないのだ。ルティエに左腕を拘束されているレオシュには、いつもの鋭利さがない。そんな副騎士団長の姿を見るのは皆、初めてであった。
少し離れた場所で、シモンとフランチシュカがそんな彼らを観察している。
「ロックデシン公爵家、潰してやろうか」
「まあシモン、落ち着いて。筆頭公爵家だからそれはまずいわ」
シモンが爽やかな笑顔であるほど、怒りがそれに比例して大きいのを知っているフランチシュカだ。その本性をも愛する彼女は慈愛に満ちた表情を浮かべている。
「狙うなら本人だけにしなさい」
「仕方ない。そうする」
頼もしい次期侯爵夫婦になりそうな、ボネシャール家の未来は明るい。
「ベネチェクト公爵様、公爵夫人様、本日は娘のたっての希望で、エスコートを引き受けてくださり、ありがとうございます」
アガータがレオシュの両親を捕まえて挨拶をする。
「とんでもないですわ」
レオシュの癖毛の赤い髪は母親譲りだ。狩りが趣味なだけあって引き締まった体をしている。筋肉のない婦人たちが多い中、異彩を放つ。
「息子が夜会にあんな美しい女性を伴うなんて驚きました」
年齢の割に逞しい肉体を持つ公爵も笑顔である。
「娘はレオシュ様に頂いた髪飾りをどのように着けようかと悩んでいましたわ」
「あの愚息に、パートナーに装飾品を贈る発想があった事に驚きましたよ」
和やかな両家の会話に、聞き耳を立てている周囲は驚いた。
ボネシャール侯爵令嬢自ら、相手役に副騎士団長を望んだらしい。彼女ならもっと相応しい貴公子を選べただろうに。そもそもどうやって知り合ったのか。
注目の二人を多少知っている者は知り合いに語る。
「彼女は王宮医療士だ。騎士団が世話になっている縁で親しくなった」
「二人仲良く城下町を歩いていた」
「騎士団本部に令嬢が副騎士団長の指導訓練の姿を見に行っている」
ほぼルティエが狙った通りの目撃談が、この夜会で大々的に広まるだろう。
自由に語り合い、騒ついていた会場が静かになる。
宮廷楽団の演奏が始まったからだ。人々は口を噤む。国王陛下を筆頭に、王妃、王太子、王太子妃と玉座のある壇上の奥の扉からの入場セレモニーだ。
尊厳さと快活の融合した音楽は、自国を活発なものにしたいとの国王の願いに、王の偉大さを讃えたものを加えた宮廷作曲家渾身の曲である。
玉座の前に立った国王は『国を愛し、国民と共に歩む』や『友好国と発展を望む』の趣旨を毎年調整して述べられる。音楽の止んだ会場で、参加者たちは国王陛下のありがたい言葉を拝聴する。
夜会の開催が告げられたあと国王夫妻はホールに降りた。そうして国王陛下と王妃のダンスが始まった。さすが国内で一番高貴なお二人だ。実に優美でルティエはうっとりと眺めた。
曲が変われば、他の王族や高位貴族、ダンスに自信がある者たちが参加していく。ここからが一曲目。
ルティエがレオシュを見上げた。ここで彼女を誘わないほどレオシュもマナー知らずではない。
「ルティエ嬢、踊っていただけますか」
自分の腕に絡んでいたルティエの腕をそっと解いて右手を差し出す。
(もっちろんです! ああっ、さすが公爵家令息!)
にっこりと微笑んで頷いたルティエをホールに誘うレオシュは、彼女を少し先に歩かせ、歩幅を調節してエスコートする。一度も公式の場で踊った事のないレオシュも所作は完璧だ。
(宮廷楽団! いい雰囲気を頼むわよ!)
演奏する曲順は決まっているけれど、ルティエは念を送るのだった。主に父親に。
初めてのダンスはポルカだった。兄と踊る時は楽しくてジャンプを多用していたが、どうしようと考えていると、レオシュが迷いなくリードしてきた。軽やかなステップで舞うように誘ってくる。二人で練習した事もないのに、レオシュはルティエの動きを読んで離れたり、腰を抱いたりと合わせてくる。もちろん彼の軸はぶれない。
(巧みだわ! これで公けで初めて踊るとか! 楽しい!)
目一杯初ダンスを堪能したルティエは、曲が終わって礼をするレオシュの腕に手を添える。本当は、ガッ!と腕を掴みたいところだが、そんな心情は曝さない。
レオシュがルティエの意思が何かと考えて立ち止まってしまった結果、次の曲が始まる。ワルツだ。
「ワルツは得意です」
別にそんな事はないのだけれど、そう理由をつけてレオシュの胸に手を置く。
流れで二人は手を合わせると、彼がそっと肩甲骨に手を添えてきた。
(よし! 二曲目!!)
「その……綺麗だ。髪飾りも似合って良かった」
密着した時に耳元で囁かれてルティエは歓喜に震える。
ボネシャール家までルティエを迎えに行った時から、レオシュが告げたかった言葉である。柄でもないし、女性を褒めた経験がない彼には難しかったのだ。
ルティエは馬車の中で目を輝かせて「副騎士団長の正装! すごくかっこいいです」と言ってくれたのに。
贈った蝶の髪飾りは店を何軒も回って、レオシュが思い描く彼女に似合う物を選んだ。金の型に沿って、彼女の瞳のような空色の宝石が全体に散りばめられたもので、店主からシャンデリアにはよく映えると言われて購入した。
確かに夜会では正解だったと思う。彼女がターンをすると蝶に抑えられた金の髪が流れ、小さくカットされた青い石たちは輝きを増す。
(三曲はさすがに無理ね……)
ワルツが終わると、ルティエは「涼みませんか」とバルコニーにいざなう。今夜はいい感じの満天の星々である。情緒的に攻めたい。
いつもと全く勝手の異なる夜会で、ルティエに圧倒されているレオシュは、今日は“夜会の隠れた護衛”を返上するしかなかった。