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「お母様、どうしてお父様と結婚したの?」
ルティエが母にそう尋ねたのは十三歳の時だった。
純粋に父親を慕っていた幼い頃と違い、父が駄目男だと知ってしまった結果、呆れて聞いてみたのだが。
「顔! とにかく顔が好みだったの!!」
母は即答で、しかも誇らしげにしているのが謎だった。
「婿の分際で愛人を拵えてる不誠実さは、結婚当時は分からなかったの?」
父の愛人を名乗る女が屋敷に乗り込んできて、子供が出来たと大騒ぎしたため、父の不貞を知る事になった。
あまりにも騒がしかったから、ルティエと兄と妹は、隠れながらもしっかりその修羅場を目撃する羽目になる。
『この子も侯爵家の子供よ』
腹を大事そうに撫でる愛人を母は憐れむように見た。
母はボネシャール前侯爵の一人娘で、ホルベン伯爵家の次男の父が婿に入った。侯爵を継いだのは母で、父はあくまでその夫である。母の後継は直系である兄のシモンだと決まっている。
愛人は侯爵家に子供を認めさせるつもりだったのだろうが、愛人の子は侯爵家とは関係がない。母がそれを説明すると愛人はしおしおと勢いが衰えた。
のちの話では、産まれた子は父に似ても似つかぬ異国人の血を引いていたらしい。愛人は王都の大きな劇場の歌姫で、父以外の男性たちとも関係を持っていたそうだ。
「私が三人産んでから、お父様は子供が出来ない薬を飲み続けているの。今は子種が作れない身体だから安心して」
笑顔で宣う母に驚愕した。兄は十五歳、妹はまだ八歳だった。そんな親の事情を知りたくはなかった。兄は戸惑って、妹はぽかんとしていた。
確かに父は顔がいい。今でもスラリとした綺麗な人で、独身の時は男女問わずめちゃくちゃモテていたと、父の姉から昔聞いた。でも、生涯の伴侶に求めるものはそうじゃなくないか?
「本当に顔だけで選んだの?」
「そうよ、正解でしょ! あなたたち、イゴルに似て美形じゃない!」
母、アガータの言い分は、美しい夫を持てば子供たちも美しくなる可能性が高いから、とにかく好みのタイプの美形と結婚したかった、だと。
「侯爵家は私が切り盛りするから、宮廷楽士を続けていいって条件でイゴルは婿入りしてくれたのよ。ま、種馬になってもらえば良かったから」
母、ぶっちゃけすぎ!!
「たね、うまぁ? 種、おいしい?」
まだ純真なラウラが意味不明だと首を傾げている。
「馬鹿ですか? 子供たちの前で!」
この時の兄の嫌悪感丸出しの顔は忘れられない。
「……そ、そうだよ、アガータ、子供たちの教育に悪い……」
父が喋った。びっくりした! 因みに父はずっといた。
愛人にお帰りいただいた後のこの会話の時、父は青い顔をして壁際にいた。口を挟む事なく、完全に空気と化すかと思っていたのに。
「あら、愛人がいるのが発覚したのに、そちらは教育上、どうなの?」
アガータの口調が厳しくなった。
「娼館行きは認めていたでしょ? こんな面倒事が起こるから二度と愛人は作らないでって、私、四年前に言ったわよね」
「父さん、初犯じゃないのか!?」
シモンの厳しい口調に、イゴルは「……はい」と小声で認める。
「もう離婚してもいいんだけど」
あっさりと告げる母に、「嫌だ! 捨てないでくれ!」と父は母に駆け寄って縋った。
「あら、手に職があるんだし、独身に戻れば文句も言われずに、昔みたいに遊び放題よ?」
「嫌だ。僕は君が好きなんだ!」
「浮気しておいて何だよ、それ。行くよ、ルティエ、ラウラ」
馬鹿馬鹿しい!と言い捨てて、シモンは妹たちを促して退出した。
それから両親が離婚していないところを見ると、上手く話し合いはついたのだろう。ルティエは、とりあえず家が醜聞まみれにならなくて良かったと思った。
*****
「若い頃のイゴルは、ほんっっっとうに儚げで美しかったのよ! だから恋人がたくさんいたわ! そんなイゴルと結婚するのは大変だったんだから!!」
ルティエには、何度目かの興味もない両親の結婚記念日。家族全員が揃っていつもより豪華な食事で祝う。母はワインの杯を重ねてご機嫌に惚気ている。
確かに四十歳過ぎても父は美しい。母はそこそこの容姿で、「よくこの父の隣に立てるな」と感心するくらいだ。気の強さが滲み出る母と気弱そうな父。
今でも強引に結婚に持ち込んだだの、不釣り合いだと陰口を叩かれ、父が浮気するのは仕方ないと言われているらしい。主にご婦人たちに。父を掻っ攫っていった母への妬みが、未だにあるのだろうか。
イゴルは宮廷楽団のヴィオラ奏者。演奏する姿は優美で目立つ。
(だって家族の贔屓目抜きに、王族よりも誰よりも煌びやかだもの!)
「アガータはいつも自信満々で眩しかったよ」
酒に強くないイゴルはワイン一杯で顔が赤い。
(流し目で母を見るのはやめれ。色気がダダ漏れだから。そんなんだから今でも男から恋文もらうのよ!)
これ、夫婦が逆なら良かったのに。豪胆な父に儚げな母__なら実に貴族っぽいのに、実に! 残念だ!
浮気問題は常にあるのに夫婦の仲は悪くない。母は父の素行を諦めているというより、「仕方ないな、この人は」って感じの目で見ている。
結婚記念日なら二人で祝えばいい。
だから食事を終えると子供は「あとは二人で楽しく飲んで」と早々に席を立つ。
菓子とワインと葡萄ジュースを持ってくるようにメイドに頼んで、兄の部屋に集合だ。両親の愚痴大会は、大抵兄の部屋で開かれる。
「多分ああいうのを“破れ鍋に綴じ蓋”って言うのね」
十二歳になったラウラは両親をそう評する。もう“種馬”の意味を知ってしまっている。無垢だった妹はもういない。
「ちょっとひどいわ。“だらしない夫と、それを甘やかす出来過ぎ妻”よ」
「あー、なんかしっくりする」
兄が笑った。
「知ってた? 最近、お父様は元ガルバン伯爵夫人のサロンに楽士として出入りしているけど、彼女の愛人なんだって」
しれっとラウラが言うけど、どこで情報を得るのだろう。と思えば、お茶会でそんな話が集まるのだそうだ。さすが未成年でも令嬢令息の集まり。
(でも私の参加する茶会では聞かないわ。私たちの年代は結婚、恋愛の話がメインだからかしらね。……いえ、ちょっと待って)
スキャンダルが話題に上ることはある。そうか、家族のいるところでは暴露話もやりにくい。うわさをする時も人を選んでいるという事だ。そこが分別のある年頃ってやつだ、きっと。
シモンが「愛人はあの夫人だけじゃない。勤め先の使用人とも関係がある」と、こっそり打ち明けた。
(やだあ、父様の勤め先って王城じゃない!)
それにしても、兄も文官として登城しているのに、そりゃあバレるでしょう。父は隠す気がないんじゃなかろうか。
「相手の女が悲恋に苦しんでると、あちこちで相談という名の暴露をしているんだ。父さんは女遊びが下手だ。“愛人”を名乗る女は地雷だといつ理解するのか」
未婚の息子にこんな評価をされる父親の威厳は一体……。
両親の愚痴話に区切りがつくと、次の話題に移るのもいつもの事だ。
「ルティエも来週には引っ越すのか。寂しくなるな」
ワインをくゆらせるシモンは優雅で絵になる。さすが父親似だけある。まあ、それを言うなら、三人兄妹全員父親そっくりなのだが。
母親が「賭けに勝った!」と自慢する容姿だ。全員外見が父親似で、中身は母親似。貴族界では生きやすい兄妹である。
ルティエは就職先で寮生活をする事になっている。
「寮生活が合わなければ帰ってくるわ」
「それよりお姉様。医療士になるなんて。もういい歳なのに、結婚が遠退くのが確実じゃない?」
(くっ……! 痛いところを突くわね!)
ラウラはずっと言いたかったのだろう。ルティエだって相手がいれば将来像は変わっていた。だが婚約者もいないから今後、貴族社会では“行き遅れ”のレッテルを貼られるに違いない。
ラウラは婚約者候補を絞っている段階だ。婚約者ではない、候補だ。つまり選び放題。まだ十二歳なのでゆっくりと“見定めて”いるらしい。