バケ物
前の試合が終わり、万祝は集中治療室に送られた。
一瞬の差が命取りであったが、バブエが迅速に運んでくれたことによって、一命を取り留める。
それでも、危険な状態なようで酸素マスクが付けられていた。
ムウやリテロ、王が見守る中、四日後に重い瞼を開ける。
(......病院か......そうか、負けたんだな。悪い夢で......あって欲しかった)
万祝が体を動かそうとした。
(左腕が麻痺してるな......当然か)
しかし、後遺症は残った。
「ここはどこか分かるか!?」
その声は医者のリテロだ。
万祝は酸素マスクを外してくれと言うように、それを指差した。
「ああ、良かった。目を覚ましても、植物状態になる可能性があったからな......ある程度、回復してるようだから、外すぞ」
リテロは近くの椅子にもたれかかり、ゆっくりと酸素マスクを外した。
「ふぅ......」
万祝が深呼吸をする。
「死ぬかもしれなかった君に訊くのは無礼とは分かっているんだが、一つ、好奇心で訊かせてくれ。バブエ・カルダットはどうだった......?」
少しの間があった後、万祝はリテロを見つめた。
「別に構わない。俺の立場でも訊いていただろうから......バブエ、奴は虫をも殺さぬような顔で俺の人生と中国の技を軽く粉砕しました」
バブエはあの巨躯に見合わぬほど、縦横無尽かつ繊細な技術を持ち、万祝を尽く、破壊した。
「ハッキリ言って、君はここの上位層に位置している。そんな君を圧倒するとは......俄然、興味が湧いてきたねえ」
リテロの真の姿が出そうになった時、万祝がそれを制止する。
「リテロ、あなたも強者だ。だけど、あれには勝てない......話を聞いた限りでは、あなたに勝った侍でようやく闘えるレベルだと思っている。私の兄でトントンと言ったところだろうか」
それでも、この分析能力だけは衰えちゃいない。
「おっと、そりゃやばいね......で、ずっと気になっていたんだけど、君はもう誰とも闘う気ないでしょ?」
「なにを言っているんだ? そんなわけが......」
「私に隠し事は無理だよ。心理学に精通してるからね」
その言葉を聞いた瞬間、万祝が押し黙る。
「戦意のない奴は進世界に要らない。手続きはこっちで済ましておくよ。ただ......ムウには最後の挨拶くらいはした方がいい。君が目を覚ますまで、ずっと......ずっと......看病をしてくれたんだから」
それを最後にリテロが病室を去った。
監獄から脱出など本来不可能であるが、イタリアが多くの資源を全ての国に寄越すことで可能になるというルールを追加していたのだ。
(そうか。あいつも試合って言ってたっけか......トレーニングよりも自分の勝利よりも、俺のことを優先するなんて......非効率的だ)
そう思いながらも、万祝の目から塩水が溢れ落ちる。
そこから、万祝は回復する前に病室を飛び出ると、見覚えのある顔がいた。
無精髭の黒ずくめの男、楊首席である。
「万祝......こんなに早く病院を出ていいのか? 傷だらけだぞ!」
「試合に来なかった癖に気になるのはそこですか」
「......すまない! 言い訳になるが、見るのが......怖かったんだ。いつかこうなるんじゃないかって。病室にも行こうとしたが、合わせる顔がなかった......」
楊は現実から背こうとしていた。
しかし、夢もそう長くは続かなかったのだ。
「謝るんでしたら、一つお願い事があります。俺より強い人を本土から送ってきてください」
「そういう事か......そんな程度のなら、喜んで受けるよ」
頭を下げる楊を背に万祝は自室へと向かった。
戻ると、王が掃除をしている。
「あれ......? 万祝さん!? 意識が回復したとは聞きましたけど、もう、動いて大丈夫なんですか?」
「王、急で申し訳ないが、俺は進世界から辞退することにした」
本当に急だ。
「それって......? 進世界を辞退するってことですか......?」
王がオウム返しする。
「ここへ来る前に主席には連絡してるし、リテロが手続きをしてくれている」
万祝は手際良く、準備を済ませていた。
「万祝さんがいなくなったら、誰が代表になるんですか......!?」
王は怒りとやるせなさで胸が満たされていた。
「いるさ......あの人にしてみれば、俺なんか抵抗するだけの蟻程度だろう」
「まさか.......」
「ああ、俺の兄であり、載一族当主だ」
現載一族当主、若くして長となった異例中の異例。
その異例が他に確認出来ているのは、初代当主だけである。
王は思わず、息を飲んだ。
それほどまでの者がここに上陸するのかと。
「顔は見せたから、俺はもう行くぞ」
万祝は今の間に荷物をまとめ、ドアまで開けていた。
「あっ、ちょっ......!」
王が手を差し伸べようとした時、冷たくドアが閉まる。
ドアの外では、万祝は泣いていた。
平然を装っていても、絶望と悲しみの感情が消えるわけじゃない。
万祝はゆっくりと飛行場へ行くと、一機の機体に乗り込もうとした。
しかし......
「万祝!」
後ろから、ムウの声が。
病室を抜け出したのか、病衣を着ている。
リテロから事の顛末を聞いたんだろう。
でも、万祝は振り返らない。
「ムウ......ごめんな」
そう涙ぐみながら言うと、階段を上がり、飛行機に入っていった。
「また! 会おう!」
ムウは屈託のない笑顔で両手を振る。
航空機は無駄のない動きで監獄から飛び立った。
載 万祝は進世界ならぬ旧世界へ戻っていくのであった。
敗北とは強くなるきっかけでもあれば、絶望を与えるきっかけにも成りうる。
万祝にとっては後者だった。
しかし、万祝のような強者でもこの世界を生き抜くのは難しいようだ。
進世界......ここから、どうなるのだろうか。
------一方、載の本家では。
趣のある広い庭に二人の者がいた。
「坊ちゃんが帰ってくるそうです」
載の男が膝を付いてそう言った。
突如吹き出した風がもう片方の者の赤服を揺らし、黒く長い髪までも揺らす。
「そうか。我が弟が......な。また、会えるようで嬉しいよ。だが......弟を虐め倒した奴は絶対に許さん。インドよ、待っていろ。俺が制裁を与えてやる」
この者は載一族現当主。
名は虎龍......載 虎龍だ。
その顔は若く幼いようにも見えるが、それに鬼が宿る。
『載一族現当主』『殺しの木魚』『中国最強』
全て、彼を表す修飾語に過ぎない。
噂では、武器は一切使わず、肉体とその身に宿った技術のみで闘うらしい。
マエンとバブエだけでも腹がいっぱいだと言うのに、進世界とは魔境という意味なのだろうか。
ただ、虎龍の闘志はその二人以上に感じられた......




