バンショウの全て
(もう、いいや。なにも考えたくない)
万祝は塀にもたれかかって、下を向いていた。
ごめん、一族の皆。
俺にはまだ早かったみたいだ。
「万祝さん! なに諦めてるんですか! これが終わったら、ムウさんたちとご飯、食べるんでしょ!?」
王がすくんだ脚を無理やり前に出し、万祝を呼び止める。
(ムウ......そうだ)
万祝の目に生気が宿った。
------ある日の道場での昼。
「おはよう!」
ムウが道場を出ようとしている万祝に声をかける。
「相変わらず、バカ元気だな」
万祝は冷たく、ムウを見つめた。
「ありがとう!」
「違う、貶してんだよ」
二人の会話は正反対だった。
「え、そうなの? まぁいいや。そういえば、万祝さ。次の試合が終わったら、おれの友達と一緒に美味い飯屋巡らねえか? おれも終わらせないとだけど」
ムウがそう提案する。
「絶対、嫌だね。どうせ、やかましいに決まってる」
しかし、万祝の表情はどこか......柔らかかった。
「確かにおれはうるさいけど、他の二人は真面目だ! 一人はな、シャルルって言ってめっちゃくちゃ速い突きを放てるんだよ! もう一人はグライって言うんだけど、こっちはめちゃくちゃに優しい!」
ムウが満面の笑みで話す。
「楽しそうだな」
万祝が確かに一瞬だけニコリと笑って見せた。
「万祝......今、笑った?」
「そんなわけがないだろう。気のせいだ」
万祝は手を振る。
「いや、笑ったでしょ! 絶対に!」
「あぁ、うるさい! 笑ってないって言えば笑ってないんだよ! ......でも......約束、忘れんなよ?」
万祝がゆっくりとした足取りで去っていく。
「うん!!!」
ムウのどでかい返事と、はちきれんばかりの笑顔が今も頭にこびりついている。
それを思い出した万祝から徐々に力が湧き始めていた。
(なにを諦めてんだ、俺は! 載はこんな俺を鍛え上げてくれた......! ムウはこんな俺を認めてくれた......! その友だって、俺に微笑みかけてくれるはずだ......! ......恵まれすぎている!)
万祝からは涙が混み上がってきていた。
「おお、より熱くなって帰ってきたようだな」
バブエは喜ばしく思う。
「絶対に負けない!!!」
拐を片の腕に装填し、右半身を引くようにして構える。
「私も負ける気は毛頭ない」
バブエの右腕の血管が浮き上がる。
「そうか。どうでもいいな!」
先手を取ったのは、万祝。
詠春拳のゆったりとした歩みを使い、バブエを翻弄しながら、右へ回り込もうと斬り替える勢いからバブエの横腹に拐で突く。
バブエは少し吹き飛ぶが、脚を踏ん張って、耐える。
石板に亀裂が走る。
追撃として、万祝が横腹に左フックを繰り出した。
また、バブエが塀へ押されることになる。
ただ、バブエから反撃の貫手が飛ぶ。
それは死んだ左腕を犠牲に受ける。
万祝が拐を逆手に持ち替えると、塀から引き剥がすようにバブエの腹を穿つ。
連撃を繰り出そうとした万祝であったが、突然、バブエが大地を全力で踏み抜く。
すると、そこにはもう一つのクレーターが出来、万祝の脚を奪った。
バブエがその隙を逃さんと、蹴りを放つ。
「載を、いや、俺を......嘗めんなよ......!」
万祝は防御の策として、小石を胸に当てた。
すると、力がほんのわずかに緩んだのを見て、万祝が前へ突き出て、額で受けた。
当然、額は弾けるが、大事には至らない。
(さっきの攻撃でなんとなく分かったが、やはり、一点集中の一撃でなくてはバブエを倒すことは出来ない。リスキーでもやる価値はある)
万祝が拐を強く握り締めた。
「万祝よ。今考えていることが手に取るように分かったぞ。一つ助言だ。その考えは間違ってはいないが、間違っている」
なんなのだ、この男は。
「助言、感謝する......だが、俺は! 俺の信じた道を歩むだけだ!」
その時、万祝とムウの姿が重なる。
「良いライバルがいるのだな」
バブエが全てを見透かしているかのように微笑む。
次の瞬間、万祝が体を捻りながら、中国四〇〇〇年の歴史を踏み抜き、最大の加速をもって、バブエの鳩尾を大胆かつ繊細に、拐で撃ち抜いた!
肉体から生み出された勁を拐というパイプで流したそれは常軌を逸する威力であった。
その音はまるで、リボルバー。
威力はまるで、象のタックル。
衝撃はまるで、大砲。
吹き飛ばされたバブエは遠くにある坂を破壊し、そのまま埋まる。
これを喰らえばバブエと言えど無事には済むまい......誰もがそう思っていた。
しかし......坂は崩れ、瓦礫が万祝の方まで、なだれ込んできた。
(嘘だろ......? 全てを犠牲にしてまで放った一撃ですら、倒せないと言うのか......?)
そう、万祝は右腕という対価を支払い、先の一撃を繰り出していたのだ。
瓦礫から姿を現すのは、血塗れのバブエ・カルダット。
バブエは寸前に両腕を挟み込んでいたのか、瓦礫で黒ずんでいた。
あれ......左腕を使っている?
「君は二つ、思い違いをしていたようだ。確かに私は左手は使わんと言ったが、腕を使わぬとは言っていない。勝手に使わないと思い込んでいる......いや、思い込みたかった。もう一つは......」
バブエがもう片方を言おうとした時、
「脱力か......!!!」
万祝が口を挟む。
「そうだ。私は筋肉と脱力によるダブルの衝撃分散を確立させている」
そう言うバブエは腕を蛇のようにくねらせる。
(なぜ、気付かなかった......! いや、気付けなくされていた......?)
万祝の頭にノイズが走る。
その時、無情にもバブエが駆け寄り、右手を叩き込む。
「ガッァ......」
防御はもう......出来ない。
万祝が血反吐を吐きながら、岩面に転がる。
「中国の素晴らしき武人よ。君を称して、確実に仕留めよう」
バブエの表情には悲哀が宿っていた。
(立っている限り、まだ正気はある......! 可能性があるのは、足指での突き刺しと兄より授かった発勁脚だけか......!)
「バブエ・カルダットォ......! 俺を憐れむんじゃねぇぞ!」
万祝が感情を露わにして死地へ飛び込みざまに発勁脚を突き出した。
しかし、バブエがその脚を掴み、容赦なく地面に叩きつける。
この一撃で骨や臓器が絶望の悲鳴を上げている。
それでも、万祝は諦めきれない。
勝利の味を!
「おァァァァ!」
そこから離れると、落ちてある石を蹴飛ばす。
だが、バブエは受けも躱しもしない。
「載 万祝......お前を一生忘れることはない」
その声は暴れる子供を宥めるようだった......
瞬間、脅威すぎるほどの右腕が振り抜かれる。
万祝は言うことを聞かない死に体を強引に動かすと、下を滑って回避する。
そして、バブエの袈裟に張り付くように体を近づけた。
(ここなら、重めの攻撃は入らないはずだ!)
またも、そう思い込んだ。
しかし、腕を戻していないのにも関わらず、バブエは超人とも言える柔軟さで右脚を垂直に上げる。
万祝が反応して、下がろうとするも、バブエの言葉に表せない圧を浴び、動けなくなってしまう。
バブエはそのまま、信念諸共に万祝の顎を破壊する。
(は......? ......この......化け物が......!!!!!!!)
万祝の視界の端で、バブエの輪郭が歪む。
音が遠のく。
呼吸は、もう......届かない。
載の技術も、彼の信念も、一三億の国民の思いも、たった一人の男に打ち砕かれてしまった。
「勝者、バブエ・カルダット!」
アショクが声を張り上げる。
バブエは喜びも蔑みもしなかった。
ただ、したとすれば、万祝というなにもかもを背負って闘った英雄を傷つけぬよう丁寧に運びながら、試合場を去った。




