ナれ
(まだ意識が飛んでないな)
「とりあえず、トドメだな」
グリロエは立ち上がり、ボッフへ近寄る。
滴る血がカラフルな地面を赤に染める。
「なにをする気ですか?」
ダズやんが訊く。
「確実な勝利のために意識を飛ばすだけだ。別に他意はない」
そう言われたら、ダズやんは引っ込んでおくしかない。
悔しい以外の感情が浮かんで来ない。
その直後、グリロエが銃剣を振り下ろす。
が、
「隙を見せたな......?」
突如として、目をかっぴらいたボッフが銃の打撃を躱し、グリロエの横を取る。
「この石頭が......俺相手に騙そうとするたあ、やるじゃねえか」
気付いた時には既にボッフが右腕へ触れていたものの、グリロエはその凄みに感嘆した。
瞬く間に肩が外される。
「もっとやったらあ!」
ボッフは体を捻転させて、体格の違うグリロエを近くの家屋へ投げ飛ばす。
その家屋の壁は破壊される。
「打撃は二流......しかし、投げは一流と言ったところか」
グリロエは常人なら死にうる攻撃を軽い打撲だけで済ませておきながら、分析を始めていた。
しかも、この一瞬で肩をはめている。
(畳み掛ける!)
追撃を加えようとボッフが猛スピードで前進する。
「近寄るのは安易じゃないぜ」
グリロエが壊れた壁の破片を拾い、それを勢いよく投げつける。
もはや、弾丸だ。
しかし、ボッフは動きの小さい奇妙な足さばきで難なく避けると、グリロエの眼前から忽然と姿を消した。
(ッ!? まずい......)
グリロエの反応は正しい。
なぜなら、その背後にボックがいたのだから。
そして、グリロエに飛び乗り、腕を十字のようにして裸絞め(チョーク)を繰り出す。
(なんていう威力だ。酸素が遮断される......! よし、とりあえず落ち着け、状況を整理しろ。残り秒数は約四秒・右手には銃剣・左手にはなにもなし・腕を挟み込むことは不可能)
グリロエはこんな状況でも冷静に捉えていた。
(賭けといこうか)
グリロエが右手にある銃剣の刃を自身の首の方へ向ける。
下手な攻撃ではボッフは止まろうはずもない。
つまり、このままいけば、ボッフの腕と引き換えにグリロエの命が消えることになる。
物凄い速度で銃剣を繰り出したその週間、ボッフの絞めがほんのわずかに緩んだ。
それはまるで、裁縫の糸を通す穴が〇.五周りほど大きくなったレベルの誤差。
そんな小さい穴でさえ、グリロエは希望を見出していたのだ。
銃剣をパワーで止めると、残った左手を隙間とも言えない腕の間に挟み込み、そのまま、ボッフを引き離した。
これで立ち位置が逆転する。
(なんという体術だ。あの歩法と言い、背後に回ったことと言い、絞め技と言い......ボッフ、お前は......)
「どれだけ俺を苦戦させてくれるんだ?」
グリロエの顔には般若のような笑みが張り付いていた。
「苦戦? いや、違うね。あんたが知るのは敗北だよ」
ボッフもノってきたようだ。
「そうかい! とりあえず、プレゼントをどうぞ」
グリロエが弾丸と思われるほどの速度でさっき拾った壁の欠片を飛ばす。
「そっちが壁の礫なら、俺はナイフの礫だ!」
ボッフが躱すと同時に縄へナイフを括り付けたものを取り出すと、それをグリロエへ放った。
グリロエの頬は斜めに裂けたが、動きに支障はない。
「そんなものでやれるとでも?」
グリロエが相手との距離を消すと、銃剣を横へ薙いだ。
ボッフは腹を一文字に斬られた。
しかし、これもまた大事には至らない。
「ふん」
(歩法で半歩ズラされたか......それだけじゃない、まだかなり手数を残しているな)
グリロエの経験値から来る分析は異常だった。
「やっぱり強いね。肉体的にも精神的にも!」
(......ただ、俺の投げと絞めは通用する! それだけでも分かれば上々! あいつを掴んで、勝利を掴む!)
ボッフの方は浅い経験値ながらも確実に勝利へとにじり寄っていく。
この二人、互角だ。
審判らはそう思わざるを得なかった。
この拮抗した状況に終止符を打ったのはグリロエだ。
「......じゃあな!」
グリロエが急に背中を見せて、その場を走り去っていく。
「えっ......?」
ボッフは呆然としていた。
「なっ!? 逃げるのか!?」
一方のダズやんは驚愕した。
まさか、そんなはずがないと。
「戦場において、逃げとは生きるための技術そのものだ。だが、それはそうと、あのグリロエ・ジョーズがそんな恥晒しをするか......?」
アメリカの審判がようやく口を開けたと思ったら、ボソボソとなにか喋っている程度だった。
「ボソッと喋ってないで追いかけるぞ!?」
状況は軽くカオスと化している。
「おい、待てやあ!」
ボッフが遅れながらも、グリロエを追いかける。
「待てと言われて待つ奴はいねえぞ。相手が軍人なら尚更な!」
その姿は格好良くなかった。
この競走を行って数十秒が経ち、街並みも変わっていく。
そして、ボッフの手がグリロエに届こうとした時......
グリロエの右脚が後ろに振り上げられる。
その屈強な脚力でボッフはみぞおちを撃ち抜かれた。
「カハッ......ヒュー......ヒュー」
ボッフは地面を転がり回った後、すぐに立ち上がるが、圧倒的な破壊力のせいで通常通りの呼吸が出来ない。
血が逆流しているのだろう、吐血もする。
(馬の足蹴かよ......! 骨と臓器がぶっ壊れたなあ......)
ボッフの体力はもう風前の灯火だ。
「逃走or闘争というのを聞いたことはあるか? 人間の本能というのはその二つに分かれているらしい。だが、俺は違うと考えている。逃げとはある意味闘いなのだ。どうなろうと、人間の本能には闘いしかない」
グリロエはどこか悲しげにボッフへ寄っていく。
「ふぅ......そうかい......」
ボッフはこの状況になにもしない。
いや、なにも出来ない。
「今すぐ、楽にし......」
グリロエは銃剣を静かに構えていた。
「ちょっと待ってくれよ」
ボッフが左手を突き出す。
「なるほど。もう手立てはないと、そういうことだな?」
グリロエはつまらなさそうに銃剣を振りかざす。
「ようやく、慣れてきたとこなんだ」
ボッフが突然そう言う。
「ん? なににだ?」
グリロエが訊く。
「この痛みと......グリロエ・ジョーズ、あんたにな!」
そのボッフの顔には笑顔が咲き誇っていた。
一瞬にしてボッフが奴の懐に入り込む。
(それでこそ、『最強』だ!)
グリロエは密かに高揚していた。
ボッフが相手の腰を掴むと、塀の下へ投げ落とす。
これはサンボと呼ばれるロシアの格闘技を利用した技だ。
グリロエは受け身を取るが、それでも衝撃は吸収し斬れない。
落ちた場所は家と塀に挟み込まれた路地のようだった。
ボッフ・ステラ......満身創痍とはいえ、侮れない。
しかも、この慣れ、ボッフは不利な状況になればなるほど、強くなる男なのだ。
下にいるグリロエから見た彼は黒い凶暴ななにかに見えた。
そして、一秒としないうちボッフがグリロエ目掛け落ちてくる。
グリロエは転がりながら回避すると、すぐに銃剣を構えて臨戦態勢に入る。
「よお、上からの眺めは良かったぜ」
ボッフは煽りを含んだ言い方をした。
「眺め? そんなこと気にしてる余裕あるのか? ここは俺の有利な場所、いわば川の中だ。お前はわざわざ、ワニと闘うために川に入ってきたんだぜ?」
そう言うと、グリロエが妙なポーズを取る。
両手を広げ、左腕を上、右腕を下にして、それらを胸の位置に置いた。
その両腕はまるで、水面から獲物を喰うために覗き込む鰐ようだった......




