コロシの木魚
万祝は中国の載一族の下で育った。
今でこそ『中国最強』に選ばれるほどの逸材を輩出している載一族だが、昔は苦労の積み重ねであった。
大昔、農業を営んでいた載一族は不作を理由に殺しの仕事を引き受けた。
幸い、載の一門は泥棒を追い払う名目で、ある程度の武力を身につけていたため、その仕事に向いている。
しかし、ほとんどの仕事は武の才を持つ一人の男が担っていた。
つまり、載一族は一人の力を頼る、偏った一族だったのだ。
その男は強すぎるあまり、中国全土に載の名を知らしめ、いつの日か当主まで上り詰めるに至る。
ある日、立派な小屋の中で僧が木魚を叩きながら、お経を読み上げていた。
その時、僧を気に食わんとする者たちが武器を持って、襲いかかろうとしたのだ。
しかし、その者たちを追っている者もあった。
......載の当主だ。
その姿を見た標的たちは血相を変えて、当主へ突っ込んでいく。
複数の雄叫びとうるさい足音がしたかと思えば、一瞬で辺りが静寂に包まれる。
残されたのは、おびただしい血痕と木魚だけだった。
その光景を見た誰かが載に二つ名を付けた......『殺しの木魚』......と。
だが、前述した通り当主は強すぎたのだ。
そのせいで彼の技術は継ぐことも出来ず、初代当主の中で終結してしまった。
そうなれば、必然的に一族は衰退の一途を迎える......
万祝は、その時の栄光を取り戻そうと奮起しているのだ。
そんな万祝だが、今や絶体絶命の状況だ。
浮き上がっている体、彼を追うムウ、岩肌の着地点。
どれをとっても、最悪と言っていい。
しかし、万祝が取った行動は人間離れしたものだった。
万祝はなにもすることなく、着地。
そして、向かってくるムウに対して行ったのは、防御? 回避? いや、違う。
(もう逃げん)
なんと、攻撃の姿勢を見せたのだ。
左腕を引き、右腕を前に突き出し、足を肩幅以上に開く。
続いて、極限までの脱力。
「おれの全力だ!!!」
その時、ムウは万祝の面前におり、もう右腕を大きく引いていた。
そこから、瞬速のストレートが振り抜かれる。
狙いは高い......顔だろう。
だが、万祝は脱力で膝を緩め、体の位置を落とす。
そうなれば、ムウの拳は空振り......万祝の取っておきがムウの土手っ腹に突き刺さる。
その取っておきとは......拐での発勁!!!
発勁の威力が鉄の武器を通して放たれるのだから、その威力は桁違いだ。
「カハッ......」
とてつもない轟音とともにムウが吹き飛ばされる。
ムウは内臓と骨が破壊されたのか、致命傷と言えるほどの血を出しながら、ぐったりと倒れた。
「出来れば、胸に当てたかったが、そうしなくても良かったようだな。これで載は更なる飛躍を遂げるだろう」
本来、中国には肉体的や技術的にも万祝を越える者が少なからずいる。
なのに、なぜ万祝が選ばれたかと言えば、勝利のためならなんでもする狡猾性と圧倒的なまでの対応力が見込まれてのことだった。
それが今回の勝敗を分けたと言えるだろう。
さらば、と万祝が言い残し、この場を去ろうとする。
しかし、妙な違和感に万祝は振り返る。
目を疑うような光景がそこにあった。
ムウがケロッとした様子で身を起こしたのだ。
「やっぱり、信念あるじゃん。信念のある攻撃ってなんかズドーンってくるんだよね......!」
ムウは屈託のない笑顔で万祝に話しかけた。
(俺は......全ての技術を使ってあいつを攻撃した......なのに、なんであいつは......立っている!?)
「お前はなんなんだァァァ!」
万祝に焦りが見え始める。
突如、彼の脳内をある感情が独り占めした。
それは......恐怖だ。
万祝の動きが一瞬固まる。
彼の目に映るムウがどす黒く、大きな者に見えていたのだ。
「おれか......? おれはムウ・リーディ。異界者でも、ましてやブラジル最強でもない! ただの男だ!」
そう言うと、ムウは一気に相手へ駆け出した。
万祝は恐怖からか全力で坂の方まで逃げていく。
だが、馬力が違う。
ムウはあっという間に万祝へ追いつくと、裾を掴もうと右手を伸ばした。
(逃げたい! そうだ、逃げたって誰も責めやしない。でも、今逃げたら、俺が万祝という人間を許せなくなる!)
万祝が足を止め、その反動で後方を振り向く。
「来いッ! ムウ!」
すると、すぐ後ろにいたムウが万祝の袖を掴み、坂から引きずり下ろす。
それに加え、左腕でブローだ。
(これは防御げないな! ならば......!)
額で受ける......!!!
万祝は引きずられた拍子に、足を踏ん張り、体を半身にひねり、その左ブローを額に喰らった。
当然、額は弾けるが、それはムウの隙に直結する!
万祝が拐で叩きつけるように構える。
「やばい!」
(こうなったら、ハイリスクハイリターンだ!)
瞬間、ムウがゾーン状態に突入する。
これにより、万祝のカウンターが遅く見えるムウは容易に攻撃を躱し、迎撃の体勢に入った。
(ゾーンか! だが、逆に好都合だ!)
万祝はムウの一発より多く、打の乱撃を繰り出す。
ムウは物量的に体勢を解いて、回避へ徹するしかない。
「くっ......はぁっ......はっ」
ムウは順調に避けていたが、途端に息が激しくなる。
(やはりな。お前はゾーンを好き勝手に使えるが、代わりに体力を大きく消耗する! マウントの時にその予兆があった!)
こんな時でも観察眼が衰えていない。
「ムウ、これは躱せるか?」
万祝が拐を一つ、ムウと自身の間に放り投げると、そこに勢いつけた肩を合わせにいく。
中国武術が一つ鉄山靠である。
「フゥー......確か、こうやるんだっけ」
それをムウは受けるが、今まで見てきた万祝の技術を盗み、強肩が来ると同時に体を突き出していた。
「クソッ!」
ムウが体を前に出していること、肩を放ち大きな隙が出来たことが相まって、万祝は防御する術がなかった。
ムウが体を左に捻って、右フックを万祝の側頭部に炸裂させる。
(クソが......技術も通じない、遠距離だって通じない......なんなんだよ、これは......俺の人生が壊されているのか......?)
万祝は脳内が朦朧とした状態でそんな考えが過ぎる。
万策尽きたかと思ったその時、
「殴り合いだぁぁぁぁ!!」
万祝ががむしゃらに腕を振るい始めた。
そこに技術なんてない、あるのは、ただの拳と鉄の塊である。
「やったなぁぁぁぁぁ!?」
ムウはその打撃を和らげることなく喰らい、こちらも応じるように何の変哲もない左拳を走らせる。
だが、そこまで速度と威力は出せていない。
「おらぁぁぁ!」
万祝は胸に受けると同時に右拳をムウの腕の下に滑り込ませる。
それはムウの胸を穿つ。
激しい攻撃の応酬を思わせる光景であるが、まるで子供の幼稚な喧嘩のように単純なものだった。
今までの人生とも言える技術を捨て去った万祝と内外両方が損傷し、疲弊し、それでも強靭な精神で拳を振るうムウ......
両者の拳と拳が入り交じる音が鳴る度、強烈な鉄の臭いが辺りに充満する。
「うらぁぁぁ!!!」
「くそっがぁぁぁ!!!」
もう誰も止められない、と言うようにその攻防もどきはより激しくなった。
「倒れろよ! ムウ・リーディ! もう限界だろうが......!」
万祝が目の下を青く腫れさせながら、吐血混じりにそう叫んだ。
「がァァァァァ! 倒れねぇぞぉぉぉぉ!!!」
この咆哮は万里の長城を砕かんとしていた。
そして、ここから二人の差が顕著に現れる。
徐々に万祝が押されていったのだ。
(元々、正面からは勝てるとは思っていなかったが......ここまで......!)
この差はなんだったのだろうか。
技術の差か? 身体能力の差か?
万祝がそんな考え事をした時、突如、ムウの放った強烈な左ストレートを胸に受けてしまい、体がその衝撃に巻き込まれた。
(いや......精神の太さか......)
「ふっ......」
吹き飛ばされた万祝は満足そうな微笑みをすると、意識を遠くの方へ追いやった。
ムウはそれを見て、体を止める。
時間を置いても万祝は動かない。
この闘いはムウの勝利だ......!
(うぉ......流石っすね、ムウさん)
エンゾは静かにガッツポーズをする。
「ん......」
王はどこか悲しげだった。
しかし、ムウは喜びを表さないどころか、安堵の声すら漏らさない。
(もっと強くならなきゃな......)
「ねぇ! 二人とも! 一緒に万祝を運んでくれないかな?」
そう言いながら、ムウは万祝の体を背負った。
「「はっ......はい!」」
審判二人は慌てた様子で万祝へ駆け寄った。
「ちょっと、ムウさん! 一人で先行かないでくださいっす! 体がやべぇんすから!」
「万祝さんは私たちが運びますからぁー!」
ムウは傷だらけで痛ましい姿だが、輝かしいものである。
......勝者、ブラジル『最強』ムウ・リーディ!!!




