第五章 十七『To 伯爵令嬢さま』
十七
「あっ、そうだ。」
師匠の話題で微妙になった空気を取り返すかのように、沢崎直はわざとらしいくらい明るい声を上げて話題を切り替えることにした。
師匠の手紙を脇に置き、師匠についてはよく分からないので、とりあえず今は見なかったことにしてしまう。その代わりに、前々から少し気になっていた話題を取り上げることにした。
「手紙と言えば、お礼の手紙なんですが……。」
話題が切り替わったことで、ヴィルの表情も切り替わる。
「手紙、ですか?」
「はい。先日、森の中で助けていただいた……。えーっと、伯爵家の何だっけ……。」
何とか記憶を掘り出し、聞いたはずの伯爵令嬢の名前を思い出そうとする。あの日は転生初日でいろいろあり過ぎたせいで、記憶の細部が朧げになっていた。じっとアルバートのことを熱っぽい視線で見つめていた顔は思い出せるのだが、名前となると難しい。
記憶喪失でありながら記憶を探っている主人に、優秀な従者のヴィルがそっと口添えしてくれる。
「ハンプシャー伯爵家のお嬢様のことでございますか?」
「あっ、はい!あの方です。あの方に、先日のお礼の手紙を出したいのですが……。そのー、出しても大丈夫ですか?それとも、出さない方がいいのかな?」
異世界初心者の沢崎直には異世界の貴族社会における礼儀作法など分かりはしない。お礼を言った方がいいのか?それとも、そんなことをしては逆に失礼にあたるのか?見当もつかなくて、今まで延び延びになっていたのだ。
ずっと小骨が喉に引っかかるように気になっていたことだったので、丁度いい機会だと思い、ヴィルに尋ねてみた。
ヴィルは少し考えた後、丁寧に答えてくれた。
「アルバート様が自ら感謝をお伝えしたいというのであれば、お書きになるのがよろしいかと思います。一応、アルバート様を発見した際に御尽力いただいたことへのお礼状は既に当家から送らせていただいてはいるのですが。」
「そうなんですか?」
沢崎直が記憶喪失として屋敷内で暮らしている間に、しっかりとした事務方の人が大人の挨拶をしてくれていたらしい。さすが、貴族。礼儀作法に全く抜かりがない。
沢崎直は改めて、自分が今暮らしている場所の素晴らしさを知った。
それと同時に、何も分かっていない自分が間抜けな手紙など出していいのかと、恐れおののいた。自らが提案しておきながら、早くも撤回したくて仕方がない。
「な、何を書いたらいいのか……。」
急にあわあわとし始めた主人に、ヴィルは微笑む。
「アルバート様の思うままをお書きになればよろしいかと思います。個人的な感謝を伝えるお手紙なのですから。」
そんなふうにヴィルは元気づけてくれるが、沢崎直はもう萎縮してしまって何も書けなさそうだった。個人的とか言われても、友達でもない貴族のお嬢さんにフランクに手紙を書けるわけもない。
だが、自分の提案を猛烈に後悔しても、もう遅い。ここまで来たら、何かしら書いた手紙を用意しなければいけなさそうだ。
沢崎直は、結局、何時間も頭を悩ませた後、伯爵令嬢への手紙を書き上げることになる。
その文面は、色々と考え過ぎたおかげで、実に当たり障りのないものになった。
『拝啓、いかがお過ごしでしょうか。先日は、お助けいただきありがとうございました。』
そんな書き出しで始まり、当たり障りのない話題で少し文字数を稼いだ後、結局感謝の言葉で結ぶという実に味気ないものだ。明らかに定型文という感じで、本人の気持ちが籠っているようにはまるで見えない手紙である。本人が書いたかすら怪しく思われそうだ。
あれだけ時間を使って頭を悩ませた甲斐の全くない手紙に、沢崎直は悲しくなった。
(……これなら出すだけ無駄かも……。)
そんな気持ちを抱きながらも、何か拙いことを書くよりはマシかと自分を慰め、ヴィルに一応内容を確認してもらい、伯爵令嬢宛に届けてもらうことにした。
(……絶対、つまんないヤツだと思われるな。)
そんなことが少しだけ気になった沢崎直だったが、気を持たせるよりはいいだろうと、そんな結論を自分に言い聞かせて、このことはもうなかったことにすることにした。
令嬢に礼状を出したのだから、それで十分だ。
喉元の小骨はもう取れた。
沢崎直はそう頭を切り替えて、次のことに取り掛かることにした。
時間は有限なのだ。




