第五章 十四『鍛練室、再訪』
十四
沢崎直は鍛練室に再度やって来ていた。
午後の予定を済ませ、夕食前の空き時間である。
初めにやって来た時とは違い、誰の顔色を窺うことも、こそこそと様子を窺うことも無く、実に堂々とした足取りである。
出来ないものは出来ないのだ。
さあ、無様なイケメンを嗤うがいい。
そんな心持ちで、清々しいくらいに開き直った沢崎直は、それでも頑張っていることを証明するためにやって来たのだった。
率先して誰に見せるわけでもないが、誰に見られても構わない。
何となく、「アルバート様が剣を振ってるらしいわよ。」といったメイドさんたちの噂話になるくらいがちょうどいいなぁなどと夢想しながら、日々の鍛練の一つとして剣の素振りを取り入れようとそう思っていた。
室内に入ると、すぐに先日初めて手にした模擬剣を再度手に取る。
じっくりと模擬剣を眺めて、軽く一礼する。
(押忍。今日から、よろしくお願いします。)
心の中で模擬剣に挨拶を済ませると、沢崎直はとりあえず息を深く吸い込んだ。
武術の基本は呼吸である。
こちらの剣術も多分、そういう側面を持っているだろう。……まぁ、知らんけど。
呼吸を整え、心を整え、剣をしっかりと両手で握る。
先日のバッドの素振りのようなことはせず、無心になると剣を構えてみた。
剣術の知識として沢崎直が知っていることは多くない。昔、祖父母と見ていた時代劇や、学生時代に何となく近くで活動していた剣道部の練習くらいの事しか知らない。
だから、見よう見まねで剣を構えてみる。
この構えは、剣道部の同級生の者だったか、暴れん坊な将軍やお奉行さまのものだったか……。そんな定かではない記憶を頼りにしてのモノであるので、全く心許ないが、それでいいのである。少なくとも、沢崎直は剣で生計を立てようとは思っていないし、自分の剣の腕を頼りに名を上げてなどと思っていないのだから。
モブ女が、無様を晒して、それでも一生懸命に生きていくためのモノなのだから。
剣を構えた後、気合一発、心を研ぎ澄まして一振りしてみる。
びゅっと、空気を切り裂く音がして、模擬剣は振り下ろされた。
例え身体が覚えていなくても、鍛え上げられたアルバートの肉体は恵まれた筋力を持っている。剣のセンスがなくても、振り下ろす威力だけは申し分ない。
そのことに満足し、沢崎直はそっと微笑んだ。
次兄のロバートや従者のヴィル程ではないにしろ恵まれた体格や筋力を持つアルバートの肉体に改めて感謝を覚える。沢崎直本来の肉体ならば、こんなふうに剣を振ることさえ満足にできなかっただろう。何せ剣は重いのだ。
(ズボンがずり落ちちゃうくらいにはね……。)
いつぞやの失敗を思い出したが、もう沢崎直の心にダメージはなかった。
(今度、ヴィルにズボンが落ちない帯剣の仕方とか、帯剣したまま上手に歩く方法とか聞いてみようかな?)
何度も剣を振りながら、沢崎直は凪いだ穏やかな心持ちで、そんなことをつらつらと考えていた。
鍛練室には空気を切り裂く素振りの音と、沢崎直の呼吸の音だけが響いている。
それは、夕食の時間になるまで続くのだった。




