第五章 六『推しとの稽古』
六
やっぱり曖昧な返事というのは良くないものだ。
特に、動揺の残る脳内で適当に選んだ言葉などロクなものではない。
沢崎直はほんの数瞬前の自分の言動を猛烈に後悔していた。
もしもやり直せるなら、あの時の自分に戻り、はっきりと断りたい。
(いや、今からでも遅くない。はっきりと意思表示をするんだ、沢崎直。)
そう心で思ってみても、そうはっきりと意思表示できていたら、こんな事態に陥っていないわけで……。
沢崎直は自分の勇気のなさを痛感し、現実に絶望していた。
(……どうしてこんなことに?)
剣を無様に構えた自分。
視線の先には、一分の隙もない構えでこちらを見つめる雄々しい推しの姿。
相手が自分ではなく、自分が観客席にいたのならこれほど素晴らしいことはないというのに。現実はそう上手くいかない。
断ったつもりが断れず、何故かヴィルと剣の稽古をする羽目になった沢崎直は、もうやけくそな気分になっていた。
さっきまで持ったこともない剣を構え、明らかに達人クラスの従者と対峙しなくてはならない状況だ。そりゃやけくその捨て鉢な気分にくらいなるだろう。
(いくら模擬剣と言っても、当たったら絶対痛いだろうし……。)
剣を合わせる前から結果も何もかも分かりきっていて、その上、絶対痛いことになるのだから、やる気も湧くわけがない。いくら推し相手と言っても、沢崎直に被虐趣味の類はないのだ。
(がきーんって、刃と刃が当たっただけでも手が痛くなりそう……。)
剣術に全く心得はなくとも、沢崎直だって幼い頃から空手の練習に通った過去がある。そのため武術の訓練というのはどうしたって痛みが伴うものだという認識くらいはある。強くなりたいとか上手になりたいとか負けたくないとか、上達したい気持ちで唇を噛み締めて耐えたりはするが、それでも痛いものは痛いのだ。
それを、何の心持ちも覚悟もないまま受けねばならぬとは、これはもはや拷問ではないのか?
いくら推しの攻撃であっても、沢崎直の気分が盛り下がり続けるのを止められるものなどなかった。
(そりゃ、病み上がりの主人相手に手加減はしてくれるだろうけど……。)
だが、どうだろう?
本当にそうなのだろうか?誠実で忠実な従者というのは、主人相手に手心を加えることをどう規定するのだろうか?
そこまで思い至って、沢崎直の心には更に強大な恐怖が芽生えた。
少なくとも、沢崎直とは違い、アルバートは剣術の稽古に小さな頃から励んでいたはずだ。そして、小さな頃から従者であるヴィルは、アルバートとも数えきれない稽古をしてきたはずである。
そんないつもの稽古の気持ちでヴィルに相手をされたら………。
残念イケメンの現アルバート(in沢崎直)はひとたまりもないではないか!!
(……どうしよう!)
そう思った途端に動揺が身体に震えとして表れ、ただでさえ不格好な構えが更に情けないものになる。両手で剣の柄を握ってはいるが、手が震えているので剣先も震え始める。
それだけではなく、剣を持ち慣れていないため、緊張と恐怖だけでなく、剣という金属で出来た物質本来の重量による疲労も相俟って、構えを維持することすら難しい。
剣術というのは、素振りを含めて重労働であることを改めて沢崎直は実感していた。
ただ、剣というのはそれだけの重量で、剣術というのは重労働であるにもかかわらず、眼の前の人物は自然体で剣を構えたまま、じっと微動だにせずこちらが打ち込むのを待っている。
沢崎直が持っている剣と、ヴィルが使っている剣が同じものであるのか?
そんな疑問すら沢崎直の胸には去来したが、だからと言ってどうしたらいいかの解決策は一向に浮かばない。それどころか待たれているというのに、隙がなさ過ぎて打ち込むタイミングだって見つけられない。
剣を持って固まったまま、一度も打ち込んでこない主人に、ヴィルの方も少し違和感を感じ始めていた。
隙のない構えのままではあるが、沢崎直に向ける視線だけでどうしたのかと問うている。
沢崎直はどうしたらいいのか分からなくなり、泣きたい気持ちになっていた。
(……何でこんなことに?)
情けなさでいっぱいになりながらも、その場から動くことも出来ない沢崎直は、必死に逃げ道を探していた。




