第五章 五『素振り』
五
鍛練室には、しばらく沢崎直の気合いの掛け声が響き続けていた。
剣の振り方も握り方も分からない素人だが、今はそれでいい。
今しなくてはならないのは、剣という存在に慣れることだ。
まだ、切れ味鋭い剣を鞘から抜くことには相当の心理的抵抗があるし、帯剣して生活するには全く鍛練が足りていない沢崎直が、唯一出来ることと言えば、この形状の物に慣れるためにとりあえず振り回すことだけだ。
闇雲ではあるが、模擬剣を無心で振り回していると、空手の鍛練を思い出した。空手も基礎の動きを身体に覚えさせるために、何度も型の練習を繰り返したものだ。
身体を動かすことで頭はクリアになり、無心になることで余計なことは考えずに済む。
勇気を出して鍛練室に来たことは、結果的に沢崎直の精神に良い効果をもたらしていた。
その上、気分が軽くなった沢崎直は空手の鍛練の他にも、元の世界のバッティングセンターでホームランを打った時のことも同時に思い出していた。
少し調子に乗って、その時のように模擬剣をバットに見立てて構え、軽くスイングしてみる。
(……何か、調子いいかも♪これなら、バックヤードまで飛ばせそう。)
ホームランバッターにでもなったつもりで、更に力を込めてスイングをしてみる。
すると、段々、剣を振っているというよりも、バッドの素振りをしているような気持ちになってきた。
(……甲子園とか、行けちゃうかも……。)
高校球児にでもなったつもりで、スイングを続ける沢崎直。
(……何か、ホームランとか打ってみたいかも!?ボールとか、ないかな?)
久々の素振りが殊の外楽しく、沢崎直の野球熱に火が灯る。
一度熱が灯れば、心の火をすぐに消すのは難しい。
沢崎直は素振りを中断して、室内にボール状の物がないか探索を始めた。
うろうろと室内を動き回る沢崎直。
「んー?」
「何かお探しですか?」
「ボールがないかと思って……。」
(……えっ!?)
答えてから、沢崎直は驚愕した。
何故、自分以外誰もいないはずの室内で他人からの質問が投げかけられるのか?
ぎぎーっと錆付いた音を立てて、声の方向に首を回す沢崎直。
「アルバート様?」
そこにいたのは、紛れもなく実物の超絶イケメン従者・ヴィルであった。
「いっ、いつからそこにっ!?」
認識した途端、慌てふためく沢崎直。
反対にヴィルはいつもの落ち着いた物腰で、主人の質問に答えた。
「先程からです。熱心に剣を振っておられたので、お邪魔にならぬよう控えておりました。」
(そういうのは、先に言ってよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!)
心の中で全力で叫ぶが、口に出すことは出来ない。
先程からということは、この忠実な従者は隅に控えて沢崎直の児戯に等しい愚行をどの辺りから見ていたのだろうか?不格好な剣の素振りか?それとも、高校球児に憧れたバッドの素振り辺りか?
恥ずかしさと居た堪れなさに、沢崎直は赤面して穴があったら入りたい気持ちでいっぱいだった。
だが、忠実で真面目で誠実な従者は、そんな主人の内面の悶絶を知る由もなく、記憶喪失であっても人知れず鍛練に精を出す頑張り屋さんの主人に感銘を受けていたようだ。
穏やかに微笑みながら、沢崎直の元まで歩を進める。
「剣の稽古でしたら、俺がいつでもお相手いたしますよ。」
どこまでも主に忠実で真面目で誠実な男である。見上げるほど健気で優しく実直な男である。
まだ動揺の収まらぬ沢崎直には、真っ直ぐこちらを見つめてくる推しの視線の全ては受け止めきれず、もごもごと口先だけで曖昧な返事を返すことしかできなかった。




