第五章 四『鍛練室』
四
夕食を終え、沢崎直は廊下を進んでいた。
いつもなら食堂から自室へと真っ直ぐに進むのだが、今日はいつものルートを通らずに自室ではない別の目的地へと向かっていた。
(……一応、覗くだけだから……。)
心の中でため息を吐く沢崎直の足取りは重い。
今から向かおうとしている場所は、沢崎直が望んで向かう訳ではないからだ。
沢崎直は責任感や義務感のようなものから行動を起こしているだけで、気は進まない。
肩を落とし、足取りも弾まない沢崎直。
それでもそこへ向かおうとするには、かなりの精神力を要した。
進まない足を何とか進めて、沢崎直が向かっていたのは『鍛練室』と呼ばれる場所だ。
そこは、文字通り鍛錬するための部屋である。
家具は極力配置されておらず、激しい動きをしても大丈夫なように広く作られ、足元は滑りやすい絨毯などはなく床張りとなっている。
ようやく部屋の前に到着し、沢崎直は左右をキョロキョロと見回して誰もいないことを確認する。
そして、扉へと手を掛けて中を覗きこんだ。
室内にも誰もいないことを確認した後、ため息を吐いて恐る恐る室内へと一歩踏み出す。
(……あー、ついに来ちゃった……。)
別に悪いことをしているわけでもないのに、沢崎直がこそこそとしているのには理由がある。
多分、思っている以上に沢崎直は剣術が出来ない気がする。
アルバートがアルバートであった頃とは、あまりに違うだろう。
そんな残念イケメンと化したアルバート(in沢崎直)の姿を誰かに見られて、落胆されたくないのだ。いくら記憶喪失になったからといって、残念になるのは少し勝手が違うだろう。ロバートが奇しくも言っていたように、剣を持ってみれば身体が覚えているのではないかと考えている者も少なくはないはずだ。
だが、実際はアルバートであってアルバートでない別人なのだから、全く触ったことのない剣が上手く扱えるなどという奇跡が起きるはずもない。大人になるまで触ったことのない素人が剣を振っているという状況にしかならないと思う。
そんな無様で情けない姿を屋敷の皆に断固として晒すわけにはいかず、結果として沢崎直は誰にも知られないようにこそこそと鍛練室にやって来ていたのだ。
誰もいないことを確認したものの、警戒を一切緩めることなく、沢崎直は周囲の確認を怠らずに室内をそっと進んでいく。
鍛練室というだけあって、壁には剣が飾られており、室内はちょっとやそっとの暴れ具合では困らない十分な広さが取ってあった。
部屋の隅には、傘立てのような筒状の入れ物が置いてあり、そこに沢崎直が一番の目的としていたモノの存在が複数確認できる。
それは、練習や稽古のために刃を潰した模擬剣であった。
「あった!」
小さい声を上げると、そっと近づき、まずは観察してみる。
話に聞いてはいたが、実物を拝んだのは屋敷に来て初めてである。
刃を潰してあるといっても、どの程度の物なのか……。
沢崎直はじっくりと観察した。
(……うんうん、これなら金属で出来た平べったい棒だと思えなくもないかも……。)
何度も観察し、気合を入れるとようやく柄に手を伸ばす。
そっと持ち上げ、まずは傘立てならぬ剣立てから引き抜いてみた。
構えも握りも全く分からないが、掲げてみる。
その金属の棒は、かなりの重量感があった。
振り下ろすだけでも、撲殺が可能かもしれない。そんな気になり、それだけで少しおっかなくなる。
(……いや、大丈夫よ。直、貴女は金属バットを振り回していたじゃない。それと同じよ。)
居酒屋の帰りに、親友の亜佐美とバッティングセンターに行っていた経験を思い出し、自分を奮い立たせる沢崎直。
切れ味が鋭い剣に恐怖し、鞘から抜くことも出来ない現状を少しでも改善しようとして、この鍛練室にやって来たのだ。このまま、模擬剣にすらびびって、おめおめと逃げ帰るわけにはいかない。
そんなことになれば、もう二度と剣を持とうなどという意志は沢崎直の心に芽生えることはなくなってしまうだろう。
「押忍!」
小さな声で気合一発掛け声をかけると、掲げた模擬剣に向き合う覚悟をする沢崎直。
剣も空手も、基本は同じ。
必要なのは基礎と気合いと弛まぬ鍛練である。
基礎の技術は分からなくても、まずは気合いと心構えをしっかりさせなくては何事も習得出来はしない。
どれだけ出来なくても、やらなくていいという選択肢は選びたくない。
「はっ!」
沢崎直は掲げていた模擬剣を裂帛の気合いと共に振り下ろした。




