第五章 三『特等席』
三
コンコン
室内にノックの音が響く。
沢崎直は剣に向けていた視線を扉へと向けた。
「はい。」
「よろしいでしょうか?アルバート様。」
扉の向こうから聞こえてきたのは、従者のヴィルの声だ。
沢崎直は推しのイケボに沈んだ心を浮き立たせて、扉へと向かった。
「どうぞ。」
中から扉を開けて、笑顔でヴィルを出迎える。
主人の方から扉を開けて出迎えられたことで、ヴィルは少し恐縮した様子で驚いてはいたが、それでも微笑んだ。
「アルバート様。」
「入ってください、ヴィル。何か用事ですか?」
にこにこと主人である沢崎直の方が機嫌よく入室を促す。
ヴィルは一礼して、沢崎直に従った。
「はい。」
主従は二人で仲良く入室する。
あわやヴィルとの別離かと思われたロバートとの一件はどうなることかとヤキモキしたが、結果的にはアルバートとヴィルの主従二人の結びつきを強くすることになった。
雨降って地固まるという言葉の通りだ。
初めから忠誠心の塊であるようなヴィルが、更なる忠誠で以って仕えてくれている様子は、推しを応援するモブ女・沢崎直にとっても見ていて心が温かくなってくる。仕えている主人が実はアルバート本人ではなく、モブ女・沢崎直であるということには一抹の不安が拭えないでいるのだが、特等席で推しの奉仕を受けられる身分というのはなかなか手放せるものではない。
結局、沢崎直は突然やって来た異世界で降って湧いたような僥倖に、身を浸しきっているのであった。
沢崎直がソファに座ったことで、ヴィルは口を開き始める。
「アルバート様。」
超絶イケメン従者の豊かな低温響くイケボで齎されるものは、日常の些末な確認事項であってもあまりにも尊い。耳の幸せに満たされながら、沢崎直は推しのイケボを全身に浴びていた。
イケボによる報告が幸せのうちに終わり、微笑みを湛えた従者が一礼する。
ああ、もう行ってしまうのかと名残惜しくなったが、推しの仕事の邪魔をしてはいけない。そう沢崎直は自分に強く言い聞かせた。
「では、失礼いたします。」
お辞儀の角度すら美しく完璧な従者は、挙動を微塵も乱さずに去っていく。
多分、日々の弛まぬ鍛錬があの美しくも静謐でありながら、統制された動きを生み出しているのだなぁと、改めて感嘆の吐息を漏らす沢崎直。
帯剣しただけで、歩けないどころかズボンも脱げてしまう自分とは大違いだ。
さすが、推し。さすが、尊い存在。さすが、神。
沢崎直が中に入っているせいで残念イケメンとして日々過ごすしかなくなっているアルバート氏が、少々哀れにすら思えてしまう。
きっと、アルバートだって、中身がアルバートだった時は貴公子然とした青年だったはずだ。あのヴィルを侍らせても遜色のない貴公子然としたアルバートを想像して、沢崎直は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
(……やっぱり、剣くらい使えなくちゃ、アルバート氏に申し訳ないよねー。)
推しが去った室内で、結局沢崎直の脳内には解決できそうもない難題が山積していく。
いつまでたっても解決の糸口すらない堂々巡りのようなその難題に、沢崎直のため息は深くなっていくのだった。




