第四章 二十七 『それから』
二十七
それから……。
ほどなくしてロバートは帰っていった。
忙しい身をおして、愛する弟のために駆けつけてくれた気持ちは本物である。結果的には、ヴィルのことも許してくれた。
だから、沢崎直はしっかりと感謝して、帰るロバートの見送りに馳せ参じた。
「ロバート兄さん。」
「アル。」
ヴィルの処遇の事がなければ、兄弟間のわだかまりはない。
可愛い弟が見送りに来たことで、ロバートは快活な笑顔を浮かべていた。
「また来てくださいね。大好きです。身体には気を付けて。」
名残惜しさを表現した笑顔で、ロバートのことを見送る。
そんな可愛げいっぱいの弟の頭をくしゃっと撫でるロバート。
「お前こそ、身体に気を付けるんだぞ。ちゃんと鍛錬も必要だが、無理はいかん。これ以上心配させてくれるな。いいか?」
小言半分、愛情いっぱいでロバートは別れの挨拶を始める。
沢崎直はくすぐったいその愛情に笑顔のまま素直に頷いた。
「はい!」
そんな沢崎直の笑顔を眩しそうに眺めながら、ロバートは荷物を肩に担ぐ。
「……まさかお前があれほどはっきりと自分の意見を俺にぶつけるとは驚いたぞ。ちゃんと成長しているようだな。……そこは、兄として安心した。」
弟の成長を褒める兄の言葉ではあるのだが、沢崎直は喜ぶよりも内心ギクッとした。
(……えっ?アルバート氏って、あんまり意思表示しない系のいい子だったの?)
独立独歩的精神を武道によって叩き込まれた沢崎直とは大違いである。大切に箱の中で育てられた貴族の御令息は、沢崎直の思っている以上に可憐でか弱い存在なのかもしれない……。
沢崎直は今更ながら自分のアルバート氏への認識の甘さを改めた。
あまり一年前と人格が乖離していては、いくら記憶喪失の設定を押していったところでそのうち中身が別人であることが誰かにバレかねない。
(……気を付けよう。)
ロバートには笑顔を向けたまま、沢崎直は心のメモ帳に注意事項としてしっかりと書きつけたのだった。
沢崎直の内心の動揺に気づくことなく、ロバートは続ける。
「それに、結果的に俺がお前を制圧してしまったが、最後に繰り出そうとした一撃は、思わず俺が本気を出してしまったくらいの気合いだった。」
届かなかった手刀による一撃を褒められ、更に沢崎直の身体に冷や汗が流れていく。
しかし、ロバートは弟の成長が嬉しいだけで、そこに違和感を感じていないようだった。
「ちゃんと鍛錬できているようで、そちらも感心した。この調子で続ければ、いつかは、お前が俺と互角に渡り合う日も来るだろう。」
(いや、無理だと思います。)
沢崎直は心の中だけで即座にロバートの言葉を否定した。
だが、そんなことに気づかず、ロバートは続ける。
「あとは剣の稽古を忘れるな。記憶喪失とはいえ、剣を持ってみれば身体が思い出すだろう。お前の筋肉は覚えているはずだ。」
(そんな感じはありません。)
心の中でロバートのマッチョ理論には承服しかねたが、それでも沢崎直は別の言葉を声に出した。
「とりあえず、がんばってはみます。兄さん。」
沢崎直の素直にも聞こえる言葉に満足して、ロバートは馬の手綱を手繰り寄せる。
「後は、そうだ。もう少し体調が整ってからで構わないが、実家にも顔を出せ。父上も母上も心配していたぞ。お二人はあまり領地から遠く離れられんからな……。お前が顔を見せに行くんだ。いいな?」
(実家かぁ……。)
沢崎直はロバートの言葉に、まだ見ぬアルバートの実家に思いを馳せると同時に、もう二度と帰ることのできない元の世界の実家の両親の顔を思い出していた。
だからこそ、その感慨を胸に秘め、万感の思いでロバートの言葉に頷く。
「はい!必ず。」
弟の返事に満足し、ロバートは鐙に足をかけると馬に飛び乗った。
その武術の腕にも筋肉にも目を見張るものがあったロバートだが、どうやら馬術も得意らしい。その堂々たる体躯を馬の背に乗せる姿は、勇ましくそれでいて優雅ですらあった。
(ロバート兄さんも貴族の御子息なんだもんね……。)
当たり前の事実を前にして、妙に納得する沢崎直。
「では、またな。アル。」
「はい。兄さん、お元気で。」
馬はすぐに速度を上げて疾走していく。
小さくなっていくロバートの姿に沢崎直はいつまでも手を振っていた。
ロバートの姿が完全に見えなくなった頃、ようやく手を下ろした沢崎直に、声が掛けられる。
「アルバート様。」
声を掛けてきたのは、今までそっと傍に控えていた従者のヴィルである。
まだ数日とはいえ、一緒に濃密な時間を過ごした兄との別れの名残惜しさを振り切って、沢崎直は傍に控えてくれる従者を振り返った。
「では、行きましょう。ヴィル。」
「はい。」
二人の主従は揃って歩き出す。
沢崎直は隣を歩く従者の推しがいなくならなくてよかったと、噛み締めるようにして感じていた。
ヴィルの横顔に視線を向けると、それに気づいたヴィルはとびっきりの笑顔を返してくれる。
沢崎直はそんな時間が本当に幸せだった。




