第四章 二十一 『懇願』
二十一
「ど、ど、ど、ど、」
(どういうことぉぉぉぉぉぉぉぉ!!)
言葉より先に心の声で絶叫する沢崎直。
あわあわと慌てふためくだけで、何も言葉が口から出て来ない。
状況の理解も整理も出来ず、きょろきょろと周りを見回す。
そんなことをしている間に、ヴィルは深々と下げていた頭を上げて、全てを諦めたようで儚さすら感じる微笑みを浮かべた。
「せめて、アルバート様の記憶喪失を治せるお医者様を探しに参りたいと思います。失礼いたします。」
何が、せめてなのか。何故、そう結論が出たのか。沢崎直には全く文脈が理解できない。
とりあえず本能の赴くまま、衝動的にヴィルの腕を掴んでいた。
ヴィルが沢崎直の行動に驚いて腕を見つめるが、離しはしないと必死に追い縋る。
「ま、待ってください、ヴィル。」
何とか形になった言葉で呼び止める。
ヴィルは、沢崎直の手に自分の反対側の手をそっと重ねると首を振った。
「アルバート様。」
「だ、ダメです。行ったら、泣きます。泣き止まないです。そしたら、具合が悪くなります。ご飯も美味しく食べられないし、眠れなくなります。」
一度、言葉が出たら今度は取り留めなく流れていく。
そんな意味が通じるかもわからないほど脈絡のない言葉で、必死に押し留めるべく懇願する。そうでもしないと、一生後悔すると沢崎直には確信があった。
「アルバート様。」
説得するような声音で呼びかけられる。
今度は、沢崎直が首を振る番だった。
「嫌です。ダメです。行かないでください。傍にいてください。ヴィルがいないと、私はダメなんです。」
こんなこと沢崎直は、今までフラれた過去の男にだって言ったことはない。追い縋ることも、みっともなくその場で泣くこともなかった。今まではじっと耐えて、冷静でいるよう努めていた。
しかし、今は違う。
全ての細胞が訴えている。ここで手を離してはいけない。この人を行かせてはいけない。
泣いてでも喚いてでも、追い縋らなければいけないのだ。
腕を掴むだけでは飽き足らず、そのままヴィルの身体にしがみつく。
体幹がしっかりしたヴィルの身体は、成人男性であるアルバートの身体でしがみついてもびくともしなかった。
普段の沢崎直なら、そんなこと勇気がなくて出来ないが、今なら何でもできた。
それだけ何かに突き動かされるように必死だった。
「嫌です。離れません。どこかに行くなら、私も一緒に連れてってください。記憶なんて戻らなくてもいいんです。ヴィルがいなくなったら、記憶があっても意味がないんです。」
子供のようにしがみつき、必死に哀願する沢崎直。
ヴィルは困ったように微笑んで、幼い子供に言い聞かせるような優しい声音を響かせた。
「アルバート様、聞いてください。」
「嫌です、聞きません。聞いたら、ヴィルが行かないなら聞きます。」
「アルバート様。」
さすがにヴィルも主人であるアルバートを力づくで引き剥がすことはできない。
そう見越して、沢崎直は更に力いっぱいヴィルの身体に引っ付いた。
そんな二人の押し問答は長く続くかと思われたが、別の人物の登場により、事態は別の方向へと展開していく。
「そこで何をしている?」
遠くから響いたのは、筋力量と肺活量に裏打ちされた豊かなロバートの声だった。
助けを求めて沢崎直は大きい声で叫ぶ。
「ロバート兄さん!」
ロバートならヴィルを一緒に説得してくれるのではないかと、沢崎直は期待したのだ。
だが、沢崎直は大事なことを忘れていた。
ロバートは空気を呼んでくれないということを……。
その上、話も聞いてくれないのだ……。
案の定、二人に近づいてきたロバートは口を開くと、ヴィルに言った。
「何をしている、ヴィルヘルム。どこへなりと去れと言ったことが理解できなかったのか?」
(違ぁうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!)
やっぱり、沢崎直は心の中で絶叫していた。




