第四章 二十 『夢と早起き』
二十
その日は、幸せな気持ちに包まれて、沢崎直はいつの間にか眠ってしまった。
リフレインする推しの声、セリフ、笑顔。
それは、記憶の宝物として大切に保管される。
沢崎直は夢の中でも幸せだった。
そんな幸せな夢の中にいる沢崎直の意識に、誰かが呼びかけてくる気がする。
「…………っ!」
それは、誰かは分からない。
沢崎直には聞き覚えのある様な無い様な声だ。
だが、その声は何かを伝えるかのごとく、何度も何度も呼びかけてくる。
「………っ!………っ!」
内容も分からないが、何か必死なことだけは伝わる。
せっかく幸せな気分に浸っていた沢崎直にとっては、その繰り返される呼びかけは邪魔でしかなかった。無視を決め込んでしまいたかった。
だが、そんな沢崎直の気持ちも知らず、声はどんどん近く大きくなる。
(ちょっと!空気くらい読んでよね!ロバート兄さんじゃあるまいし……。)
声の主に文句を言ってみるが、意味はない。
「………っ!」
それどころか呼びかけは、必死さを増し、緊迫感すら漂わせた。
さすがに、沢崎直も黙っていられなかった。
「もう!うるさい!静かにして!」
沢崎直はそう口に出して勢いよく起き上がっていた。
閉じていた目も開いてしまう。
既に夢は終わり、現実だった。
眠った時はあんなに幸せな気分だったのに、邪魔をされて怒って目覚めるなど気分は最悪である。
その上、よくよく確認すると、まだ時刻は深夜から明け方に差し掛かったところで、日も射さない室内は薄暗く、起床時間とは程遠かった。
もう一度、寝ようかとベッドを見つめるが、イライラして眠れそうにない。
(ちょっと!人の眠りを妨げるなんて、何様のつもりよ!)
沢崎直は目覚めのすっきりしない気分を何かにぶつけた。
だが、ずっとイライラしてはいられない。
そんな気分を引き摺っていては、一日が無駄に過ぎてしまう。
人生は有限なのだ。
沢崎直はそれを一度目の人生の最期に痛感していた。
なので、イライラはしていたがそれを吐き出すように溜息を吐くと、立ち上がる。
まだ外は暗いが、とりあえず気分転換に外の空気でも吸おうとして、窓際へと歩み寄った。
窓を開け、まだ暗い世界の澄み切った夜の名残の空気を吸い込んでみる。
すると、少しだけ気分は良くなった。
何度かそれを繰り返し、気を取り直したところで、呟く。
「……まあ、早起きは三文の徳って言うし…。ちょっと、早めに鍛錬でも始めようかな……。」
そこまで呟いたところで、沢崎直の視界に動くものが映った。
何の気なしにそちらを見てみる。
それは、暗くてしっかりとは確認できなかったが、人のようであった。
庭から出口の門に向かって進んでいるようである。
(ヴィルだったりして……。)
そうであるとすれば、三文どころの徳ではない。
こんな朝早く起きなければ、薄暗い庭でヴィルと遭遇するなどあり得ないことだ。
(……何か、そんな気がしてきた。)
浮き立つ乙女心全開で、沢崎直はそう決めつけると庭へ向かうことにした。
(違ったら、笑ってごまかせばいいしね……。)
先程の寝起きのイライラなど何処へやら、軽い足取りで階段を下り庭へと直行する沢崎直。
先を行く人影が、立ち止まり屋敷を振り返っていたために追いつくことが出来た。
まだうっすらとした朝陽の下、近くで確認すると、やはりその人影は従者のイケメン・ヴィルであった。
(やった!当たった!朝イチのヴィルだ!)
まだこちらに気づいていないヴィルに、沢崎直は呼びかける。
「おはようございます。早いですね、ヴィル。」
「………ア、アルバート様。」
いつも冷静なヴィルにしては珍しく動揺しているようで、こちらを見て言い淀んだ。
声を掛けたのが不味かったのか、それとも、主人がいつもより早起きしたことに驚いたのか……。どちらも違う気がする。
沢崎直は考えてみたが、ヴィルがそんな反応を示す理由など思い至らなかった。
しばらく言葉を探した後、ヴィルは観念したように沢崎直に深々と頭を下げた。
「アルバート様、今までお世話になりました。」
よく見ると、ヴィルの手には大きな荷物が握られていた。




