第四章 十六 『記憶喪失』
十六
「き、記憶がないのです、ロバート兄さん。」
とりあえず説明してみる。
(……アルバート氏じゃないとは言えないし……。)
ロバートは信じられないといった様子で頭を振り、がしっと沢崎直の両肩を掴んだ。
肩を掴まれた沢崎直がびくっと反応すると、すぐに力加減は考えてくれた。
(痛いって言わなくても分かってくれてよかった……。)
肩が砕ける心配はなくなったので、沢崎直はそこは安心してロバートを見上げた。
ロバートは労わるようで観察するような視線で、じっと沢崎直を見つめた。
「……。」
「あ、あの、ロバート兄さん。」
別人であることを見破られはしないかと、居心地の悪い視線に冷や冷やしながら、沢崎直は呼びかけてみる。
ロバートは、ゆっくりと口を開いた。
「……どういうことだ?」
「分かりません。」
沢崎直は正直に答えた。
現在置かれている状況について、沢崎直自身にだって分かることなどない。気づいたらアルバートの肉体になっていただけで、アルバートの記憶もない。一年前に失踪したことだって、自分が入っている身体がアルバートであることだって、他人に教えてもらったことだ。
ロバートは沢崎直の肩を掴んで視線を沢崎直に向け続けたまま、今度は背後に控える従者のヴィルに質問を投げかけた。
「どういうことだ?説明しろ!ヴィル。」
厳しい声で叱責するように質問され、ヴィルが答える。
「数週間ほど前に、近くの騎士団の詰め所から、シュテインベルク家の紋章に似た意匠の首飾りをした者がいると連絡がありまして、俺が確認しに行くとアルバート様がいらっしゃいました。ですが、その時点でご記憶を失くされており、グスタフ先生にも診ていただきましたが、今のところご記憶が戻る可能性は分からないと……。」
「何故、そのようなことになる!?」
質問の態をした叱責は続く。
沢崎直は自分のせいで緊迫していく空気に、どうしたらいいか分からなくなり、おろおろとヴィルとロバートに交互に視線を向けた。
「騎士団からの説明では、近くの森にワイルドベアーが出没し、アルバート様が遭遇した可能性があるそうです。その際に、何かが起きた可能性があると……。」
「ワイルドベアーだとっ!?」
殺気のこもった地を這うような声でロバートは呪うように吐き捨てた。
(…こ、怖いよぉ~。)
目の前の筋骨隆々の怒り狂った男の迫力に、沢崎直は心臓をきゅっと掴まれたように縮み上がった。
「俺が八つ裂きにしてくれる!!!」
そう天地に宣言すると、ロバートは沢崎直の肩を掴んでいた手を離し、踵を返して凄い速度で疾走し始めた。
すぐに、その背中が遠く小さくなっていく。
遠くから見ても、オーラのような湯気のような物が沸き立っているような背中を、ぼーっと沢崎直は見送っていた。
ロバートという次兄は、猪突猛進で直情型の性格らしく、行動力がずば抜けていた。
(……あの人も、一人で倒せそうだな……、くまさん。……それも、一撃で。)
森の中でワイルドベアー相手に威圧しているロバートを想像して、何だかワイルドベアーの方が気の毒になった沢崎直。
どうやら、一時的ではあるものの危機は去ったようだ。沢崎直の正体もばれなかったし、朝の鍛錬の剣術稽古も避けられたようだ。
ほっと、一息つく沢崎直。
だが、すぐに異変に気づく。
(ん?ちょっと、待って?)
「はっ!」
そして、背後に控える従者のヴィルを慌てて振り返った。
「あ、あの!ロバート兄さんはどこに行ったんでしょうか?ワイルドベアーはもういません!!」
「森は広大ですから、まずは、騎士団の詰め所の方に出没場所などの情報収集に行ったのかと思われます。ロバート様は即決即断の性格をしていらっしゃいますが、迂闊な行動などはせぬ方にございますから。」
ヴィルは落ち着いた声音で答えてくれた。
やっぱりヴィルは状況分析に長けた優秀な従者であった。




