第四章 七 『デートイベント、開始☆』
七
「うわぁー。」
馬車から街に降り立った沢崎直は、感嘆の声を上げた。
街に来るのは二度目ではあるが、やはりその光景には目を奪わずにはいられない。ビル群が立ち並ぶ都会に生きていた現代人にとって、中世のヨーロッパを思わせる石畳の街並みは大人気の観光地のようだった。
前回、街に来た時は異世界転生一日目で自分の素性も全く分からず、一寸先の未来さえ定まらない状態だったため、あまり街並みに心を向ける余裕がなかった。だが、今は観光気分でいられるほどには少しだけ心持ちに余裕が生まれていた。
「アルバート様。」
沢崎直の傍らに控える従者のヴィルが柔らかな声を掛ける。
沢崎直は笑顔でヴィルを振り返ると、弾んだ声を上げた。
「早く行きましょう。」
我ながら浮かれていることは自覚できていたが、それでも沢崎直には浮き立つ心を止めることはできなかった。傍らには素敵な推しがいて、街並みは感嘆するほどの光景である。修行の末に悟りを開いた者なら、どんな時でも心を動かさず平常心を保ち続けられたかもしれないが、沢崎直は所詮俗世に生きたモブ女である。心を動かされないなんてことは、無理に決まっていた。
小さな子供のように、思わずヴィルの袖を引いてしまい、自分の大胆さに驚いて手を引っ込める。
(……さ、さすがに浮かれすぎたぁぁぁぁぁ。)
尊き推しの隣を歩くだけでも畏れ多いというのに、推しについ触れてしまうなど許されぬことなのではないか?
モブ女としての本能が、出しゃばり過ぎた自分を戒める。
「……ご、ごめんなさい。」
素直に沢崎直が謝ると、ヴィルは首を振った。
「どうか頭をお上げください。そのようにアルバート様が謝罪される必要などありません。」
ヴィルの優しい響きの言葉に、恐る恐る沢崎直が顔を上げるとヴィルのとっておきの優しい眼差しが沢崎直に向けられていた。
「久しぶりの街歩きですから、存分にお楽しみください。」
(……や、優しすぎぃぃぃ。神ぃぃぃ。)
「足元には十分にお気を付け下さいね。」
ファン感謝祭のイベントでも、ここまで優しい心配りは掛けてもらえないかもしれない。
沢崎直は最高級のサービスに心酔し、目をとろんとさせてしまっていた。
「では、参りましょうか、アルバート様。」
ヴィルの合図で歩き始める二人。
ふわふわと地面から少し浮いてしまっているのではないかと、沢崎直が感じるほど夢心地の街歩きが始まった。
異世界初日に立ち寄った騎士団の詰め所がある区画とは別の商業地区を歩いていく一行。
まずは活気溢れる市場や屋台が立ち並ぶ通りをヴィルは案内してくれた。
店先からは呼び込みの賑やかな声が響き、通りを行くたくさんの人たちが日々の買い物をするためにすれ違っていく。屋台の数々からは、何とも香ばしく芳しい香りが漂い、見ているだけで楽しくなってしまう。人口の多い街であるため、ちょっとしたお祭り気分だ。
色とりどりの野菜や果物、肉や魚、それに主食のパンと交易が盛んなことを感じさせる品揃えで、見ているだけでも全く飽きない光景である。
「あれは何ですか?あっちのは?」
笑顔ではしゃぎながら、初めて見る物を次々指さしてはヴィルへと尋ねる沢崎直。
ヴィルは嫌な顔一つせず、沢崎直の質問の一つ一つに丁寧に答えてくれた。
「そちらは南方より取り寄せた果物でございます。この街の北には港がありまして、そこから運河でこの街に運ばれてくるのです。」
(……運河で輸送か……。道路をトラックで運んだりはしないもんね……。)
沢崎直が住んでいた世界の一番一般的な物流網は道路である。もちろん、国や地域によっては運河が主流の場所もあるし、巨大コンテナ船なんかは海を渡り、運河を下ったりする。
(異世界で魔法があると、空間転移とか空を飛んで空輸とかってないのかな?)
いつか見たファンタジー映画の便利な技術を思い出したが、あまり頓珍漢な質問を続けるのも良くないことかもしれない。いくら記憶喪失とはいえ、限度というものがあるのではないか?
何でもかんでも質問をするのはまずい気がするが、かといって知らないのもまずい。
その辺りの塩梅が、まだ沢崎直には分からなかった。
従者のヴィルは丁寧に主人の質問に答えてくれるが、本当に何でもかんでも質問していたら、何も知らないことで深刻な記憶喪失だと疑われ、余計な心配をかけやしないか……?
あまりに親切で優秀な従者の振る舞いに甘え続けてはいけないと、沢崎直は心に深く刻み込むことにした。




