第四章 六 『馬車の中・狂喜乱舞』
六
沢崎直は、馬車の中で一人狂喜乱舞しそうな自分を持て余していた。
表面上は冷静でいなければならないと自分に言い聞かせてはいるが、少しでも気を抜くと唇がにやにやしだしてしまうのを止められない。もういっそ気持ち悪いと罵られてもしょうがないほど、沢崎直は歓喜に打ち震えているのだった。
(……どうしよう!お出かけだよ?二人でだよ?)
馬車の御者席に従者のイケメンであり最愛の推しのヴィルヘルムが乗っているのが唯一の救いである。もしも、御者席ではなく車内にヴィルが居たら、もう沢崎直の昂ぶる気持ちを隠せるものなどないのだった。
神経を集中させて喜びを隠しているせいで仏頂面になっている沢崎直は、心の中で異常に多弁になっていた。
(もうデートじゃない?これ、デートって言ってもいいんじゃない?)
従者と主人が二人連れだって出かけるのは、デートとは言わないが、モブ女・沢崎直にとっては異世界における初デートだと思っても差し支えない気分だった。何たって、相手は推しの超絶イケメン・ヴィルヘルム様なのだ。
(……どうしよう。幸せすぎてヤバいんだけど……。何のイベント抽選にも当たってないのに、二人でお出かけできるんだよ?抽選券、一枚も手に入れてないし、何の行列にも並んでないから整理券も手に入れてないんだよ?)
現代の推し活ビジネスの常識に慣れきったモブ女からすれば、推しと少しでも触れあいたいのなら努力と金銭を要求されることが当然である。だが、異世界に転生したおかげで、生涯の神であり至高の存在であるヴィルという推しに出会うことができ、その上、従者と主人として時間を過ごすことが出来るのだ。
異世界において突如降って湧いたような幸運に、現代では地味なモブ女だった沢崎直は、自分を転生させてくれた何者かに感謝せずにはいられなかった。
あの日、恋人をあざと女に盗られて、そのせいでヤケ酒を呷って事故に遭い、短い生涯を終えなければ、今の望外の幸運はあり得なかったのだ。そう思うと、人生は何が起きるか分からないし、捨てたもんじゃないと思えるのだった。
(どうしよう!ヴィルとお出かけだよ?街でデートなんだけど……。最高かよ!)
踊りだしそうな心を必死に隠して、沢崎直は仏頂面を続けていた。
街に出るのは、この異世界に転生した日以来なのだが、そんなことも浮かれている沢崎直は気づかない。
転生してヴィルに出会った日からこれまで数週間。その期間シュテインベルク家の別邸の敷地の中だけで過ごしてきた沢崎直にとっては、初めてのデートよりも本来は初めての外界へのお出かけということに重きを置いて心の準備をしなくてはならないはずだったのだが……。
推しへの気持ちに浮かれているモブ女は、判断力も警戒心も全く当てにならないし、何より脳みそがバカになっていて使い物にならない。
この異世界が平和で安全で幸せだけに満ち溢れていたことなどないのだというのに……。
沢崎直が未知の異世界で地に足を着けて生きていかなければならないと猛省するのは、もう少し先の事である。
今は、突然現れた慣れない行幸にその身をどっぷりと浸しているだけの哀れな生き物であることにも気づかず、待てと言われた犬のごとく、ただ馬車の座席に大人しく座り続けているのだった。
「もう少しで到着します。」
御者席から従者のヴィルが声を掛けてくれる。
期待に大きく胸を膨らませた沢崎直は、目を輝かせて答える。
「はい。」
それは、とっても良いお返事であった。




