第四章 三 『秘愛』
三
往診を終えたグスタフ医師を見送った後、一息ついていた沢崎直の元に従者のイケメン・ヴィルがお茶の用意を携えてやって来る。
昼食から少し時間が経ち、丁度小腹が空いたなぁと思っていたタイミングに、優秀な従者は軽食用のサンドイッチも忘れない。モブ女だった時よりも、筋肉量が増えた若い成人男性の肉体は燃費が悪かった。
「こちらをどうぞ。」
手際よく並べられ、迅速に準備が整っていく。
(やっぱりスゴイ人だなぁ……、ヴィル様。)
推しの仕事の手際の良さを間近で感じて、思わず感嘆する沢崎直。
「ありがとうございます。」
尊い推しの全てに感謝しての言葉ではあるが、表面上は目の前のお茶の用意に対してのお礼である。
すると、謙虚なヴィルははにかむように微笑んで首を振った。
「いえ、そんな。」
(ああああああ。そんな微笑みも尊いぃぃぃ。)
暑苦しいほどの推しへの愛を心の中に持ちながらも、沢崎直は表面上クールに取り繕うことに細心の注意を払っていた。肉体がアルバート氏である以上、記憶喪失の上の奇行など周りの皆様に申し訳が立たない。これ以上心配の種を増やしてはいけないことくらいは、いくら推しへの愛に猛進するモブ女にも理解できた。常識をわきまえ理性を総動員し擬態するのは、アルバート氏の肉体を間借りしている沢崎直の当然の義務だ。
「おいしいです。」
お茶を飲み、サンドイッチを食む。
荒ぶる推しへの気持ちは心の奥底に隠し込み、穏やかに微笑んで食事をする。
推しが傍らで仕えてくれるなどという望外の喜びを享受できる果報者の沢崎直だが、その喜びを表現することだけは出来ないのであった。
(……これが、秘愛の苦しみ……。)
昂ぶる心のままにヲタ芸を披露する猛者たちを少しだけ羨んでしまう沢崎直。もしも、状況が許されるのならばこの胸に溢れる推しへの愛を全身で表現し、どれだけ推しという至高の存在を尊く感じているかということを熱く体現できるのに……。
全てを望むのは強欲すぎると自らを戒め、本日も沢崎直は何事もないかのような素振りで推しとの生活を送り続けているのであった。
コンコン
二人だけの室内にノックの音が響く。
「失礼いたします。」
扉の向こうから聞こえてきたのは執事のリヒターの声だった。
「……はい。」
口の中に入っていたサンドイッチをお茶で流し込むと、返事をする沢崎直。
傍らに控えていたヴィルが、部屋の扉を開けに行った。
ヴィルが開けた扉から入室した執事のリヒターは、その手に持っている物を沢崎直に掲げながら口を開いた。
「アルバート様。お手紙が届いております。」
「?手紙?」
この異世界初心者で、記憶喪失の設定でもある沢崎直にとっては知り合いなど殆どおらず、差出人に心当たりなどあるはずもない。
それは、有能な執事にも十分に理解できているので、丁寧な説明付きで沢崎直に手紙が差し出される。
「こちら、ロバート様からの手紙になります。ロバート様は、シュテインベルク家の二男であらせられ、アルバート様のお兄さまでございます。」
「……お兄さま?」
全く心当たりのない単語に、沢崎直は酷く間抜けな顔で首を傾げる。
さぞ残念な表情であろうに、柔らかく微笑んだ優秀な執事のリヒターはそんなことはおくびにも出さずにしっかりと頷いた。
「はい。」
「そう、ですか……。」
沢崎直は差し出された手紙を受け取り、アルバートと書かれた宛名を確認した。
本当に自分宛だなぁと、他人事のように沢崎直は感じていた。




