第三章 二十五 『急変』
二十五
途方に暮れるとはまさにこのことだ。
いつかは件の婚約者令嬢とご対面的なことがあることは分かっていたが、それにはもう少し時間がかかるものだと思っていたし、もう少し先の未来の出来事だと勝手に決めつけていた。
この屋敷で知識を蓄え、異世界にある程度順応し、準備が整ったところで、こちらから会いに行くものだと、そう沢崎直は予定していた。
だが、向こうから来るという。
それも、この異世界に順応どころか何の心の準備も出来ていない、今この状況で。
来てもいいですか?とか、こっちの予定も事情も聞いてもくれない。
先程まで『屋敷内新人メイドさん事件』を何とか解決に導いて感じていた達成感はすべて吹き飛んでしまった。
(ど、ど、ど、ど、どうしよう……。)
来ると言われても、どんなふうに迎えたらいいかすら分からない。婚約者という肩書きの見知らぬご令嬢など、沢崎直の手に余る。
急な来客にそわそわとして慌て始めた沢崎直に、従者の超絶イケメン・ヴィルが心配そうに声を掛ける。
「アルバート様?」
沢崎直は縋るような視線でヴィルの美しい顔を見上げた。
「き、記憶がないんですけど……、どうしたらいいんですか?」
本当は中身が別人とか、中身が男じゃなくて女とか、記憶がない以外にも困ったことはたくさんあるのだが、周りに通じる唯一の問題点を相談してみる。
ヴィルは主人を安心させようとして、頷く。
「大丈夫です、アルバート様。あちらには、アルバート様の事をお伝えしております。」
「アルバート様の事をご心配なされて、様子を見にいらっしゃるようですよ。」
執事のリヒターも力強く同意し、沢崎直を落ち着かせてくれる。
(お見舞い的なこと……?記憶がなくても大丈夫……?)
「あ、あのー……。」
何と言ったらいいか分からず、視線だけで尋ねるが二人とも笑顔で頷いてくれる。
力づけてくれる二人の反応のおかげで、沢崎直は少しだけ落ち着くことが出来た。
「わ、分かりました……。」
まだ戸惑いは拭い去れないが、一応了解する。
それを見届けると、執事のリヒターは客を出迎えるために室内から去っていった。
室内にはヴィルと沢崎直が残される。
「か、彼女の事は何とお呼びすればいいんでしょうか?」
初対面の婚約者の女性に対する礼儀など、沢崎直のモブ女人生では範疇外の事だ。全く見当がつかないため、過去のアルバート氏を知る人物である従者のヴィルに尋ねてみる。
ヴィルは、笑顔で教えてくれる。
「お名前をお呼びすればいいと思います。家名ではなく。」
(……確か、名前ってマリアだったよね?)
奇しくもその名は、沢崎直のいた世界でも聖母の名である。
そんな高貴な響きを持つ名を冠した女性は、こちらの異世界でも聖女と呼ばれているらしい。
それが転生した沢崎直の婚約者であるなど、何の因果かとは思うが、本日の対面は避けては通れないようだ。
(……聖女って言われるくらいだから、優しい人でしょ、多分。私がちょっと粗相しても、大目に見てくれるよ、きっと。……だって、心配して向こうから逢いに来てくれるくらいなんだから……。)
そう結論付けて、沢崎直は初対面のために気を引き締めた。
緊張を少しでも解そうと、深呼吸を繰り返す。
そうこうしている間に、敷地内に婚約者を乗せた馬車が到着する。
「お見えになりましたよ。」
ヴィルの報告で、沢崎直は気合いを入れた。
(押忍!)
逃げられないのなら立ち向かうしかない。
しっかりと丹田に力を籠め、出迎えのために部屋を後にする。
目指すは、見たこともない婚約者の美女である。
試合の前のような気合を漲らせ、沢崎直は放り出されたように転生したこの異世界を自分の足で歩き始めた。
(絶対、優しい人でお願いします!!)
その心の中では届くかどうかも分からない願いを、必死で神に祈り続けていた。




