第三章 八 『一日目、終了』
八
グスタフ医師が去り、一人残された室内で沢崎直はぐーっと大きく伸びをしていた。
窓から見える太陽は傾き始め、世界を紅く染め上げている。
転生して洞窟で目覚め、森を彷徨い歩き、騎士団の詰め所からこの屋敷に到るまで、転生初日はあまりにも濃密で目まぐるしかった。
男になったり、超絶イケメンに出会ったり、一日足らずで起きたにしては信じられないほどのトピックの数々。初めの方でクマさんを倒したことなど、とうの昔のことのようにすら感じる。
モブ女としての二十五年はどちらかというと穏やかなものだったので、イケメン貴公子になった途端のアクセル全開の人生は、理解力がスピードに追い付かず、目先の出来事に一喜一憂するくらいしか出来ていない。
今も、腕にあった擦り傷がグスタフ医師の魔法で治癒しているのを見て、感嘆の声を上げている。
「わぁー、治ってる。魔法すげぇー。」
自分はもう少し冷静で思慮深い人間だったはずだが、異世界に転生してからというもの感情表現が素直で豊かになり、考えるよりも先に反応している。
(キャパオーバーでアホになってるとも言えるな……。)
ぱたんッと、座っていたベッドにそのまま横になる。
天蓋付きの大きなベッドはキングサイズ。寝心地も抜群。
仰向けになり、見上げるのは見知らぬ天井。
(汎用人型決戦兵器に乗って戦ったパイロットの少年も、こんなふうに見知らぬ天井を見上げてたっけ……。)
そんな由無しごとの中で漂いながら、ふぅーっと大きく息を吐き出す。
空腹が満たされたことで、現状に気分が落ち込むことはなくなったが、前途多難であるという事実に変わりはない。
出来ることなら、このまま眠ってしまいたかった。
(……それで起きたら、全部夢で、何事もなく元の世界で一日が始まったり……。)
希望的観測で夢オチを希望するくらいには、沢崎直は心身ともに疲弊していた。
コンコン
だが、現状はそれを許さない。
(まあ、まだ夕方だしね……。)
沢崎直一人の部屋にノックの音が響き、異世界という現実に沢崎直を引き留める。
上半身をむくりと起こし、扉へと視線を向ける。
「はい。」
「失礼いたします。」
一礼して入室してきたのは、超絶イケメンだ。
「アルバート様。」
沢崎直を呼ぶための呼称でありながら、沢崎直のための物ではない響きでこちらへ呼びかける超絶イケメン。
沢崎直がベッドから立ち上がった方がいいかと逡巡している隙に、ベッドの傍までやって来るとその場に跪いた。
(……えっ?)
主人を見下ろすのは不敬だとか、そんな理由かもしれないが、目の前で跪く超絶イケメンの破壊力は相当なものだ。
こちらを見上げてくる涼しげな美貌も相俟って、沢崎直の思考は停止した。
「失礼いたします。お召し物が曲がっております。」
沢崎直が手も足も出せないでいる中、何の躊躇もなく着ている衣服に手を伸ばし、解いたり脱がしたり、はたまた着せ直したり、結び直したり。手際よく整えられていく衣服。
跪いた超絶イケメンに、着替えを見事に手伝われた沢崎直の乙女心は様々な感情で爆発寸前だった。思考停止していたために、その反応が表面に現れることがなかったのが唯一の救いだ。
傍目には大人しく衣服を正されているようにしか見えない沢崎直。
主人の服を慣れた手つきで直した後、超絶イケメンは立ち上がるかと思われたが、跪いたまま沢崎直の顔を見上げて、少し口を開くのを迷っていた。
「ナンデスカ?」
既に許容量を超えた乙女心を持て余したままの沢崎直は機械的な音声で尋ねた。
主人に尋ねられて黙っていることは出来ず、超絶イケメンは瞳に切なげな色を浮かべて口を開いた。
「俺の事も忘れてしまわれたのですか?」
声は少し震え、掠れていた。それは、信じられないほどの殺し文句。
まだ愛していると面と向かって言われた方がマシだ。
それを、そんな切なげな表情で、こちらを間近で見上げながら、美しい紫の宝石のような瞳が濡れているではないか!
イケメン耐性のないモブ女には、受け止めきれる代物ではない。
ただでさえ今日は精神的にも肉体的にも圧倒的にハードだったのだ。
万感の思いを込めた超絶イケメンの言葉を受け止めきれず、沢崎直の意識は白濁し始めていた。
(……もう、、ムリ。)
意識を手放しベッドに倒れ込みながら、沢崎直は思った。
推しは遠くから見つめる方がいい。でなくては、身が持たない、と。
「アルバート様!」
超絶イケメンの慌てた声が聞こえてはいたが、沢崎直に返事をする気力は残されていなかった。
こうして、沢崎直の転生初日は幕を閉じた。




