第三章 二 『メイドのシンシアさん』
二
(うわぁ。メチャクチャ響いたぁ。)
自分以外の他人が自分よりも慌てていると、人は我に返って冷静になることがある。
現在の沢崎直もその例に漏れず、この屋敷に着いて初めて冷静さを取り戻すことが出来た。
だから、沢崎直は敷地内に響き渡ったメイドさんの絶叫を、他人事のように聞いていた。
沢崎直にとっては、今身体の外面のアルバートなる人物は全く知らない赤の他人であるし、事情も何も知らないのだから、他人事と言えば他人事なのだ。
だが、そのアルバートなる人物の外面をしている時点で、無関係でいられないことも沢崎直には分かっていた。
メイドさんの絶叫は、しばらく余韻すら残して響き渡っていたが、そのうちに消失する。
目ん玉をひん剥いたままのメイドさんは、沢崎直を指さしてぱくぱくとまだ口を動かしていたが、声を出すのを忘れているようでその口からはもう何も響きはしなかった。
「シンシア。ですから、グスタフ先生を呼んでいただけるよう伝えていただけますか?」
メイドさんの絶叫が消えたのを見計らって、超絶イケメンは冷静に指示を繰り返した。
(……本当にこのイケメン、物腰が落ち着いてるなぁ。全然取り乱したりしないし、温度が変わらない。……相当の手練れだと思う。確か、ヴィルヘルムとか呼ばれてたはず……。)
冷徹にすら見える涼しげな横顔を観察しながら、沢崎直は先程メイドさんに呼ばれていた時に聞いた超絶イケメンの名前らしき響きを思い出していた。
「………。」
気の毒なメイドさんは、しばらく口をパクパクさせたまま超絶イケメンと沢崎直を交互に見比べていたが、はっと息を呑むと転げるようにして走り出した。
多分、超絶イケメンの指示通りグスタフ先生を呼ぶためにリヒターとやらの元に向かうのだろうが、あまりにも危なっかしいその後ろ姿は、沢崎直を心配させた。
「……大丈夫かな?」
「申し訳ございません。バタバタとしておりまして。落ち着きのない態度は、後で俺の方から言い聞かせておきます。」
超絶イケメンは沢崎直へと丁寧に頭を下げた。
「使用人の教育が行き届かぬこと、お詫び申し上げます。」
「えっ?」
小さくなっていく転びそうなメイドさんの後ろ姿に気を取られていた沢崎直は、超絶イケメンの言葉の理解がワンテンポ遅れた。
その一拍の間が、まるで超絶イケメンの言葉に何かしらの疑義を挟んだかのように見えたのだろう。超絶イケメンは主人の顔色を窺うように、沢崎直の顔を伏し目がちに見つめた。
「何か、他にも至らぬ点がございましたでしょうか?それとも、あの者への対処が足らぬとお考えですか?何か罰が必要だとお考えですか?」
急に出てきた何となく怖い言葉の数々に、どうやら、会話が噛み合っていないようだと気づいて、慌てて沢崎直は首を振る。
「ち、違います。違います。」
更に両手を身体の前で振って否定を表現した。そういえば、この世界は歴とした身分制度が存在していたはずだ。もしも、沢崎直の不用意な言動によって、罪のないメイドさんに迷惑がかかることがあっては申し訳なさすぎる。
「あっ、あの。し、シンシアさんという方が慌てて転びそうだったのを心配してただけです。転んだら、痛いですから。本当に。罰とか、本当にそういうの大丈夫です。」
そう伝えると、ようやく超絶イケメンも納得したように頷いた。
そして、超絶イケメンであるというアドバンテージを理解していないかのように自然に柔らかく微笑んだ。
「やはりアルバート様はお優しい方ですね。」
「…………。」
その無自覚な微笑に魂の全てを奪われた沢崎直は、ほんの残りカス程しか残らなかった意識の中で痛切に、『イケメンの作法』の必要性を感じていた。そうでなければ、全世界の乙女たちの身が持たない。
『乙女たちのハートを守るために、今、私が立ち上がらなければ!』
そんなことを薄らと残った意識の中で、沢崎直は考えていた。




