第二章 六 『熱心なご令嬢』
六
「記憶がございません……。」
多少の時間を要した沈思黙考の後、沢崎直の出した結論。
その結論を受け取ったご令嬢は、切なげに首を振り、その後、勇気づけるように沢崎直の両手を取った。
「大丈夫です。あまりご無理はなさらないでくださいませ。」
潤んだ瞳でご令嬢が沢崎直を見上げる。
(……これは、親切なんだろうか……?)
瞳にこもった熱は、ご令嬢が沢崎直に向ける感情が親切心だけではないかもしれないと推察するに十分だった。
「コホンッ。」
近いように感じる若い男女二人の距離に、壮年の従者の男の咳払いが響く。
沢崎直は、咳払いの音に敏感に反応し、飛び退るように一歩後ずさった。
ご令嬢から距離を取ろうとしての行動だったが、思いのほか強い力で両手をしっかりとホールドされており、上半身は下半身に続くことが出来ずに、腰を折り曲げた形で無様に失敗した感じになった。
(……イケメンでも、こんな感じだとダサく見えるのかな?)
イケメン初心者の沢崎直は、自分の立ち居振る舞いが他人にどう映っているのか少し気になった。
そんなイケメン初心者の沢崎直の無様さも気にせず、穏やかな笑みを湛えたままのご令嬢は、せっかく離れた一歩分を詰めることで沢崎直の姿勢と二人の距離を元に戻した。
「記憶が戻らないままでも大丈夫です。気落ちなさいませんよう。……もし、お困りのことがあれば、私、クリスティーン・ハンプシャーの名において全力でお助けいたします。」
とても熱心な申し出に、沢崎直はどう返していいか分からない。
そんな沢崎直の様子を突き刺さるほどの痛い視線で無言の圧を加えながら壮年の従者が見つめていた。
ご令嬢は頬を染めながら、更に続ける。
「行く宛がないのでしたら、我が屋敷にご逗留されればよろしいかと……。あの騎士の方は慌てて出て行かれたようですけど、身元がはっきりするには少々のお時間がかかるものと思われます。ですから。」
「ゴホンッ。お嬢様。旦那様の御許可も得ずに勝手に決めてしまわれるのは、いかがなものかと?」
一気にご令嬢の思い通りに進んでしまいそうな事態に、壮年の従者が思わず口を挟む。本当なら、もっと前の段階で口を挟みたくて仕方なかっただろうが、そこは鉄の自制心を持つ従者として己の心と葛藤していたのだろう。
「あら?私の命の恩人でもあるこの方に、無礼を働けと言うの?そんなことになったら、その時こそハンプシャー家の名は地に堕ちるわよ。」
「ですが!」
「……あ、あのー。」
目の前で口論を始めそうな二人の不穏な気配に、一応割って入るようにして沢崎直は自信のなさそうな声を上げた。
「何ですか?」
ものすごい視線で従者に睨まれた。
壮年の従者からしたら、この面倒な事態の全ての元凶は、突然お嬢様の前に現れた目の前の厄介な馬の骨的イケメン・沢崎直なのだから、当然と言えば当然なのだが、沢崎直にとっては理不尽な事態だった。
だが、モブ女歴二十五年の沢崎直にとって、この程度の理不尽は日常茶飯事だ。壮年の従者に無視されずに尋ねられたというのは、自分に発言権が少しはあると理解して、下手に出た態度で口を開いた。
「まずは、あの騎士の方たちが戻られてから考えることでいかがでしょう?私のその後の身の振り方については、こちらの騎士の方とも相談した方がいいと思いますし……。」
沢崎直の言葉に壮年の従者の視線は幾分和らぐ。
どさくさに紛れてご令嬢の手を放し、話の間に距離を開けたこともその一因だ。
それに、騎士と相談ということは、ご令嬢に全ての決定権を委ねるわけでもない。
とりあえず結論の先延ばしの提案だが、今ここでご令嬢の一存で全てを決定してしまう事態は避けられた。まあ、相談されて騎士たちは困るだろうが……。
(……何かしらの仮宿みたいなのはあるでしょう、きっと。ほら、警察だって、酔っぱらった人を一晩留置場で保護したりもするし……。)
この世界の情報が全くない沢崎直の悔し紛れの希望的観測だった。




