第二章 五 『後悔』
五
(あの時、亜佐美とタクシーに乗ってればよかったァァァァァァ~!)
沢崎直は全力で後悔していた。
騎士たちが慌ただしく引き上げていき、微妙な空気が漂う騎士団詰所の上等な控室の中に残された三人は誰一人口を開くことはなかった。
沢崎直は呆気にとられていたせいで掲げた首飾りを戻すタイミングを失っていたことを、上げていた腕がしびれ始めてようやく認識する。
おずおずと腕を下げながら、とりあえず隣の壮年の従者に愛想笑いで会釈した。
(……何かよく分からんけど、あの騎士の人、どこ行ったの?)
誰にも向けられなさそうな質問を、心の中で投げかけてみる。
(めちゃくちゃ慌ててるように見えたけど……?なんか、ヤバいの?)
(何の身に覚えもないけど……、すんごいピンチっぽくない!?)
表面上はへらへらとした笑顔を浮かべてはいたが、沢崎直は内心すごく焦っていた。いや、焦っていたどころではない。慌てていたし、後悔していたし、逃げたくて仕方なかった。
ぎりぎり走り出さずにこの場にとどまっていたのは、全くこの世界の地理に詳しくないせいだ。
転生前の沢崎直として過ごした二十五年の人生において、沢崎直は常に冷静さを保てるよう心掛けていた。長年の空手の精神鍛錬の成果で、それはまあまあ上手くいっていた。恋人に浮気された時だって、別れ話を切り出された時だって、冷静さを保っていた。あまり長いとは言えない人生だったが、それなりのピンチは何度かあったし、その度に冷静な対処を心掛けていた。
だが、今はどうだろう?
異世界らしき場所に転生したらしき状況で、理解不能な事態に陥りっぱなしの沢崎直の精神の均衡は崩壊していた。現状は常にストレスフルで、厄介事と問題が時間を経るごとに倍増していく。二十五年の間に積んできた経験も修行も、全く役に立たない。
キャパの限界を超えて森の中で号泣したおかげで、今この場で泣かずに済んでいられるのはせめてもの幸いだった。
「あ、あのー……。」
沈黙に耐えかねたご令嬢が、ソファから立ち上がり、こちらへと近づいてくる。
「は、はい?」
声が裏返らないように気を付けながら、沢崎直は返事をした。
「その首飾りですが、私にも見せてくださいませんか?」
ご令嬢の申し出を受けてもいいかと、隣の壮年の従者に目で確認すると、壮年の従者が頷いたので、近づいてきたご令嬢に首から下げられたままの首飾りを掲げて見せた。
「失礼いたします。」
律儀に一言断ってから、首飾りを眺めるご令嬢。矯めつ眇めつするように、鎖の先の意匠の部分を観察する。
「この形、どこかで拝見した気がするのですが……。」
「私も、見覚えがあるような気がいたします。」
隣の壮年の従者がご令嬢に賛同した。
「何か思い出せることはございますか?ほんの些細なことでも構いません。」
そう言われても、沢崎直はこの身体になってまだ一日も経っていない。
(っていうか、この身体の人って、この世界にそもそも存在していた人なの?)
沢崎直が『魂だけこの異世界に転生』して、元いた誰かの身体に入っているのが現在の状況なら、元いた誰かの魂はどうなっているのか?
(あっ、でも、前世の記憶が何かの切っ掛けで戻ったパターンもあるか……)
その場合なら、今世の記憶が残っていないのはおかしい気もするが、前世の記憶が戻った衝撃で今世の記憶が飛んだ状況もないとは言えない。
何の手がかりもない状況に、沢崎直は難しい顔で考え込んだ。
そんな沢崎直の様子を心配そうにご令嬢が見つめる。その視線にかなりの熱も込められているが、考え事の最中の沢崎直は気づかない。
沢崎直は今、シュッとしたイケメンが思い悩んでいるという状態を自分が体現しているという事実に全く気付いていない。
ご令嬢の視線にこもる熱の行方を、壮年の従者だけが心配していた。




