30話 前兆
「晴哉君、失礼します」
「晴哉、失礼するわね」
右隣に沙紀が、左隣に玲奈が座る。
刹那、男子達からの嫉妬の視線が更に鋭くなった。
何人かは殺気も放っている。
……とりあえず、夜道には気をつけよう。
早速誰か歌うかと思ったけど、まずは先にドリンクを取りに行くことになった。
人数が多いので、何人かが代表して皆の分を取りに行くらしい。
「私が晴哉君の分も取って来ますね」
沙紀は両手にコップを持って立ち上がる。
その役目は俺が担おうと思っていたけど、ここは素直にお言葉に甘えさせてもらうことに。
「ありがとう。それじゃあ——」
「オレンジジュース、ですよね?」
沙紀がニコリと笑って、言おうとしていた言葉を先に紡いだ。
「正解だ。よく分かったな」
「ふふっ。晴哉君、オレンジジュースが一番好きだと前に言っていましたから」
沙紀の家で勉強会をした時に確かにそう言ったけど、まさか覚えてくれていたとは。
「……ねぇ、晴哉。オレンジジュースが一番好きなの?」
沙紀がドリンクを取りに行っている間に玲奈が尋ねる。
どうやら先ほどの沙紀との会話が聞こえていたらしい。
「ああ」
「……そう」
玲奈は物憂げな表情を浮かべて、何やらボソボソと呟く。
「私は知らなかったのに雛森さんは……」
「ん? 何か言ったか?」
「何も言ってないわ……晴哉のばか」
「えっ、なんで?」
フンッと、玲奈はそっぽを向いた。
玲奈はなぜか少し不機嫌そうだ。
それから少しして沙紀が戻って来ると、デンモクが玲奈に回って来る。
「玲奈は何を歌うんだ?」
「適当なバラードでも歌うわ。そう言う晴哉は何を歌うの?」
ちょっと前に話題になった映画の主題歌を歌うつもりだと伝えると、玲奈は少し驚いた反応を見せた。
「それ、結奈が大好きな曲よ。もしいつか結奈と一緒にカラオケに行く機会があったら歌ってみて。結奈、きっとすごく喜ぶわ」
「分かった」
結奈ちゃんとカラオケ……めちゃくちゃ盛り上がって絶対楽しいだろうなぁ。
「……は、晴哉君」
「沙紀?」
不意に沙紀が俺の肩にチョンチョンと触れる。
「その……お聞きしたい事があるのですが……」
沙紀は少し間を置いてから、意を決したように尋ねる。
「ゆ、結奈さんとは一体どなたですか?」
どうやら玲奈との会話が聞こえていたようだ。
沙紀は結奈ちゃんの事を知らないから、気になるのも不思議ではない。
「結奈ちゃんは玲奈の妹だよ」
「篠原さんの妹さん……ですか。晴哉君は篠原の妹さんとも仲が良いのですね」
「まぁ、そうだな」
めちゃくちゃ仲良しだと自慢したかったけど、玲奈が嫉妬する姿が目に浮かぶのでやめておく。
「そう……ですか」
落ち込んだ表情を浮かべた沙紀は、どこか覇気のない声で呟く。
な、なんか空気が重い気がするのはどうしてだろう……
「はい、晴哉」
「あ、ありがとう」
デンモクを俺に手渡した玲奈はドリンクを取りに行った。
「沙紀は何を歌うかもう決めたか?」
「はい、決まってます。私、歌える曲が少ないので決まるのはすぐでした」
「なるほど。確かに、歌える曲のレパートリーが多いと迷っちゃうからな」
「そうですね」
沙紀はふふっと微笑む。
さっきは少し重い雰囲気になりかけていたが、それもすっかり無くなったのでホッと安堵する。
「晴哉君ももう決めているのですよね。どの曲なんですか?」
「えっと……っ!」
その曲を沙紀に教えようとデンモクを操作していると、沙紀が顔を近づけてデンモクを覗こうとしたので、甘い香りが突然鼻腔をくすぐった。
……こ、この聖女様やっぱり距離感が近い!
これで無自覚なのだからおそろしい。
ここままだと、沙紀の豊満な胸がまた俺の腕に……
「ちょ、ちょっと!」
「うおっ」
戻って来た玲奈に突然腕を引っ張られた。
「は、晴哉。距離が近すぎよっ」
玲奈はとても焦った表情を浮かべている。
「……ねぇ、晴哉。まさかとは思うけど、雛森さんといつもあんな近い距離で接してるの?」
「そ、そんなことは……」
玲奈が射るような目つきで俺を睨む。
いつもではないが、沙紀の距離が近いのは事実なので完全に否定もできない。
それを玲奈は俺の態度から察したらしい。
「へぇ……そうなのね」
玲奈の目つきが更に鋭くなる。
それから、まるで仲間外れにされて拗ねている子供みたいな顔で玲奈は何やらボソッと呟いた。
「……雛森さんだけズルいわよ」
えっ、今……
「は、晴哉君」
名前を呼ばれたので振り向くと、沙紀もなぜか拗ねた顔をしていた。
「篠原さんと少し距離が……ち、近いと思います」
「えっ」
それ……沙紀が言ったらダメなやつ。
その後、周りはカラオケで盛り上がっている中、俺達三人の間にはなぜか重い雰囲気が漂っていた。
ふと、優斗と目が合うとニコッと優しく笑いかけてくれる。
今は優斗の笑顔だけが癒しだ……と思ったら、隣に座っている藤宮に怪訝な視線をまたもや向けられたので、行き場の無い視線を俺はデンモクへと向けるのだった。
そして、この時の俺は気づいていない。
「「……」」
一瞬。
ほんの一瞬だが、沙紀と玲奈の視線がぶつかった事に。
沙紀と玲奈。
お互い、自分の知らない晴哉との時間を向こうが積み重ねているのは当然承知だが、分かっていてもままならないのが人の感情というものである。
そして、抑えきれない対抗心と……
「「……」」
こうして翌日、二人は……




