69話。この世界にもう勇者は必要ありません。その2
【勇者アベル視点】
「幻惑の力だと!? ち、ちくしょうぉおおおッ! この森、この森になにか仕掛けがしてあるんだな!?」
僕は脇目も振らずに、全力で逃げ出した。
最強である勇者が逃げるなんて、屈辱以外の何ものでもない。
だけど、探知系スキルが機能しなくなったのは、この森に入ってからだ。
とにかく、ここから出ればなんとかなるはずだ。
「勇者ともあろうお方が、逃げるのですか? あなたの自慢のユニークスキル【決して砕けぬ勇気】で、何度でも立ち上がって、私に向かっては来ないのですか?」
聖女の幻影どもが、クスクス笑いながら次々に矢を放ってくる。
矢は風の魔法を付与され、スピードと威力が激増していた。
「なんだとぉおおおッ!?」
あきらかに弓と魔法の達人でなければ成し得ない絶技だ。
コイツは聖女セルヴィアなんかじゃない。おそらく、その正体は凄腕のエルフの戦士だろう。
それが5人、しかもこちらの攻撃は一切通用しない。
「うぉおおおおおっ!」
僕は地面を転がって回避し、森の外へ向かって、とにかく逃げる。
そうだ、森はそもそも【世界樹の聖女】とエルフの支配領域じゃないか。
勇者になってからは、不利な場所での戦いは避けるという発想そのものをしなくなっていた。
クスクスと、耳障りに笑う聖女の幻影が追いかけてくる。
「まさか、この僕のスピードに付いてこれるのか!?」
しかも、前後左右、四方八方から無数の矢が放たれて、僕を執拗に狙ってきた。
「ち、ちくしょうッ!」
無我夢中で矢を弾き、避けるが、あまりの手数に押し切られてしまう。
何本かは身体に命中して、痛みに足がもつれた。
「あぐぅぉおおおおッ!?」
駄目だ。射手の存在を、スキルで知覚できない。
どこに敵が潜んでいて、どこから狙ってくるのか、まったくわからない。
今まで、余裕で敵の攻撃をかわせていたのは、敵の一挙手一投足を、スキルで知覚して先読みできていたからだ。
くそぅ。聖女め。勇者である僕にこんなマネをしやがって。
もし捕まえたら、生まれてきたことを後悔するような目に合わせてやるぞ。ありとあらゆる苦痛を与えてやる!
その暗い復讐心だけを頼りに、僕は走った。
「なっ……!」
焦る僕の前に、信じられないモノが出現した。
先ほど殴り壊したウッドゴーレムの残骸が、転がっていたのだ。
「元いた場所に戻ってきただとぉおおッ!?」
愕然としてしまう。
僕は真っ直ぐに走ってきたハズだ。
どういうことなのか、さっぱりわからない。
「残念ですが、ここはエルフの【迷いの結界】の中です。勇者アベル、もう決して外には帰しません」
聖女セルヴィアが、僕の背後に現れてふざけたことを抜かしてきた。
こ、こいつ、いつの間に背後に……
コイツもまた幻影か、魔物が化けた姿だろう。
「あなたは、この森を死ぬまでさ迷い続けるのです。この森で飢えと渇きに苛まれながら、この私の幻影と永遠に戦い続ける。それがあなたの運命です」
「な、何をバカなことを言ってやがるんだぁああッ!?」
僕は絶叫しながら、聖女を斬りつける。
しかし、僕の剣はやはり聖女をすり抜けた。
「【アルビドゥス・ファイヤー】!」
「ごぁああああああッ!?」
聖女が火炎の魔法を放ち、僕の全身は業火に包まれた。
慌てて転げ回って、必死に火を消そうとする。
熱い、痛い。なぜ、勇者である僕がこんな目に合わなくちゃならないんだ。
「もうすでにこの森の異常さには、気付いていらっしゃるでしょう? ここには鳥も動物も住んでいません。ここに生えている植物は、すべて人間にとって有害なものばかりです。食料となるモノは何一つありません。なぜなら、私があなたを閉じ込めるために、この森を作ったからです」
【世界樹の聖女】の力は、植物を支配するというもの。なら、森をゼロから作ることも不可能じゃない。
「あなたが足を踏み入れると同時に、【迷いの結界】を発動させました。この中では、五感だけでなく魔法的な感覚も狂わされてしまいます。探知系スキルは、正常には機能しませんよ?」
聖女セルヴィアは勝ち誇ったように微笑した。
勇者である僕を、聖女ごときが見下すなんて絶対に許せない。
「クソがぁああああッ! 勇者の力を舐めるなよ!」
ようやく炎を鎮火した僕は、上級光魔法を詠唱する。
「何もかも燃え尽きろ【聖炎】!」
そうだ。聖女が森を創造するなら、僕は森を破壊し尽くしてしまえば良い。
僕は聖なる炎を広範囲に放った。
火事を起こし、森を全焼させるのが狙いだ。
僕は耐火魔法障壁を展開して、ガードする。
火事になっても、この魔法障壁内にいれば安全だ。熱も煙もシャットアウトできる。
「……無駄ですよ」
聖女セルヴィアが手をかざす。
火に巻かれた木々がボロボロに崩れ落ちて鎮火され、代わりに新しい木々が生えてきた。
「あなたが森を壊したら、私が復活させます。さすがのあなたも、この広大な森を一瞬で焼き尽くすなんてことはできませんよね?」
「ぐっ……!」
その通りだ。
しかも、飲まず食わずでは、やがて力尽きて、魔法が使えなくなってしまう。
「これこそ不死身の勇者を倒すためのカイン兄様の秘策です。あなた兄様をライバル視していたようですが、足元にも及ばないと知りなさい」
パチンと、聖女セルヴィアが指を鳴らすと、地面から無数のアンデッドが這い出してきて、僕を取り囲んだ。
「この【迷いの結界】内では、果てることのない怨念によってアンデッドが無限に湧き出てきて、あなたを襲います。もうあなたには、安息の時は永遠に訪れません」
「ぐっ……」
アンデッドはどれも雑魚だが、これが無限に湧き出てくるとなると……僕はもう満足に眠ることができなくなるだろう。
まさに、この森は、僕にとって最悪の地獄だ。
はっ、だけどな。
「アハハハハッ! そうか、そうか、なるほどなあぁ! だがよぉおおお、聖女様よ! 肝心なことを忘れちゃいねぇか!?」
僕は大笑いした。
そうさ。僕には、まだ奥の手がある。
「勇者である僕が現れたということは、魔王の復活が近いってことだ! 魔王は勇者の光魔法でしか有効なダメージを与えられない! もし魔王が復活したら、どうするんだぁ!? あっあーん!? 聖女様の大好きなカイン兄様が、なんとかしてくれるのか!? ブヒャヒャヒャ! そいつは、絶対に不可能だぜ!」
「それは……」
聖女セルヴィアは鼻白んだ。
おっ、やっぱり効果があったな。
「世のため人のために働くのが大好きなご立派な聖女様はよぉおおおおッ! まさか、邪悪な魔王によって、罪も無い人々が殺されても良いって、おっしゃるのかぁあああッ!? ヒャハハハハ! できねよな!? 勇者に頼るしかねぇよな!?」
「くっ……」
「もし魔王が復活したら、勇者様助けてくださいって、僕に泣きつくしかねぇわけだ! だったら、よぉおおおおッ! 世界を救ってやる代わりに、ここから今すぐに僕を出せやぁあああッ! そして、僕の女になれ! リディア王女も差し出せ! 国中の美少女を寄越せ! もし拒否するなら、ここから出たら魔王より先に、お前とカインをぶち殺しに行ってやるぞ! この王国も徹底的に破壊し尽くしてやるぞぉおおおッ! ギャハハハハッ!」
僕が大笑いすると、聖女は悔しそうに唇を噛んだ。
形勢逆転。やはり、正義は勝つのだ。勇者こそ、正義だ。
「えっ……そんなことが。は、はい、わかりました!」
聖女は何か驚いたような顔をして、虚空に向かって話だした。
なんだ?
「どうやらカイン兄様の策がうまくいったようです。魔王の復活は阻止されました」
「はぁ……?」
な、何を言っているんだ、この女。
勇者でもない人間に、そんなことができる訳が……
「もうこの世界に勇者は必要ありません。カイン兄様こそ、世界を邪悪より救った真の英雄です!」
聖女セルヴィアは、瞳を輝かせて告げた。






