10話。聖女はカインの役に立ちたくてたまらない
【セルヴィア視点】
2週間後──
「カイン兄様! やりました。兄様に教えていただいた通りにしたら、たった2週間で上位スキル【高速詠唱レベル1】が覚えられましたよ!」
私は喜びのあまりカイン兄様に廊下で抱き着きました。
一刻も早くこのことを報告して、褒めてもらいたかったからです。
「えっ、もう!? そうか、すごいなセルヴィアは」
「えへへっ」
カイン兄様は私の頭をやさしく撫でてくれました。
すごく気持ち良い。まさに至福のひとときです。
「はい! まさか【プチファイヤー】を毎日、50回唱えているだけで良いなんて、驚きです。これなら、魔法初心者の私でもできます」
「【高速詠唱】スキルは、魔法を3秒以下で発動させると熟練度が入手できるから、簡単な初級魔法を連発するのが、一番習得効率が良いんだ」
「すごい、こんな裏技があるなんて! 誰も知らないのではないですか!?」
「……そうだな。この世界の魔法使いは、強力な上級魔法を覚えることをステータスにしているみたいだから。その価値観のせいで【高速詠唱】スキル持ちは、滅多にいないと思う」
さすがカイン兄様です。
英雄の英知は底が知れません。
「魔法使いの戦いは、先に魔法を当てた方が絶対に有利なんだ。魔法詠唱中に攻撃を喰らったら、詠唱がキャンセルされてしまうから。命中精度とスピードこそが、魔法使いの質を決めるんだ。派手さは必要ない」
「なるほど、勉強になります!」
私にも英雄の英知を教えて下さるなんて……
魔法学校に入るより、兄様に師事した方が絶対に魔法使いとして大成すると思います。
「だけど、こんなに早く【高速詠唱】を覚えられたのは、セルヴィアが地道な努力を続けたからだ。すごいぞ。毎日30回で良いって言ったのにまさか50回も続けるなんて!」
「はい、カイン兄様が剣術に真剣に打ち込んでおられる姿を見て、私もがんばらねばと思いました。そうでなければ兄様の婚約者ですと、胸を張って言えませんから」
「うおっ……それはうれしいな。だけど、無理はしないでくれよ」
「もう兄様が、それをおっしゃられますか? 毎日、3000回という無茶な素振りをしていらっしゃいますよね? 少しはお身体を労ってください」
私は回復薬を取り出して、カイン兄様に渡しました。
一見なんの変哲も無い回復薬です。
「はい、どうぞ。回復薬に魔法植物【マンドラゴラ】の成分をプラスして、薬効を何倍にも高めた【強化回復薬】(エクスポーション)です。飲むと疲れが一瞬で取れます」
カイン兄様が、自分を追い込み過ぎて疲れているのは、お顔を見れば一目瞭然でした。模造刀で打たれたのか、その端正なお顔にアザもできています。
私は【世界樹の聖女】の力を周囲にバレないように使って、兄様を癒して差し上げたいと考えていました。
そうやって、創意工夫を繰り返した結果生まれたのが、この【強化回復薬】(エクスポーション)です。
私は【薬師レベル1】のスキルを持っていますから、素材さえあれば薬の調合もできるのです。
えへへっ。愛する旦那様の体調管理は、妻たる私の務めですからね。
「本当か? 見た目は、ふつうの回復薬にしか見えないな……」
カイン兄様はそれを一口飲むと、目を見張りました。
「おぅうっ!? 修行の疲れが一瞬で取れたぞ!?」
「本当ですか? 良かったです! これで、兄様のお役に立てましたね」
「ああっ、ものすごく助かる」
カイン兄様は大喜びで、私の頭をさらに撫でてくれました。
私はうれしくて、得意になって解説します。
「えっへん。この【強化回復薬】は怪我の治療にも効果てきめんです。あっ、でも、お怪我はしないようにしてくださいね」
「セルヴィアは本当にすごいな。ありがたく使わせてもらうぞ」
「はい!」
カイン兄様に褒められて、私の気分は最高潮です。
もっと兄様のお役に立てるよう、がんばらなくては……
「カイン兄様、私が最強になれるように、ご指導いただけるということですが。次は何をしたら良いですか? 【高速詠唱】スキルをさらに鍛えますか?」
「そうだな。それも必要だけど。これまで通り、火属性の魔法以外は使わないようにしてくれ。それから次は森で……」
カイン兄様が思案されだした時でした。お父様の怒鳴り声が、近くの応接間から響きました。
「魔獣の討伐だと? そんなことは、冒険者ギルドの仕事であるぞ。王国の盾たる栄光なるシュバルツ伯爵家の戦力は、下賤な魔獣退治のためにあるのではないわ!」
「し、しかし、伯爵様! 森に出現した魔獣ブラッドベアーは危険度Aランク! 冒険者ギルドが、手が出せないと言うほどの凶暴な魔獣なのですよ……っ!?」
「どうか兵を出していただけませんか!?」
「くどいッ! 貴重な兵力を魔獣退治などに割く訳にはいかぬというのが、わからぬのか!?」
どうやら、お父様は陳情に来た村長たちと揉めているようです。
領民を守るのが領主の務めですが、現在シュバルツ伯爵家の兵は、ミスリル鉱山内の魔物を殲滅するために駆り出されています。
どうやら、かなり凶悪な魔物の群れが巣食っているらしく、他に兵を回す余裕が無いようです。
「魔獣ブラッドベアーだって? ちょうどいい!」
カイン兄様は突如、応接間の扉を開け放って、宣言しました。
「父上、それでは、俺がその魔獣退治を引き受けます!」
「えっ!?」
「なにぃ!?」
「あなた様は……まさか若様!?」
あまりのことに驚いて応接間に入ると、その場にいた全員が唖然とした顔つきになっていました。
なにしろ、カイン兄様のレベルはまだ5のハズです。剣術の修行も始められたばかりですし……
こ、これでは、殺されに行くようなものではありませんか?
「そうだが……?」
「こ、これは失礼しました! あまりに意外なお申し出に、少々驚いてしまいました」
村長たちは慌てて揉み手で、カイン兄様に媚を売りました。
意外なことですが、領民からのカイン兄様の評判は悪いようです。
怠惰で傲慢な領主の息子だと、もっぱらの噂でした。
訳がわかりません。
私のカイン兄様は、やさしくて気高くて世界一かっこいいのに。
……でしたら、この魔獣討伐は、カイン兄様のすばらしさを領民たちに知ってもらうチャンスです。
敵はAランクの魔獣。本来なら無謀だとお止めしなくてはならないところですが、英雄の英知を持つカイン兄様には、きっと勝算がお有りなのだと思います。
「カイン兄様、無論、私もお供いたします!」
ですが、危険であることは事実。私が【世界樹の聖女】の力で、サポートしなくては。
「……あっ、まさか、そちらのお方は、今、話題となっている偽聖女殿ですか?」
「王家を謀った罪人として、追放されてきたとか?」
私に村長らが、あからさまな軽蔑の視線を向けました。
うっ……
自らが撒いた種とはいえ、他人に蔑まれるのは、やはり辛いものがあります。
「おい、セルヴィアを偽聖女なんて呼ぶな! セルヴィアは、自分ら聖女だと名乗ったことはない。教会が勝手に聖女認定して、それが間違っていただけだ」
「はっ! ……こ、これは失礼しました!」
すると、カイン兄様が間に立って庇ってくれました。
「お前ら領民ごときが、俺のモノであるセルヴィアを悪く言うのは許さない。その旨、各村に通達しろ!」
「こ、これは肝に銘じます!」
領民たちはカイン兄様の迫力にタジタジになりました。
「う、うれしいです。カイン兄様……」
私の心に温かい物が広がりました。
一見、傲慢に振る舞ったのは、悪評を利用した方が、命令を聞かせやすいからでしょう。
やっぱり兄様は、世界一の男性です。
「カインよ、本気か……? 残念だが、手勢をつけてやれる余裕は無いぞ。貸してやれるのはランスロットだけだが」
「父上、ランスロットも必要ありません。俺とセルヴィアだけで、魔獣を倒してご覧に入れます」
「なにぃいいい!?」
お父様は心底驚いていました。
「ふっ、旦那様、ご心配には及びません。今のカイン坊ちゃまならブラッドベアーごときに遅れを取る心配はございません。この私が保証いたします」
お父様の背後に護衛として控えていたランスロットが、意味深な笑みを浮かべました。
「なぜなら、カイン坊ちゃまは、たった2週間で【剣術レベル3】に到達されてしまったのですから! これとユニークスキル【黒月の剣】の組み合わせは……クククッ、この恐るべき才能には、もはや笑いしかありませんな」
「なにっ!? 【剣術レベル3】と言えば、すでに一流の剣士の領域ではないか!?」
お父様や村長たちは、言葉を失っていました。
私も驚きです。
「ま、まさか。昨日の時点では、カイン兄様は【剣術レベル2】であると、うかがっていましたが……?」
「今朝のランスロットとの模擬戦のおかげで、さらにスキルレベルを上げることができたんだ。ありがとうランスロット」
「なんの。礼など不要です。カイン坊ちゃまに剣を教えることこそ、このランスロットの生き甲斐でごさいます」
し、信じられない成長速度です。
才能という言葉だけでは片付けられません。
カイン兄様は、一体、どれほど努力されているのでしょうか?
私ももっとがんばらねば、置いていかれてしまいそうです。
「だから、安心して俺に任せてください」
カイン兄様は私の頭をポンポンと撫でました。
「それにシュバルツ伯爵領の森なら、ちょうど良かった。これでセルヴィアを最強に育てるためのピースが揃う」