最近の悩み
17歳の男子高校三年生です。
最近の悩みは自分の中のわだかまりが解けないことです。
いつも胸が締められていて、何か違和感を感じて生きてます。
この文章では一生懸命この違和感を言語化してみたいと思います。
まず違和感を感じ始めた時期です。
実はこの違和感は昔から感じていましたが、それほど意識せず生きていました。
それほど違和感を意識させることが起こらなかったからだ思います。
私は受験を考えはじめ、理系なのに記述で現代文が課されている大学を目指すことになってしまったので、現代文に触れることが増えました。
違和感を強く感じ始めたのはこの頃です。
次にこの違和感は何に対する違和感なんでしょうか。
この違和感を特に強く感じるのは、現代文の文章、とくに良問と言われている問題の文章で、高尚な思想性に貫かれ、完結した文章を読んだ時です。
いつも読み終わった後に何か心を動かされます。
自分も何かしら思想があるのではないかと探してみても、見当たらないのです。
自分の貧弱な思想性に驚かされるばかりです。
おそらく違和感はこの貧弱な思想性に対してです。
ではなぜ違和感を感じるのでしょうか。
私も悩める青年の一人ですから、変わることはあれど、思想が無いわけではありません。
問題はこの思想がいくつもあって、しかもどれも共存出来ない物であることです。
ある思想に基づいたり文章を書いたとしても、それを否定する思想があるようで、何か違うと消してしまいます。
これでは思想があるのかないのかわかりません。
この相反する思想がいくつも同時に存在していることの矛盾を違和感として感じているようです。
この矛盾は何から生まれているのでしょうか。
私は幼少期はアメリカ、小四からは大阪で生活してきました。
おそらく私の根本にはアメリカ的な性格と、日本的な生き方があるように思います。
二つの異なる文化が身に付いたことにより、身体的に感じとられるものが両義的になってしまったのではないでしょうか。
同じ境遇の人に会ったことがないので分からないですが、私の抱える矛盾はここから来ていると思います。
別の理由も考えられます。
それは、青年特有の悩みであるということです。
私は今まで同じような悩みを抱いている人を見たことがないので分からないですが、よくある悩みだとしたら、いずれ解消されるでしょう。
しかし、残念ながら私にはこれに対する反論があるのです。
私が感じている違和感は小学五年になった頃でからす。
私はどちらかというと授業でもはしゃぎまくる非常に幼児じみた子供だったので、その頃から青年であるほどの精神年齢ではなかったと思います。
また、倫理を選択していないので分からないですが、その頃に青年だったとしたらそろそろ青年期は終わるはずではないでしょうか。
これらから考えるに、おそらく私はこの矛盾を孕んだ思想性を持ち続けたまま生きていくことになるでしょう。
一過性の喜びはあっても、思想の交錯から抜け出すことは出来ないでしょう。
辛い人生になる予感がします。
この予感がすることが一番の悩みです。
アドバイスがあったら感想ください。