第8話:図書室の悪魔!-毒書魔獣ネクロノーマ登場-(中編)
放課後、はじめたちは集団失神事件が起きたのとほぼ同じぐらいの時間を見計らって現場となった図書室へ侵入した。事件を受けてその日は一時閉鎖扱いになっていたが、校舎裏手側の通期窓がいつも開けっ放しなのを究太郎が覚えていて、放置された脚立を持ってきてこっそりそこから忍び込んだのだ。
「前から気になってたんだけど」
図書室内のひんやりとした空気を肌で感じながら、はじめは前を行くひかるに素朴な疑問をぶつける。
「幼魔獣って、なんで夕方にしか出て来ないの?」
「黄昏時は、世界の境界線が最も曖昧で混じり合っている時間だから。あいつらも、こっちの世界に出てきやすくなる」
分かるようで、いまいち分からない答えだ。
「けど、魂を食べるんでしょ。昼間の方がぼくたち子どもだって大勢学校にいるのに」
「そこはほら、サバンナのハイエナやライオンだって、群れからはぐれた時にシマウマを狙うじゃんか。捕食動物って、基本は確実に狙える相手しか狙わないんだよね」
「……そういうこと」
究太郎の補足にひかるが珍しく同意したので、はじめは思わずムッとなる。ふたりの間でだけ会話が成立して分かり合っているというのが、何となくだが面白くないのだ。
「要するに、臆病ってこと?」
「シッ」
ひかるが口に手を当てて、それ以上は黙れと指示した。
電気が消えて利用者が誰もない図書室は、しいんと静まり返って想像以上に不気味だった。あと一時間もすれば夕陽さえ差し込まなくなり、室内は真っ暗闇に変わるだろう。
立ち並ぶ本棚で死角がそこら中に存在しており、物陰からいきなり怪物が飛び出してきたとしてもおかしくないような雰囲気がその空間にはあった。
「……ジッとしててもしょうがないよ」
究太郎がひそひそ声で言った。
「俺たちは向こうを探そう……上城さん、気を付けて……」
そうして究太郎は、返事も待たずひとり別方向へ行ってしまった。はじめは呼び止めようと思ったがひかるが何も言わないので判断に困ってしまい、結局は自分も腰を落として忍び足で彼の後をついていく羽目になった。
「おいっ、究太郎……っ、勝手な行動するなよ……っ」
が、彼から返事が無い。見ると、図書室正面の貸し出しカウンター前で棚に載せられた本をペラペラとめくって目を通したりなどしていた。
「……なにしてんの?」
「今日借りる予定だった新入荷の本なんだ……図書室が閉まっちゃって、借りられなくてさ」
「こんな時に立ち読みかよ!?」
はじめは相棒の気楽さに呆れかえった。彼は図書室内のUFOやUMA関連本を全冊借りて読破したとか言っていたことがある。新刊をリクエストしてまで知識を広げる根性は立派だと思いたいが、正直こんなタイミングじゃなくても良いだろう。
「もういいよ……ぼくは上城のいる方に戻るから」
「オーケーオーケー、後で行くよ……あれ?」
ほとんど生返事しか返ってこないのでバカバカしくなり、はじめは相棒に背を向ける。何か素っ頓狂な声を上げているようだが、付き合っていられない。
「なんだこの本、気持ち悪い表紙――」
――ゴトリ、と何か固い物音がして究太郎の言葉が途切れた。流石に異変を感じ咄嗟に振り返ると、究太郎が本棚に奇妙な前傾姿勢で倒れかかっている。一瞬、何が起きているのか全く分からなかった。
はじめは、思わず彼の元に近づこうとした。
「究太――」
「――危ない!」
ひかるの声がしたと思うといきなり背中側に物凄い力で引っ張られ、はじめは図書室の固い床にすっ転んで肘を打ち付けてしまった。
文句を言おうと顔を上げたその直後、もはやそんな場合でなかったことにはじめは気付いた。
『ククククク……鼻が良いようだなァ、小娘……』
「魔獣……!?」
いつの間にか図書室内に現れた魔獣。
その姿はひとことで言えば、巨大な本だった。縦横がそれぞれ数メートルずつもある化け物サイズの本。しかもその本には二本の足と、ゆらゆら蠢くひも状の触手、更には数えきれないほど大量の牙のようなものまでが生えていた。はじめは今しがた、その触手で捕えられかけていたのだ。
『我が名はネクロノーマ。人類誕生以前より存在する、遥か古の叡智なり……!』
「魔獣が喋ってる……」
ヒーロー番組に出てくる悪の首領みたいなしわがれ声を目の前の怪物が発していると知り、はじめは呆然とした。思わず傍に立つひかるの方を見るが、彼女は少しだけ傷ついたように首を横に振った。
「…………違う。こいつじゃない」
「そうか……いや、待って、そんなことよりも!」
はじめは遅れて我に返った。正直なところ今は、こいつがひかるの宿敵かどうかはどうでも良いのだ。そんなことより、
「お前、究太郎に何したんだよっ!?」
『こやつの魂は美味であったぞォ……』
ネクロノーマを名乗る魔獣は、巨大な口をパカパカさせながらうっとりした口調で言った。
『純粋で柔らか、それでいて無尽蔵の活力に満ち満ちておる……』
「落ち着いて」
はじめの肩を、ひかるが想像以上の強い力で掴む。思わず彼女の方を見たはじめは、自分がドッと冷や汗をかき、動悸さえ激しくなっていることに気付かされた。自分と違ってひかるは落ち着いている……そう思ったが、彼女の手も微かに震えているということにはじめはすぐに気付いた。あのひかるが、恐れている?
「今すぐあいつを倒せば、彼は元に戻る。他の人たちも助かる」
「上城……」
『ほォ……言ってくれるわ小娘が!』
ネクロノーマが吼えると共に、二本の細長い触手が床スレスレを這うようにしてはじめたち目がけて襲い掛かってきた!
「隠れて!」
はじめが答えるよりも先に、ひかるは彼の体を突き飛ばすと強制的に物陰へと押しやった。ふたりがいた場所を触手が直撃、余波で近くにあった本棚の一部が割れて砕けた。
林立する本棚の上をひかるは身軽に飛び移って移動する。伸縮自在の触手が彼女を追尾し、本棚どころか天井の一角すら粉砕して、狭い室内に木片の雨を降らせていく。
『どうしたどうしたァ……口先ばかりで防戦一方ではないか!?』
「くっ……!」
敵の言葉通り、ひかるは敵に近づけない上に足場を徐々に減らされていた。ムリもない、ひかるが今まで戦ったのはある程度の広さを確保された屋外でのこと。対してここは、障害物が多く高さにも制限のある屋内。しかも敵の攻撃がどこまでも伸びて追いかけてくるのだから、あらゆる意味でひかるは長所を封じられてしまっているのだ。
だがその時、はじめはあることに気付いた。敵が本なら、火に弱いのでは?
意を決してはじめは、敵の触手が離れたところにあるのを見計らって物陰から飛び出すと、図書室の壁際に沿って走り、可能な限りの本棚を迂回して敵の背中側に回り込んだ。
「究太郎! 究太郎!」
倒れたままの究太郎を何とか抱き起すのに成功したが、はじめは想定外のショックを受けてしまった。魂をとられたという彼は、一応息はしていた。が、目は中途半端に見開かれ焦点が合わず、口の端からはよだれが垂れている。不意に見たその表情が、少年の目にはグロテスクかつ生々しいもののように映ったのだ。
「……待ってろ、今助ける!」
少し離れた場所では、ひかるがとうとう敵の触手に捕まってしまっていた。両腕を拘束されネクロノーマの巨大な口へ、ジリジリと引き寄せられつつある。
このままでは彼女が敵に食べられる!
はじめは究太郎の荷物から改造花火爆弾――ファイヤワークバズーカを取り出すと、一緒に入っていたライターを懸命にカチカチやった。中々火がつかない――焦るはじめの目の前で、ひかるが敵の口に引きずり込まれかけている――火がついて、大量の火花がロケットから噴出し始めた!
「おい、こっち見ろバケモノ!」
ネクロノーマがその巨体をこちらへ向けた直後、ロケット花火が勢いよく飛び出した。弧を描くように飛んだ花火爆弾は間を置いて命中、次の瞬間まばゆい大爆発が起きた――。