第14話:オオカミ屋敷への潜入!-猟犬獣鬼テンダべロス登場-(中編)
「確かめるって……何を」
「簡単なことだよ」
警戒心を露わにするひかるに、究太郎はお構いなしに切り込んでいった。
「上城さんが魔獣と戦うのに使ってる聖水ってさ、正体は町で売ってる『星乃天然水』と同じものなんじゃないの」
その瞬間、ひかるの瞳が見る見るうちに見開かれていったのが分かった。
はじめは二重の意味で戸惑いを覚える。
ひとつは、普段表情のあまり変わらないひかるが傍目にも分かりやすいぐらい露骨な動揺を見せていること。もうひとつは、以前のように究太郎とひかるの間でだけ何かよく分からない会話が成立して、自分が置いてけぼりになっているということだ。はじめは流石にちょっと慌てる。
「待ってよ究太郎、一体何のこと」
「はじめって、星乃天然水自体は知ってる?」
「星ヶ原の特産品だろ。自分で飲んだことはないけど、命星小の近くのコンビニとか酒屋とかでも売ってるし、名前とパッケージぐらいなら」
はじめたちが通う命星小学校は、星ヶ原という中規模自治体のとある一角に存在している。そして星乃天然水とは、この自治体のみで販売されるある種のミネラルウォーターの名称で、市内中心部に近いごく限られた土地の地下からしか採水不可能とされている。
「ずっと疑問だったんだよね」
究太郎はあたかもドラマに出てくる探偵みたいな喋り方をし始めた。
「ネクロノーマの時も、シザーバデスの時も、魔獣の事件では必ず一人か二人は、襲われずに助かってた人がいたんだ。最初は偶然かと思ってたけど、大人も子どもも同じように襲われるって分かってやっぱり何か変って思った。例えば給食室のオバチャンとか。現場のすぐ近くにいたのに、一人だけ無事って不自然でしょ?」
はじめは、究太郎の推理を呆気に取られて聞き続ける。言われてみれば、そうなのかもしれないが……。
「そしたらこないだ、偶然そのオバチャンをコンビニで見かけてさ。星乃天然水を買ってるの見て、ピンときたんだよね。そういえば上城さんをいじめた女子の中で、一人だけ助かったのって上城さんの聖水を勝手に飲んだ奴だったなって。俺は思ったんだ、ふたつは実は同じものじゃないのかって」
「ちょっと、ちょっと待って究太郎」
はじめは狼狽を隠せない。いくら何でもその論理は、話が飛躍し過ぎだ。
「ミネラルウォーター一本飲んだぐらいで、なんで魔獣に襲われないで済むんだよ。そんなの偶然かもしれないじゃんか」
「星乃天然水には『ホシノミネラル』っていう、特殊な成分が含まれてるんだって」
究太郎は実に落ち着き払って説明を続けた。
「昔からずっと飲まれてて、しかも健康と美容に良いからってことで許可下りてるけど、実は基準に引っかからないだけであんま詳しい事が分かってないんだって。もしかすると本当は、魔獣をやっつけられる成分なんじゃないかな」
「…………」
ひかるも、何か言えばいいのにさっきから黙りこくってしまっている。
「ほら、見てよこれ」
究太郎は部屋の一角に積まれていた山のような空きペットボトルの一本を拾い上げ、はじめたちの眼前に突き付ける。長い年月で変色しているようだったが、そのラベルは確かに『星乃天然水』と読める。
「ここに住んでた大神博士って、ウワサ通りなら風呂とか着替えとかちゃんとしてない、見るからに不潔そうな人だったって。如何にも天才博士っぽいけど、そんな人が美容のためとかでこんなに沢山ミネラルウォーター飲むかな。俺は、博士が魔獣がいるのに気付いて身を守ってたんじゃないかなって思うんだけど」
「だから、考え過ぎだよそれは」
ミネラルウォーターがぶ飲みの理由が目に見えない怪物対策なんて言い出したら、それこそ完全に頭のおかしい人間の妄想だろうと思う。それに幼魔獣というのは自分たち子どもにしか見えない存在のハズだ。大神博士というのは一体いくつぐらいの人だったんだ?
確か、若き天才とか言ってた気がするが……。
「大体さ、町で売ってるミネラルウォーター飲むぐらいでいいなら、あんな隠れて大変な思いして戦う必要ないだろ。なんか適当な理由つけて、みんなで飲むようなルールにするとかさ」
「それが無理なんだよ、はじめ」
究太郎はやけに勿体ぶった言い方をする。
「星乃天然水ってさ、町中で買えるのに実は全然人気が無くて、今はもう殆んど売れてないんだって。どうしてだと思う?」
「いや、知らないけど……」
「簡単な話。めちゃくちゃ苦くて辛くて、不味いんだ。星乃天然水って、本当ならコップ一杯飲むのも大変な水らしいんだよ。この前のこと覚えてるでしょ」
アッ、とはじめは思わず声が漏れる。
ひかるのボトルから勝手に聖水を飲んだ女子は、一口飲んだだけで吐きそうな顔をしていた。まさかあれは、嫌がらせの演技じゃなかったのか?
「てかこっちを先に話せば良かったかな。そもそも俺が上城さんをここに呼べたこと自体が、一番の証拠なんだよね」
「……そういえば訊こうと思ってたけど、上城の電話番号とかどうやって調べたんだ? 先生とかに訊いたって教えてくれないだろ」
「インターネットに載ってたよ」
「…………は!?」
「ここにだって書いてあるけどさ」
耳を疑うはじめに、究太郎が再び指し示したのはペットボルのラベル表示だった。そこには星乃天然水の製造・販売元の会社名が記載されている――『株式会社ホシノ』とある。
「この会社のホームページ行ってみたら、ビックリしたよ。社長とか役員とか名前がびっしり書いてあるんだけど……その名字が殆んど『上城』なんだ。つまり、これを売ってるのは上城さんの――」
「――もういい、聞きたくない」
ひかるが、重く閉ざしていた口をようやく開いた。
これ以上は逃げ場がないと悟ったみたいな口ぶりだった。ひかるの声は気のせいでなければ何処かかすれたような音にも聞こえる。
「全部、君の言う通り。だけどお願いだから、もう二度とあんな電話はやめて……お陰で私は笑いものにされた。何も知らない、その辺のガキンチョと一緒に戦うようなのは、一族でお前だけだって」
「え……」
散々得意げに推理を披露していた究太郎が、それまでとは一転して青ざめた顔になった。
「ごめん、俺そんなつもりじゃ」
「いい。キチンと話さなかった私も悪い。けどもう放っておいて」
「なんだよ、それ」
はじめにとっても、今のはあまりに聞き捨てならなかった。
「なんで上城がそんなこと言われなくちゃいけないんだよ。上城は何も悪くないだろ。無理に首突っ込んだのはぼくらの方だし、そうじゃなくても上城はいつも一生懸命――」
「そんなのどうでもいい!」
「どうでも良くないだろ!」
もうこれで何度目になるかも分からない金切り声を上げるひかる。が、しかし今日ばかりははじめも黙って引き下がる訳にはいかなかった。あまりにも納得がいかないからだ。
「……なんでなんだよ。上城には何にも良い事ないじゃないか。家族にいじめられて、学校でもいじめられて、飲みたくないような不味い水ずっと飲み続けて、上城ひとりが何でそこまでしなくちゃいけないんだよ! 上城がそんな辛い目に遭う必要ないだろ!」
「……もういい、私が馬鹿だった」
ひかるは突き放すように言って、はじめたちに一方的に背を向けた。口調はいつも通りだがこの前に頬を叩かれた時のように、声に混じる涙の量が幾分か多めに感じられる。
「君たちには所詮分からない。ごっこ遊びで満足してる君たちなんかには」
「なんだよ、それ。今そんなの関係ないだろ」
「どうせ、こんなところに魔獣なんていやしない。家族の言った通り、君たちに力を借りようなんて一瞬でも思ったことが間違いだった。もう関わらないで……!」
「上城っ!」
部屋を飛び出したひかるを、はじめは咄嗟に追いかける。このままじゃ駄目だ。このまま彼女をひとりで行かせたら。そう思って後を追うが、彼我の身体能力の差なのか距離はどんどん離されていく。
ところが廊下の角を曲がろうとした直後、彼らの周囲に恐るべき異変が起きた。
突如、嗅いだことも無いような地獄の如き激臭が一面に漂い始め、喉と鼻の奥へとぐわっと入り込もうとしてきたのだ。
「うあっ!?」
「臭っ、なんだこれ!?」
はじめの背後で究太郎まで悲鳴を上げている。息をするのが苦しい。両目から涙がこぼれてくる。いわゆる刺激臭というやつだ。思わずその場に膝を突くと、少し前方でひかるまでもが口元を押さえてうずくまっているのが分かった。
上着で口と鼻を覆って彼女の元に行こうとしていると、壁と天井の継ぎ目から、階段の段差部分の裏側から、その他ありとあらゆる角度を持つ部分から謎の青白い煙が噴き出し、やがてひとつの形を取り始めた。
頭と、胴と、手足と、更に尻尾を持つものが現れ、廊下の行く手を遮って天を突く遠吠えを上げる。それは全身から青白い燐光を放つ、一頭の猟犬だった。




