第11話:給食室がささやく!-魂断魔獣シザーバデス登場-(中編)
「カニが……でっかいカニみたいなモンスターに由美ちゃんたちが……」
ひかるとはじめを喜色満面で辱めたあの女子グループのリーダー格は、一時間前とは打って変わって顔中から色という色を失い、殆んど灰褐色の様相を呈していた。
「由美ちゃんも千夏ちゃんも、利恵子ちゃんも見えないって……由美ちゃんと利恵子ちゃんが倒れて……ふたりの声が暗いよ、熱いよって……」
少女は先生たちに支えられて歩きながら、誰に訊かれてもいないのに自らが目にしたものをただひたすら呟き続ける。さもないと、感情が整理できなかったのかもしれない。
「千夏ちゃんがモンスターに捕まって……顔に気持ち悪いのがウニョウニョって……!」
ギャア――――――――ッ! と、少女の絶叫が廊下中に響き渡ったことで、見守っていた生徒たちがビクッと身を固くして後ずさるのと同時に、少女自身も先生たちの手を振り切って逃げ出そうとした挙句に捕まり、ジタバタと大暴れを始めていた。
「カニが来る! カニが来る! カニが来るカニが来るカニが来るカニが来る! カニが来るカニが来るカニが来るカニがああああああああああああああああああああ――――ッ!」
「落ち着いて、大丈夫だから!」
「お前ら、見てないで早く帰れ! 言われなかったのかっ!」
少女はおろか、先生たちまでもが半分ヒステリーを起こしていて、八つ当たり気味に怒鳴り散らされた生徒たちは興味と恐怖がない交ぜになった顔で、少しずつその場を後にした。
あれ、とはじめは妙なことに気付いた。
「どうしたの、はじめ」
「いやあいつ、確かさっきスカート穿いてなかったっけ」
究太郎がちょこっと背伸びをしてみてから、本当だと応じる。リーダー格の彼女は教室ではピンク色のスカート姿だったハズだ。それが廊下に屈んで泣き叫ぶ今は、何故かは知らないがダボダボの青色ジャージに変わっている。色もサイズもまるで違うため違和感があったのだ。まあ正直大したことではないのだが……。
「それより、あの子たちが襲われた場所はどこ」
「給食室の前あたりだって。先生たちがさっき話してたのが聞こえた」
割り込んできたひかるに、究太郎は持ち前の耳の早さを活かして即座に応じる。
あの後、彼女たちは連れ立ってトイレに向かったのだという。教室近くは埋まっていたため離れた給食室付近のを使おうとしたが、その道中で敵に襲われたということらしい。
「これからどうするの、上城」
「決まってる」
ひかるが何の迷いも無く踵を返したので、はじめは仕方なしに後を追った。
「……一応聞きたいんだけど」
はじめは、まっすぐ事件現場へと赴くひかるの背中を見ながらも、自分の中でどうしようもなく大きくなっていく疑問を投げかける。むしろ彼女は、疑問には思わないのか。
「あいつらって、ぼくらがワザワザ助けなきゃいけないのかな」
「嫌なら、ついてこなくていい」
「だってあんなことした連中だよ。死んじゃえばいいとは思わないけど……助けたってどうせまた、上城に意味不明なケチつけてくるだけかもしれないんだよ。上城が何であいつらのためなんかに、そこまでしなくちゃいけないんだよ?」
「……魔獣を放っておいたら、もっと人が襲われる。関係ない人もたくさん」
「……だからって」
「あのはじめ、そのことなんだけどさ」
究太郎がふと、若干申し訳なさそうな顔で口を挟んでくる。
「事件の時、ちょうど給食室で残って作業してたオバチャンがいたらしいんだよね。しかも、その人が不注意でガス漏れ起こしたんじゃないかって疑われてるって」
「……なんだよそれ!?」
「早く何とかしないと、何も悪くないオバチャンが捕まっちゃうんだよ。もうすぐパトカーと救急車も来るって言ってたし……」
未だに踏ん切りのつかないはじめを置いて、ひかるはひとり前に進む。事件現場はもうすぐ目と鼻の先で、この辺の廊下は殆んど人気がない。先生たちがビニールひもを張って簡易的に作ったバリケードを、彼女は躊躇いもせずくぐり抜けて行った。
その時ふと、はじめの視界の端に妙なものが飛び込んできた。それは廊下の一角に不自然に広がった、しかも引きずったような痕跡さえある、いささか黄色みがかった液体のような何かだった。その正体に気付いた瞬間、あのいじめ女子四人組への怒りがほんの僅かにではあるが同情へと変わった気がした。
はじめはやがて誰へともなく小さく悪態をつくと、今度こそ自らの意思でひかるの後に続きバリケードをくぐって前へ進んだ。
* * *
給食室内部は、図書室とは反対に湿っぽさを含んだ空間で、まるでそこだけが梅雨の時期に逆戻りしたかのようだった。だというのに床のコンクリートが剥き出しな上、鈍い銀色の調理器具や台車が視界いっぱい並んでいるから冷たい印象も覚え、視覚情報が嗅覚や触覚と真逆の結論を導いて頭がちょっと混乱しそうになってしまう。
だがやはり、どこに敵が潜んでいてもおかしくはない雰囲気があった。
「今更なんだけどさ、今日の事件ちょっと変じゃないかな?」
「何が」
「だってまだ夕陽も見えてないのに」
ひかるの問いに、究太郎が早口でそう答える。
「幼魔獣って夕方に出るんでしょ。お昼過ぎって、いくらなんでも時間早すぎないかな」
それははじめも漠然と感じていたことだ。誰も正確な時間を測っていた訳ではない。けれど今までのケースと比べて、今回の魔獣は明らかに二~三時間は早く出現していた。
「それに、あいつら四人もいて見えたのが一人だけっていうのも」
「……時間はともかく、同じ子どもでも見える子、見えない子はいる。多分……あの子は四人いた中で一番、感覚が繊細で鋭かった」
繊細というより、臆病なだけじゃないのかとはじめは思う。殆んど手下のような他の三人が全滅して保健室へ担ぎ込まれたのに、一番率先していじめをしていた張本人が唯一生き残ってパニックを起こしているのは、子ども心にも皮肉のようなものを感じた。
……熱いよぉ。
「今、誰か何か言った?」
はじめの問いかけに、他のふたりがピタリと足を止める。
今確かに、すぐ側からささやき声のようなものが聞こえた気がしたのだ。それも、どちらかというと少女がすすり泣くようなタイプの薄気味悪い声だ。
「俺も聞いたよ。たぶん女の子の声だった」
「私じゃない」
究太郎とひかるがそれぞれに返事をする。さっきの声とは、明らかに雰囲気が違っている。当たり前のことだが、はじめでもない。するとまた何処からか、
……暗いよぉ、出してよぉ。
「誰だよ、出てこい!」
……熱いよぉ、苦しいよぉ、出してよぉ。
声は室内で反響を起こし、今や四方八方から聞こえていた。はじめは背筋に鳥肌が立って、無意識のうちに一歩後ずさってしまう。究太郎と互いの背中が勢いよくぶつかり合う。
カラーンと大きな音がして、はじめたちは心臓が飛び出しそうになった。はじめの腕が偶然当たって、金属トレーが置かれた台から床へと落下したのだ。ひかるも含めて、全員の視線が足元のトレーに集中している。
「なんだ――――」
思わずホッとしたその瞬間、彼らのナナメ横側にあった大きな配膳台がいきなり吹き飛び、載っていた無数のトレーがけたたましい音を立てて床に飛び散った。
はじめたちの驚愕の声をかき消してしまう程の金切り声を上げ現れたのは、真っ赤な甲殻に長大なハサミを振りかざし、体の下部分では無数の触手がうねり狂う、カニともエビともつかない奇怪で巨大な化け物だった。




