第10話:給食室がささやく!-魂断魔獣シザーバデス登場-(前編)
「ねえ上城さん、あなた最近調子に乗ってるんじゃないの?」
その日の事件のはじまりは、教室で発せられた絵に描いたようなひと言からだった。
昼休み。給食後の清掃時間を終え、教室に人目が殆んどないタイミングを見計らったようにクラスの女子四名ほどのグループが、自分の席にいたひかるを一斉に取り囲んだのだ。
自らも席に戻ろうとしていたはじめは、突然の出来事にギョッとなってしまう。
「由美ちゃんから聞いたんだけどさ、少しぐらいは給食食べなよ。せっかく心配して声かけてあげてるのに、由美ちゃんに悪いと思わないの?」
「……私は」
「ほら、そうやってすぐにらんでくる! どうせ悪いと思ってないんでしょ!」
リーダー格の子は、ひかるが言葉を発しようとすると、甲高い声でイチイチ遮ってしまう。単純にうるさいのは勿論だが、ひかるが反論すること自体をまるで最初から認めていないかのようにさえ見えるのだ。
「けどさ、せめて由美ちゃんに謝んなよ。心配してあげたのににらまれたーって、由美ちゃん泣いてたんだかんね!」
「そーだよ、謝んなよ!」
手下の女子の一人が、これまた絵に描いたように追従する。
原因は、ひかるが給食を一切食べないのを気にした同じ班の子が、それを女子特有の仲良しグループのリーダー格に相談したことだった。おいしいから、一口でいいからと何度勧めても取り合わず、挙句にはにらまれるのだから相手の子にも正直同情する部分はある。
けどひかるは別に好き嫌いが理由で食べない訳でも、まして一度配られたものを中途半端に残している訳でもない。彼女の場合、それはおそらくは魔獣と戦うのに必要な行為だからで、何より配膳自体を元から断っている以上、怒られる筋合いはないハズだった。
「……私は」
ひかるは、何とか隙を見つけて口を開いた。
「家が少し特別だから。外で出されたものは食べちゃダメだって言われてる。それに先生にもそのことは話して、許可を貰ってて……」
「ハァ? 家が特別? あなた、自分の特別扱いが当たり前だと思ってるの?」
「だから態度大きいんだねー、最悪ー!」
「きっと先生、騙されてるんだよ!」
……何だか雲行きが怪しくなってきたぞとはじめは思った。
さっきから彼女たちはひかるの言うことやる事、全てに噛みついては騒ぎをひたすら大きくするのに夢中なように見える。ネット世界でいう、誹謗中傷や炎上の類にも似ていた。
「大体なによ、この汚い水筒」
ひかるが手入れのため机に出していた聖水ボトルが、不意に奪い取られる。魔獣との戦いで不可欠なものであるためか、ひかるの顔色が流石にちょっと変化した。
「返して」
「大事なものなら学校に持ってくる方が悪いんじゃなーい」
「お願い、返して」
「こんなのが給食より美味しいの?」
言うが早いか、リーダー格の子は勝手にボトルを開けると中身をゴクリと飲み含んだ。
「いっつもこの中身飲んで――うええっ、何これ不味っ!!」
ワザとらしく吐きそうな顔をした少女は、あろうことか栓を閉めもせず持ったボトルを床に投げ捨てるという暴挙に及んだ。木製のタイルに飛び散る液体を目の当りにしても、はじめは眼前で繰り広げられた光景が信じられなかった。それほど、彼女らのひかるに対する仕打ちは異常なものだった。これはもう、れっきとしたいじめではないか。
「こんなの飲んでるって、あんたって頭おかしいんじゃないの? もしかして本当に宇宙人? みんなウワサしてるよ?」
リーダー格の子はヘラヘラと笑って言い放った。
「あんたが転校してきてから、火事とか爆発とか、変な事件ばっかり学校で起きるって。あれもしかして、本当はあんたがやってんじゃないの。あんた本当は――」
「――違うっ!!」
叫んでしまってから、はじめは後のことを何も考えていなかったのに気付いた。敵意の籠る刺すような視線が集中し、はじめの脳内はたちまちグルグルと渦を巻き始める。
「あ、いやえっと……上城とは隣の席だし、クラブも一緒だし……だから分かるんだよ。変な事件はそりゃ起きてるけど、別にそれって上城のせいじゃ……」
「は? あんたに聞いてないけど。嘘つきは黙ってて貰える?」
抉るような言葉を平然とぶつけられて、はじめは頭の中が真っ白になる。
「もしかしてあんた、この子のこと好きなの? うわカッコつけちゃってマジムリなんだけどキモイッ! キモイキモイキモイッ!」
「な、何だよそれ関係ないだろっ!」
はじめはカッとなって、殆んど訳も分からず言い返してしまう。
「大体あんないじめやっといて、何で開き直ってるんだよ! 上城に謝れ!」
「男のクセに言い訳とかマジムリ――――キモイキモイキモイ!」
「謝れって言ってるだろッ!」
「いや――――キモイキモイキモイ――――ッ!」
もはや会話すらも成り立っていなかった。
とはいえ、はじめに標的を移したことで興が削がれたのか、彼女たちは口々にキモいだの、嘘つきが伝染るだの勝手な罵詈雑言を叫びながら、大はしゃぎで教室を出て行ってしまった。最初の話題が給食云々だったことなど、もう誰も覚えていなかった。
「はじめ、落ち着きなよ」
いつから見ていたのやら、究太郎が少し経って気の毒そうになだめにやって来る。
「あいつらもう行っちゃったから。そんなに泣くなって」
「泣いてない……ッ!」
言っていて自分でも苦しいとは思った。目頭が熱いし、今すぐにティッシュがほしいぐらい鼻の奥が湿っている。教室内の数少ない声と視線全ての集中を感じ、恥辱で心臓が痛くなる。メガネを押し上げ目元を拭っていると、ひかるが遅れて近づき手を差し出した。
「ボトル」
ひかるは言った。
「拾ってくれたでしょ。返して」
「ああ、うん。ごめん……」
はじめは投げ捨てられたひかるのボトルを無意識に拾い上げていたのを思い出し、言われるまま持ち主に返却した。受け取った彼女はいつも手入れに使っている手拭いで、特に飲み口のまわりを丹念に拭きながら、呟くようにして言った。
「…………放っておいてくれて良かったのに」
「だって、あいつら上城のこと何にも知らないのに」
はじめは半泣きなのもあってか、殆んど思ったままを伝えた。
「みんなを守るためにめっちゃ一生懸命頑張っててさ。さっきなんてぼくしかいなかったし、助けなきゃって思って……こないだの爆発とかは、全部ぼくが悪いし……」
「…………うん、そうだね」
ひかるはそれ以上何も言ってこない。彼女は黙々とボトルの手入れを続けながらも不思議とはじめの前から動こうとはしなかった。しかも終始顔を上げようとしない。流れるその微妙な空気の中で、究太郎だけが居心地の悪さを感じたようにモジモジとしていた。
そうするうちにチャイムが鳴って、永遠にも感じられた昼休みが終わりを告げる。はじめが憂鬱な気分で席についていると、程なく先生がやって来たためすぐ五時間目の授業が始まると思われた。ところが、意外なことにそうはならなかった。
例の女子四人組が、いつまで待ってもクラスに戻って来なかったのだ。
教室内に徐々にだがざわめきが広がっていく。先生もいささか困惑気味の様子だ。サボリにしても、度が過ぎている。
「……一生帰って来なければいいのに」
はじめが思わず漏らした本音にも、隣の席のひかるは何も言ってくる気配はない。
「――児嶋先生!」
突然、教室に息せき切った様子で、いつだかの体格の良い先生が飛び込んでくる。図書室の事件で怪我をしたらしく、上半身に包帯とガーゼが巻かれていたがそれ以外は何ともないようだった。はじめは少しだけホッとする。
彼がはじめたちの担任に何事か耳打ちすると、その顔色が見る見るうちに変化した。
「みんな、しばらく自習していて下さい!」
児嶋先生はそれだけ言うと、やって来た先生と共にサーッと走り去ってしまった。教室内のざわめきが、いよいよ抑え切れないぐらいに大きなものになる。はじめが思わず振り返ると、同じく何かを察知したらしいひかると目が合う。何だか嫌な予感がした。
自習という名目のおしゃべり時間が小一時間続いて終わると、やがて見知らぬ先生が代理でやって来て帰りの会を行い、その日は寄り道をせず真っ直ぐ帰宅するようにとお達しを出して話を締めくくった。詳しい事情の説明は一切無かった。
とにかく大丈夫だから騒がず即時帰宅せよ。その一点張りだった。予感は的中していた。
少女たち四人は、あれから間もなく魔獣に襲われていたのである。




