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薬で解決

 ――それは持ち主がいるから返して。


 ――拾ったのはオレ様。もうオレ様のもの。


 ――漁師達に言いつけるぞ。


 ――うるさい。クロネコ食わせろ。イヌコロ食わせろ。


 そんな押し問答も、もう五刻(約三十分)になろうかという頃。ちょっと面倒臭くなってきたタキシードが嘆息をついてエイジャを振り向いた。


「エイジャ、このままだとワシら、今日のおまんまにもありつけへんし、もうこいつらをぶちのめして晩ご飯にしてしまわへん?」


 タキシードがわざとそう言って大きめの声を出すと、すかさず浜辺にシーンと沈黙が来た。


 実は昔、エイジャが浜辺でドカンドカン暴れ回ったことがあり、海獣達も彼女の恐ろしさは知っていたのだ。


 海獣達がギャングならば、エイジャはその全てを蹴散らす喧嘩師(アウトロー)だ。彼女は力で相手を支配することに躊躇(ためら)いがない。


 とはいえ、あまり脅かし過ぎて海に逃げられると困る。決め手にかける状況だった。さてここからどう落とし所を見つけたものか。飴ちゃんで釣ろうかな。タキシードがそんな事を考えていると、イノライダーがふらふらと近寄ってきて、わざとらしく砂浜につんのめった。


「――おっとぉー、手が滑ったー」


 イノライダーが転んで砂浜に両手を突いた時、変な液体がオタリアの抱えていたアンバーグリスに掛かった。


 わずかな静寂の後、タキシードは鼻を針で突かれたような刺激を感じて首を引いた。目がしぱしぱして開けていられない。


「――く、くさっ!」


 浜辺が静かにざわめき立ち、(めす)オタリアたちが蜘蛛の子を散らすようにボスオタリアから離れていった。


 当のボスオタリアもアンバーグリスを手放して岩から滑り下りて距離を取っていた。ぺらぺらした、ヒレみたいな手で器用に鼻を押さえている。


「ああー、しまったッス……悪いッスねー。つい、とある秘伝のレシピで作った、くっさい液体を零してしまったッスよー。このくっさい液体は、それはもう超臭くて、海に入って洗ったとしても、一度付着するともう絶対取れないッス。こんなの抱えていたらハーレムの維持はおろか、雄のオタリアとして生きていくことすらままならなくなるッスね。いやー、大事な性なるお宝に申し訳ねーッス……っていうことを伝えて欲しいッス、所長」


 タキシードは鼻を押さえながら、そんなイノライダーの話を、離れた場所で威嚇していたボスオタリアに伝えた。ボスオタリアは、オオオオーッ! というすっごい雄叫びを砂浜に響かせて、何かを抗議していたのだが、身体を触っていない状態のタキシードにも、彼が何を言っているのかは分からなかった。


「エイジャ、なんか、めっちゃ怒っとる……」


「そりゃねぇ……」


 タキシードがエイジャのスカートの中に避難していると、やがてひとしきり吠えたボスオタリアは海にのそのそ帰っていった。波が引くように雌オタリアたちも海に帰っていく。


 かくしてアンバーグリスが取り残された。だが、それを拾い上げようとする者はだれもいなかった。


「ぐうぅぅ、なんなんあれ? 鼻曲がるわ」


 砂浜に転がった灰色の塊から漂ってくる臭気は、腐った魚をゲロに漬け込んで長期発酵させたような匂いだった。


「うざい男()けの薬ッスね」


「いくらうざいからって、あれをつけて歩くん? 自分、女捨てとるな」


「自分に付けるんじゃねーッスよ! うざい男にぶっかけてやるんッス!」


 イノライダーの言葉に、げーっとなったタキシード。エイジャも先ほどからずっと鼻をつまんでしかめっ面だ。


「元々、レストレイドの(しつ)け用に開発したやつッスよ」


 イノライダーが足元のレストレイドの頭を撫でると、レストレイドもクゥーンと両手で器用に鼻を覆って見せた。


「――あ、そうだ。エイジャちゃんもいるッスか? うざい男避け、兼、所長のお仕置き用。これを使うと悪いことは二度とやらないッスよ」


 イノライダーの言葉にうーんと唸ったエイジャ。


「お、おい、やめろ! はやまるなエイジャ! そんなことしたら、お前だってワシに近づけなくなるんやで」


「……兄の苦しみを分かち合うのもまた、妹……」


 ぶつぶつと、わけの分からないことを呟きだしたエイジャの肩に乗り、必死の形相で頬をペロペロとなめるタキシード。彼女の気を散らせようと翼で顔をファサァしたり、しっぽで鼻を撫でたりと忙しい。


「なんでも薬で解決するのがはえーッスよ」


 さらっと、とんでもないことを言ったイノライダーだったが、葛藤するエイジャとそれを阻止したいタキシードに、その言葉は届いていなかった。


 しばらくそんなことをしていると、だんだんと陽光が薄れ始めた。


「――でも、これええんかな? 依頼人怒ったりせぇへん? ちなみに、ワシ触りたくないで」


「私も」


「自分だって嫌ッス」


 ――どーすんの、これ?


 結局、汚染されたアンバーグリスは漁師さん自身に取りに来てもらった。


 漁師さんもその匂いに閉口していたが、家宝が返ってきた安堵と喜びの方が上回ったようで、一応感謝され、依頼料も手に入った。これでしばらくは食費に頭を悩ませる必要はなさそうだった。


 後日、数日したら綺麗さっぱり取れるッスよ、というイノライダーの言葉通り、アンバーグリスの異臭は無事消えたという話を、タキシードはバワーズの経由で聞いた。


 手伝ってくれたイノライダー達には、ホエールスでエイジャと一緒に食事ができる権利を報酬として与えた。イノライダーも満更でもなさそうにその時間を満喫した様子だった。


 その日の夜、エイジャが不審な小瓶を寝室に隠したシーンを目撃し、タキシードは二度とエイジャに叱られるようなことはできないと、戦慄したのだった。


〈次回予告〉

「わーっ! わーっ! たんま、たんま‼ ストップ! すとおおおっぷ‼」

慌てて制止したタキシード。

彼の視線の先には、燃え上がる闘気を背負い、瞳を金色に輝かせたエイジャが。


次回、スイカ泥棒を追う探偵。

乞うご期待!


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