海獣の王国
「うわ、なにこれ」
そう言ってエイジャがのけ反った。
南北街道をしばらく行った浜辺。そこには海獣の群れがびっしりと海岸線を埋め尽くした、海獣の王国とも言うべき光景が広がっていた。
街道を行き交う人々も皆、それを見て怪訝な顔で通り過ぎていった。この密集状態は、人によっては恐怖を覚えるかも知れない。
「アシカ、かな?」
エイジャが目を細めて訝しげにぽつりと呟いた。
「――あぁ〜、あいつはオタリアっすね。ほら、あそこの岩の上で偉そうにふんぞり返ってる奴、あいつがボスじゃねーッスか?」
するとイノライダーが岩の上を指差してそう言った。その視線の先には一匹の黒光りする大きな海獣――雄のオタリアがいた。
オタリアはでかいアシカだ。その雄は特に、首の周りがライオンに似た鬣に覆われていて、その姿は非常に雄々しい。
「――良いご身分ッスねぇ。このハーレム、あいつ一匹で作っているっぽいッスよ」
イノライダーはキョロキョロと浜辺を見渡すと、呆れた口調になって言った。
その時、突如レストレイドが吠えた。タキシードが頭突きして話を聞くと、レストレイドはアンバーグリスの匂いを嗅ぎつけたと言った。
「――レストレイドが、この辺りにアンバーグリスの匂いがあるって。この状況だと、あの雄オタリアが持っとるとしか考えられへんな。……ところで、これ全部アンバーグリスで集めたハーレムなん? アンバーグリスの効果すごくない?」
「それじゃあ、近くに行ってみよっか」
エイジャを先頭にして、一行は街道から浜辺に降りた。
砂を踏みしめた時、タキシードは海辺の動物特有のアンモニア臭に顔を包まれた。エイジャが鼻をつまみ、タキシードとレストレイドは力なく項垂れている。イノライダーだけが平気そうだ。見ると、彼女は煙草を吹かしていた。
「こういうときこそ、煙草ッスよ」
――レストレイドは、よくこの異臭からアンバーグリスを嗅ぎ取れたものだ。
タキシードは素直に感心した。
寝そべっている大量の雌オタリアを踏まないように、ぴょんぴょんと避けて進むと、すぐに岩に乗った雄オタリアの近くまで来た。タキシードがエイジャを護衛に伴って更に近づいていく。
「――おーい、自分。ちょっと話せぇへん? 聞きたいことあるんやけど」
タキシードはそう断って岩に駆け上り、雄オタリアの前足にお触りした。
雄オタリアの腹の下に、アンバーグリスはあった。しかし彼はそれを渡さないと言った。曰く、「これはオレ様のもの。クロネコ食わせろ。イヌコロ食わせろ」だそうだ。
海獣はちょっと野蛮だ。特にアシカ系はやばい。彼らの思考性向はギャングさながら。タキシードは伝わってきた攻撃的な物言いにちょっとビビった。
ここで「クロネコ食わせろ」と言っている、などと直訳してエイジャに伝えてしまえば、流血沙汰は必至なので、タキシードはやんわりとオブラートに包んで通訳した。
「――しっかし、でけぇハーレムっすねぇ。アンバーグリスでブーストされていると言っても、このオタリア絶倫ッスよ。素養はあったってことッスね。元から性豪だった奴に、とんだ性宝を与えてしまったってわけッス。今ここに、バミューダ海の性王が生まれたッスよ」
「一度モテる味を知っちゃったから、手放せないんだね」
雄オタリアは、腹の下に置いたアンバーグリスを渡すつもりはない様子だ。
困った顔になったエイジャの横顔を、じっと見つめていたイノライダーが、恐る恐る、ごまをするような口調で口を開く。
「こ、ここは……エイジャちゃんのエロエロな踊りであのボスオタリアを悩殺すれば、油断してアンバーグリスを離すかも……へへっ」
「そっか、なるほど……練習の成果を見せる時だね、任せてっ!」
「何寝ぼけたことぬかしとてんねん、このイカレ女。その白いコートの上で毛玉吐くぞっ!」
鼻息荒く腕をまくったエイジャを遮って、タキシードはイノライダーにクワッと牙を剥いた。
「う……やめてほしいッスよ。取れないシミになるじゃないッスか。胃液は強酸性なんスから」
コートを手で引いて本気で嫌そうな顔をするイノライダー。ワンワン。レストレイドも抗議の声を上げている。
――そんなに嫌かな?
逆に心に小さなダメージを負ったタキシードが、ペタンと耳を倒した。




