臭い依頼
「ただいま~」
「こんにちは、エイジャさん。早速で恐縮ですが、僕はこれで失礼します」
「あ、メルカトルさん。兄ぃの爪研ぎがボロボロになっちゃってるので、今度替えをお願いします」
「かしこまりました、次お持ちしますね。それでは」
エイジャと入れ替わりに、メルカトルはお辞儀をして帰った。
謎の男ヤブドゥルのところでダンスのレッスンをした帰りのエイジャ。彼女の後ろには見知らぬ男が立っていた。なんでも、ベリーヒルの麓でオロオロしていたので声を掛けたところ、タキシード探偵事務所を探しているという事だったので、一緒に帰ってきたらしい。
そんな話を男に聞かれないよう、寝室でこっそりタキシードに説明してから、彼女はタキシードを抱っこして応接室兼事務所に戻った。その男はジョーと名乗った。彼は依頼人だった。
「――ふむふむ、下水に結婚指環を落としてしまった、と」
「はい……チタン製の指環に日長石をあしらったものなんです。彼女の月長石と対になった、オーダーメイドの指環なんですうううぅぅ……」
婚約指環や、結婚指環はチタン貨一枚分というのが、庶民のちょっと背伸びをした相場だった。最近はチタン貨そのものを指環に加工して宝石を付けるのが流行っているらしい。日長石と月長石が若者の流行の最先端であることは、先日ミシェルから熱弁されたばかりだ。
硬貨を潰して別の品に加工するのはよくあることだった。元々、金属貨幣は貴重な金属の流通手段として考案された側面があるからだ。旅人が金属貨幣を持って移動することで、小さな集落にも不純物の少ない金属を行き渡らせるという知恵だ。
(これまた面倒臭い依頼やな)
タキシード探偵事務所は遺失物の捜索も請け負うことがあるが、小さい物品に関しては、はっきり言って成功率が非常に低い。南大三角連合会を動員したとしても、よほどの特徴がなければ、この広大なバミューダでたったひとつの物品を探し出すのには運が絡む。先日のラフランが落とした藁人形などは、ラベンダーの香りという犬が追跡しやすい特徴があった。
エイジャが男の話を聞きながら、膝の上で丸くなったタキシードの“耳の裏”をカリカリした。これは、私はやりたくないんだけど、というエイジャの意思表示だ。ここでタキシードがゴロゴロすると、やっぱり受けると言う意味になる。しかし、タキシードはエイジャの膝の上でプスーっと鼻から強く息を吹いた。これは依頼拒否のサインだ。
捜索場所がまた悪い。エイジャもタキシードも鼻が利く故、よほどの事情がない限り下水は勘弁願いたい。
「――せっかくのご依頼ですが、現在、わたくしどもは別件で長期の依頼を受けておりまして、ジョーさんの捜索に当てる時間がありませ――」
「お、おねがいしますううぅぅ! 無くした事がバレたら俺は終わりだああぁ!」
ジョーはそう言って、エイジャの膝から降りて歩き去ろうとしていた“タキシードに”縋った。タキシードが床にいたので自然と土下座のポーズになっている。
「貴方が探偵タキシードさんですよね⁉ 名探偵だと伺いました! どうかお願いしますううううぅぅ‼」
「……なんで自分、ワシのこと知っとるん?」
タキシードは油断なくジョーを見返して聞いた。タキシードはジョーの前で喋っていない。にもかかわらず、ジョーはタキシードの正体を知っていた。
「――実は、警察に相談したら、ここを紹介されまして……目つきの悪い女の人だったんですけど」
「目つきの悪い女……? ひょっとして、そいつ、犬連れとった?」
「はい。かっこいい大きな犬が隣にいました」
「あの女……」
――イノライダーめ。
おおかた、暇なイノライダーが担当になったのだろう。その時の彼女の思考回路が手に取るように分かった。
彼女の顔を立てる必要もないタキシードは、にべも無く断ろうとして、しかしふと、先ほどのメルカトルとの会話を思い出した。
――地下、か。
「――自分、とりあえず昼飯奢ってくれへん?」




