商人メルカトル
タキシード探偵事務所には金がない。
理由は三つある。ひとつは仕事がない。バミューダは、最近ちょっと不穏な影も見えるが、それでも街は平和だ。小さな集落などと比べれば命の危機とはほど遠い穏やかな日々が流れている。
ふたつ目の理由は、食費だ。事務所のエンゲル係数が高い。だがタキシードの食事量など雀の涙。主な原因はエイジャの胃袋だ。
エイジャが心置きなくその鉄の胃袋を解放した時の大食いは、周りの客が引くほどだった。うっかりエイジャの気を引こうと、ご飯を奢りにきた間抜けな男どもを、涙目にして撃退したことは数え切れない。まさに百戦錬磨の胃袋。
タキシードも、美味しそうにパクパク食べるエイジャを見て良い気分になってしまうのがいけない。動物に餌をあげている時に、不思議な至福感があるのと同じように、エイジャにお腹いっぱい食べさせることに強い中毒性があることを、タキシードは未だに気が付いていなかった。
そして三つ目だが、たまったツケの支払い分だ。これはそこそこ値の張るアイテムを買い込んでいるということに起因する。
さらにイレギュラーな要因として、先日バミューダレースで大損をこくという大失態も重なった。
つまり、どういうことかというと、金が尽きた。先日、ベリーヒルのお祭りで荒稼ぎしたお金はもうない。最後の鉄貨十枚も、目の前の男の懐に消えていった。
「――これで、〈暴威をしたためる筆〉の分割支払いは終わりですね。長い間ご苦労さまでした。それで、こちらの琥珀はいかが致しましょうか?」
「支払い終わって早々ですまんな、メルカトル。ツケでたのむわ」
そういってローテーブルの上に転がった数個の琥珀の欠片を指差したタキシード。対面のソファーに座っているのは鼠色の髪にベレー帽を乗せた人物――メルカトルだ。
少年とも青年とも言えない年頃に見える彼は商人で、タキシード探偵事務所の御用聞きをしてくれている人物だ。それなりに付き合いの長いタキシードですら、彼の年齢は知らない。
琥珀の上に乗ったタキシードの猫の手。それを見たメルカトルが、穏やかに目を細めた。
「ええ、もちろん。所長さんにはご贔屓にしていただいておりますから」
琥珀は高級品だ。主に街の外に出張る狩人が糧秣として買いあさるからなのだが、単純に栄養豊富なことから栄養サプリメントとしての需要も高い。一個丸ごと買うと高いので、タキシードは規格外となるほど小さな欠片を、こうして比較的安価にメルカトルに譲ってもらっていた。だが、今はそれすらも払えない。再びツケ生活突入だ。
「それで……例のブツの件はどうや?」
「幽霊石ですね……あいにく、目新しい情報はありません」
タキシードは幽霊石と呼ばれる幻の宝石を追っている。その関係で商人のメルカトルにも流通経路を監視してもらっているのだ。まぁ、幽霊石が流通することはないだろうが、せめて噂程度でも情報が手に入ったらいいな、くらいの感覚だった。
「そうか。まぁ気長にやるわ。手間やと思うけど引き続きたのむで」
「お任せください。僕も所長さんにお世話になっている身です。その程度のこと、お安いご用ですよ」
そう言ってメルカトルはうっすらと笑った。
メルカトルは時々、タキシードに依頼を持って来て解決してもらうことがあった。すなわち盗聴、追跡、不正の証拠探し、その他ライバルを蹴落とすためのグレーな活動全般。この男、優男風だがやることは結構えげつない。ザ・商人の鏡だった。
「――そういえば、所長さん。お見合いとか興味あります?」
「は? 見合い?」
「ええ。エイジャさんではなくて、所長さんの」
「しかもワシの?」
ひいき目に見ても猫なタキシードとお見合いがしたいなどと――どこの酔狂な女だろうか。よほどの猫好きか物好きか。だがタキシードも興味があることは確かだった。つい最近、女性経験の未熟さを痛感したタキシードは話くらいは聞いてもいいかな、という気分になっていた。
「――どんなやつなん?」




