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大波乱

「当たった……」


 タキシードは142.9倍という、単勝としては破格の高オッズで勝った。誰もあの女が勝つとは思っていなかったのだ。当然だろう。弱そうだった。


 タキシードが適当に選んだあの十二番の女(レースでは本名が伏せられて番号呼びになる)は、並み居るゴツいライバル達を翻弄(ほんろう)し、レースを最後まで駆け抜けた。


 そもそも、戦う筋肉が発達した人間よりも、細い人間のほうが長距離走という観点では有利だったのだ。十二番の女はその華奢な見た目のせいで、周りの選手の眼中に入っていなかったらしく、レース中盤まで小競り合いに巻き込まれずに周回数を稼いだ。


 しかし、そこまで来ると流石に他の選手達も黙ってはいない。レースが中盤を過ぎた頃、十二番の女がちょうどホームストレートに差し掛かった時、彼女はタキシード達の目の前で数人の待ち伏せに()った。


 ただ、彼らも女の弱そうな見た目に遠慮したのか、さほど強い攻撃は仕掛けなかった。もっとも、それでもその攻撃のどれもが女の軽そうな身体を軽々吹き飛ばしてしまいそうな威力を宿していた――はずだった。


 彼らの攻撃はひとつも当たらなかった。十二番の女は何事もなかったかのようにコースを走り続けた。タキシードには、なにかの冗談に思えた。これに仰天した選手達は慌てて女を追った。何とか足止めして追いつかなければならなかったが、女の走りは軽快だった。


 次に十二番の女がホームストレートに現れた時、待ち伏せと追っ手に挟み撃ちにされる格好となった。女は突出してレースを先行していたため、多くの選手達のリンチ・ターゲットになったのだ。絶体絶命。もう先ほどのような手加減はないだろう。女の順位よりも、女の身を案じる状況だった。


 ホームストレートの観客席に座った人々が固唾(かたず)を飲んで見守る先で、女は押し寄せる殺気もどこ吹く風。海辺でジョギングを楽しむかのように飄々(ひょうひょう)とその合間を走り抜けて見せた。


 タキシードには何が起こったのか理解できなかった。


 十二番の女を狙ったはずの攻撃は全て見当違いの空間を打った。あるものは転び、あるものは別の選手を殴り、またあるものは女に近づかれただけで恐怖に(おのの)いて逃げ出す始末。女の肩を掴んだものもいたが、その選手は直後にバタリと倒れ込んでしまった。


 これには観客一同、困惑するほかない。タキシード達も唖然。レースは大混乱となった。


 そんなこんなで、あれよあれよという間に十二番の女は周回を重ね、終盤には女がホームストレートに入ってくる度に、観客席から歓声と悲鳴が同時に上がる阿鼻叫喚(あびきょうかん)となった。


 最終ラップでは、最後まで食らいついていたブリランテとの一対一のデッドヒートになったが、結局、十二番女の逃げ足が(まさ)った。十二番の女は、ブリランテの追撃を振り切ってゴール。まさかの一位だった。


 この大波乱は今日一番の大穴となった。話によると、三連単の最高倍率は九千倍を超えたらしく、数年ぶりの万倍券となったそうだ。レース途中で十二番の女に攻撃を仕掛けた人気選手が、(ことごと)く原因不明の症状を起こして大ブレーキを食らったのも影響したらしい。とにかく、あの十二番の女が台風の目だった。


「――兄ぃ、すごいよっ!」


「おお……これがビギナーズなんとかってやつか……」


 付き合いで買ったつもりだったので掛け金は大きくなかったが、その金貨一枚が鉄貨数枚に化けた。


 表面上平静を保っていたタキシードだったが、彼のちっちゃな脳味噌にはドバドバのアドレナリンが駆け巡っていた。


「帰りにバワーズさんのところで豪遊だー!」


 エイジャがぴょんぴょんと飛び跳ねていた。


 ――あぶく銭だ。この鉄貨を元手にあと一回勝てれば、エイジャに新しい服を買ってやれるかも知れない。


 タキシードの猫目にどろっとした欲望の火種が灯った。


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