怪しい男
ベンチに腰掛けた、頭が包帯ぐるぐる巻きの男(ライチの誇張ではなかった)の前を、エイジャがゆっくりと歩く。
すると男は雷を浴びたように全身を硬直させて立ち上がった。その動きに驚いた風にエイジャが立ち止まり、男の方に顔を向ける。
「ああ、貴女こそ私の運命の人――」
「はいアウトー」
男がエイジャに歩み寄ってその手を取る寸前、エイジャのロングスカートの裾を頭でめくり上げながら出てきたタキシード。
「おいワレ! ワシの妹に手を出してただで済むと思うなよ!」
「い、妹……ですか?」
男がエイジャの顔と足元のタキシードを交互に見比べ、押し黙った――見えているのだろうか? ライチが言うとおり、髪は金髪のドレッドをオールバックにしており、目も完全に包帯で隠れていて、その上に丸眼鏡を掛けている。不審者極まりない。あと、タキシードの鼻は男から漂う妙な匂いを嗅ぎつけていた。体臭ではない。臭いような、いい匂いなような……。
やがて、男がビシィとタキシードに指を突きつけて吠える。
「――嘘だっ!」
「嘘ちゃうわ! 正真正銘の兄妹や!」
男の服装は異様だった。ぼろ布を被った全身に、宝石が付いた金属チェーンを無数にぶら下げており、靴が特に妙で、男の歩みに合わせてピカピカと靴底が発光していた――大道芸人かな?
「――あなた、ライチって女の子に覚えはない?」
エイジャが少し威圧的だ。男はエイジャの問いかけを受けて唸る。
「ライチ――ああ! もちろん覚えていますよ。きのう私の運命の人になってくれた女性の名前ですね。どうして貴女が彼女の名前を?」
「なぜなら、あたしの友達だからよっ!」
ライチがミシェルを伴って現れた。こちらもご立腹だ。
「おや、ライチさん。私のネックレスは気に入ってくれましたか?」
男は軽くライチに会釈した。エイジャが続けて問い詰める。
「あなた、どういうつもりなの? 女の子にネックレスなんてあげて、何も言わずに立ち去るなんて」
「え? 迷惑でしたか? あの月長石は彼女にぴったりですよ」
「無責任ですっ!」
悪びれもなく言った男に対し、ミシェルが声を上げた。それを切っ掛けに強い剣幕の三人に囲まれる男。その男は如何にライチに月長石が似合うのかを主張し、女性三人は男に謝れという趣旨の話をしていて、話がズレッズレになっていた。
――妙だ。この男、悪気がまったく感じられないし、実際やったことと言えば、ただ女に宝石を貢いだだけの変人だ。
タキシードはバサッと飛び上がってエイジャの肩に乗った。エイジャは男の胸に指を突きつけながら下から睨め上げ、チンピラっぽい感じで何かを言っているところだった。
「――なぁなぁ、自分。目的はなんなん? ワシはタキシード。世の謎を解明するのが仕事の探偵や。せやから自分の謎も解明するで」
「うおぉ、飛ぶんですね……凄い。探偵さん、申し遅れましたが、私はジェンマと申します。毎日運命の女性を探して最もふさわしい宝石を見極め、お礼にその宝石を差し上げている者です」
「……なんで? 意味分からんのやけど」
「修行、ですかね」
ますます分からなくなったタキシードは首をひねった。見れば女性陣も全員、戸惑い気味に首をひねっていた。
「スカルムヨン先生曰く、心の目で見れば宝石の放つ輝きと、人のアミナの輝き、その両者は近しいのです。故に私は先生の教えに従って目を隠し、女性を辻的にコーディネートして宝石眼を養っているんです」
「はぁ……」
「スカルムヨン先生をご存じないんですか? フォージヒートで飛ぶ鳥を落とす勢いの宝石鍛冶ですよ。私、スカルムヨン先生の弟子をしておりましたが、ついに独立を許されて、ここバミューダで修行をしているところなのです。あぁ、私も宝石鍛冶を生業としております」
「はぁ……」
生返事するほかないタキシード。どうやって話をまとめたらいいものか、と困っていると、エイジャ達の方も段々と熱が冷めてきたようで、お互い顔を見合わせていた。
「――まぁ、この男……ジェンマもこう言っとるし、もうええんちゃう?」
「うーん」と唸る三人に、あと一押しがほしいタキシードがジェンマに話を振る。
「なぁ、ジェンマも本気で口説いとったわけじゃないんやろ? 半分冗談みたいなもんで、その、修行行為とやらが、ちょっとばかし誤解を生んでしまってやな――」
「冗談? ……とんでもない!」
ジェンマが心外そうに声を上げた。
「私は好みの女性にしか声を掛けません。それに、宝石をコーディネートする時は本気で口説くんです。そうしないと、見えるものも見えてきませんから! その日その日で違う女性を口説き、自分の目に磨きを掛けていくのです‼」
――……あぁーあ。
ざわりと、ジェンマを囲む空気が不穏なものに変わった。
「ですから、美しい赤髪のお嬢さん。私の今日の運命の人になってくれませんか? お礼はいたします」
「こんなこと言っとるけど、許されるんか?」
「許されません」「許されない」「許されないでしょ」
この男、単に空気が読めないやつなのかも知れない。ジェンマをこのまま街に放置しておくのは世の正義に反する。そんな気分になってきたタキシード。
「エイジャ、しばき回したれ」
「ええ、なんでっ⁉」
バキバキとエイジャが拳を鳴らす音と、ジェンマの悲鳴が紫水晶通りに響いた。




